Up | <自分>の存在論 | 作成: 2023-07-03 更新: 2025-07-03 |
洗濯機との付き合いは,洗濯機を<自分>をもたないものと見なす。 この2つは,どう違うのか? 相手が他者になるかならないかである。 他者は,自分を投影するものである。 ひとは,自分を洗濯機に投影することはないだろうが,カラスには投影する。 自分を相手に投影して, 相手は,いまは何者か 自分は,相手にとっていまは何者か を定め,相手にどう対応するかを決める。 <自分>と<他者>は,互いに同時の契機である。 動物は,生物のうちで,脳をもつ生き物である。 その脳の機能のなかに,他者の措定がある。 他者の措定は,動物という生き方において根柢的なものになる。 これが,動物に脳がある理由である。 <動物>と<脳>は,互いに同時の契機である。 <自分・他者>と<動物・脳>の関係は? これも, 「互いに同時の契機」の関係ということになる。 動物は,この生存様式により,「自然選択」が他の生物とは趣が異なってくる。 他の生物は,動物と比べると,「化学的構造物の自然選択」の趣が強くなる。 一方動物は,「主体性の自然選択」の趣が強くなる。 さて,ChatGPT は Transformer 脳をもつ。 そうすると,ChatGPT において,<自分・他者><動物・脳>はどうなるのか? この問いが,「ChatGPT に<自分>はあるか?」の問いの内容になるものである。 ChatGPT は,<自分>を措定するには,厄介な存在である。 「厄介な存在」とは? Transformer 脳は「脳」らしいが,ChatGPT は「動物」ではない,ということである。 ここで「動物」の意味は: 「自然選択が "主体性の自然選択" の形になる存在」 こうして, 「ChatGPT に<自分>はあるか?」 の問いは,つぎの問いになる: 「ChatGPT に<主体性の仕掛け>はあるか?」 |