Up 虚偽捏造 作成: 2019-02-07
更新: 2019-12-14


    「アイヌ学者」は,アイヌを被虐者に仕立てたい者である。
    この体勢から,彼らは虚偽捏造をする者になる。

    彼らが格好の題材とするものの一つに,「運上屋」がある。
    彼らは,運上屋を「搾取・暴利・極悪」の場所として描き出すことを,己の使命とする。

    さて,運上屋の「搾取・暴利・極悪」は,実際のところどのようなものか。
    以下,これを見ていく。


    (1) 「搾取」
    つぎの交換表を例にしよう:
    玉蟲左太夫 (1857) より:
安政四年サル場所アイヌからの買上げ・売渡し価格表
アイヌからの買上げ価格
品目 単位 価格 (文)
煎海鼠   1ツ 1
干鱈 1束 90
干粕 1束 150
干鮫 1束 56
魚油 1升 100
昆布 1駄 35
椎茸 1ツ 1
アツシ 1反 275
生榀皮 1貫目 28
榀縄 1把 25
(かば) 1貫目 14
鹿皮 大1枚 500
上飼鷲尾 1尻 300
穴熊胆 1匁 280
上獺皮 1枚 500
上狐皮 1枚 200
  
アイヌへの売渡し価格
品目 単位 価格 (文)
玄米 1升  56
清酒 1升 200
濁酒 1升 56
1升 90
地廻煙草 1把 90
田代 (庖丁) 1挺 250
間切 (小刀) 1挺 28
夷椀 1ツ 35
小針 1本 4
火打 1ツ 28
1挺 100
行器 1ツ 5500
行器 (蒔絵付) 1ツ 7500
中古手綿入 (古着) 1枚 200
半股引 1足 650
手拭 1対 280

    「アイヌ学者」は,この表をつぎのように読ませる:
      門別町史編さん委員会 (1995), pp.416-418
    アイヌからは安く買上げる一方、アイヌへの売渡しにおいては、
    例えば清酒1本を手に入れるためには
      煎海鼠なら 200 個、
      干粕だと 27 本 (1.7 束) 、
      昆布だと25920貫=約 5.8 駄
    が必要となり、
    男性の会所での1日の労賃米は1升、56文であるから、
      約 3.6 日分、
    これは中程度の古着綿入1枚、あるいは白い下帯1本でも同じで、
    漁場稼ぎだと上男で
      4日半分、すなわち5日間
    稼がなければならない。
    同様に、前記「入北記」で "永代張" と記されている
    キセル一本にしても、漁場稼ぎでは上男でも
      2日間
    の稼ぎでは足りない。
    ましてやアイヌにとっての宝器となった "行器" は、
      安くても干粕で 735 本(36束15本)、
      昆布で156駄3貫600匁で、
    会所労働でも
      96 日分、
    漁場稼ぎでは
      122 日分
    の稼ぎでも足りない状態で、
    高価な商品を買わされているといえよう。
    以上のことからも、アイヌは日常生活における労働力、それも低賃金労働力としてのみならず、交易においても場所請負人の独占的な支配の中で、出産物は安く買上げられ、その反面物資購入においては高く買わされるといった、二重三重の搾取の中におかれていたといってよいであろう。

    「アイヌ学者」がここでやっているのは,「日給あたり」計算である。
    しかし,アイヌ女性の運上屋労働だと日給制もあるが,漁撈に就くアイヌは日給制ではない。
    獲った生ものを製品加工し,それを運上屋に買い取らせる。
    このときの買上げ価格が,上に示した表のうちの「アイヌからの買上げ価格」である。

    運上屋でのアイヌの稼ぎがどのようなしくみなっているかを,改めて見ておく:
      串原正峯 (1793), p.491
    海鼠引漁は圖のことくなる海鼠引網を夷船に乗せ、海上へ乗出し、((豫))て見立置たる海鼠のある所にて此網をおろし、縄の先に圖のことくなる木の碇を付置、是を最初の所へおろし、凡百間斗も舟を漕行て網をおろし、網に付たる縄の端を船の櫨へ結ひ付、夫より碇の縄を手にて操り、最初の所へくり寄て網を船の中へ引揚るなり。
    能き泙合にて當り漁の時は、一網に百二、三十も引揚るなり。
    終日引て、壹人にて能漁の節は貳千程も取る事あり。
    ‥‥‥
    其日引たる海鼠を 水海鼠と云。未いりこにせず,引上たるまゝなり 船に積たる儘にて運上屋敷の濱邊へ漕来る。 ‥‥‥
    其日の引高に應し
      五百以上引たる夷へは酒壹盃づつ、
      千以上引たる夷へは貳盃づつ、
    右の高引たる夷の腕に矢立の筆にて書記し遣せは、夷會所へ行て腕をまくり見する故、夫を證據に右のにこり酒褒美に呑する事なり。
    是此度出役先の思ひ付にて、はげみの為如斯せしなり。 ‥‥‥
    夷とも改を請て水海鼠を我家々々へ持行、または濱邊にても
    直に大鍋に湯を涌し、引揚たる儘にて鍋へ入しばらく煮る。
    煮上りて是を引上、長壹尺斗の串を(こしらえ)
    夫へ十つゝ串柿のごとくに通し、
    十本 [10 × 10 = 100] を一連として圍爐裡の上へ釣し、
    四、五日も乾し上け、又は日當りにでも干すなり。
    十連にていりこ数千なり [100 ×10 = 1000]。
    束となして會所へ持来る。 ‥‥‥
    交易は煎海鼠百に付玄米五盃、但し壹盃は貳合五勺入椀なり。
      [煎海鼠百 〜 玄米 一升貳合五勺]
    酒なれば右の椀にて三盃づつ、
      [煎海鼠百 〜 酒 七合五勺]
    其外の品と交易なすにも右に准したる價なり。

    「能き泙合にて當り」「終日引て、壹人にて能漁の節は貳千程も取」った者が,これをすべて製品加工したときは,
      [煎海鼠百 〜 酒 七合五勺]
    の交換だと
      (七合五勺) × 20 = 15 升
    の酒を得ることになる。

    しかし「アイヌ学者」計算だと,15 升の酒を得るには
      (3.6日) × 15 = 54日
    働かねばならないことになる。


    (2) 「暴利」
    企業経営は,段々と利潤が薄くなり,せちがらくなるようになっている。
    商品経済の<交換価値>ダイナミクスは,利潤を平均的にするように働くからである。
    運上屋経営も,同様である。

      串原正峯 (1793), p.491,492
    此度宗谷にて二、三里又は五、六里隔たるノツサブ、クツサブ、バツカイベ、ルヱラニ、シルシ等都合六ケ所にて
    船数三百艘餘、
    海鼠引にかゝりたる夷メノコシとも四百人餘なり。
    壹艘平均一日海鼠四百宛引時は、三百艘にて一日に海鼠数十二萬なり。
      [400 × 300 = 120000]
    煎海鼠俵物にして壹本を凡壹萬貳千
      [1本 = 煎海鼠12000]
    として、一日に十本揚るなり。
      [120000 ÷ 12000 = 10]
    五月中旬より引かゝり、尤人數の揃たるは六月初旬なり。
    引仕廻は七月中旬頃に成。
    然る所、當年は風荒吹、雨天續き、漁事果敢((はか))行さりしなり。
    日和((泙))合十日續けば、十日に百本荷物出来る。
      [10 × 10 = 100]
    三十日續て三百本なり。
      [10 × 30 = 300]
    壹本目方皆掛貳拾三貫目つゝに仕立、
      [1本 〜 23貫]
    是を斤に直して百貳拾五斤なり。
      [100斤=16貫?
       ⇒ 23貫 = (100/16 × 23)斤 =143.75斤 (125斤?)]
    いりこは松前へ廻し、松前へ長崎俵物懸りのもの詰合居て、煎海鼠残りなく買上るなり。
    壹斤に付代銭貳百五十文づつ定((値))段なり。
      [1斤 〜 250文]
    右三百本の代銭九千三百七拾五貫文なり。
      [1本 〜 23貫 = 125斤
       ⇒ 三百本 〜 (125 × 300)斤 = 37500斤
        〜 (250 × 37500)文 = 9375000 文 = 9375貫文]
    銭相場兩替六貫文にして、金に直せは千五百六拾貳兩貳分、但長銭遣なり。
      [300本 〜 (9375 ÷ 6)両 = 1562.7両 → 1562両2分]
    蝦夷地交易は米八升入壹俵に煎海鼠五百つゝなり。
      [煎海鼠500 〜 米1俵 = 米8升
       ⇒ 煎海鼠100 〜 米(8 ÷ 5)升 = 米1.6升]

      同上, p.492
    是 [煎海鼠100 〜 米1.6升] も前文に云 [運上屋] いりこ百に付米五盃
      [煎海鼠100 〜 米5盃 = 米1.25升]
    とは餘程直段高下あり。
    小買はいりこ数五百以下の事にて、百に付米五盃づつなり。
    五百のいりこなれば代米八升入壹俵なり。
    尤いりこ、高に應じ夏中より交易の品を追々貸付置、秋になりて差引勘定をする事なり。
    又貸付の外に、現金交易とて産物を持来り直に價の品を引替渡すもあり。
    百に付五盃の割合は、いりこ壹本にては價米八升入拾八俵と六升、此米高壹石五斗なり。
      [煎海鼠100 〜 米5盃 = 米1.25升
       ⇒ 1本 = 煎海鼠12000 〜 米 (1.25 × (12000 ÷ 100)) 升
           = 米150升 = 米1石5斗]
    八升入壹俵に付いりこ五百つゝの割合は、いりこ壹本の價八升入貳拾四俵、此米高壹石九斗貳升なり。
      [煎海鼠500 〜 米1俵 = 米8升
       ⇒ 1本 = 煎海鼠12000 〜 米 ((8 ÷ 500) × 12000) 升
           = 米192升 = 米1石9斗2升]
    煎海鼠百本の高にて米四拾貳石違ふ。
      [100本での差 〜 米(1.92 × 100)石 - 米(1.5 × 100)石 = 米42石]
    三百本の高にては米百貳拾六石遺ふ。
      [300本での差 〜 米(42 × (300÷100))石 = 米126石]
    甚不等なる割合なり。
    前々より此振合にて交易なす事なり。
    小買は夷人の損、運上屋の徳なり。
    いりこ五百となれは運上屋の損、夷の徳なり。
    いりこ四百五十と五百と、いりこ五十の遣にて直段大に違ふ。
    夫に不心付交易をいたすも、中には心附たる夷も有なり。
    いりこ交易現金賣の節もはしたに持来らず、五百につばめて交易をなす夷も有なり。

      同上, p.492
    右のことく八升入壹俵にいりこ五百の割合にて、いりこ三百本の交易代米五百七拾六石、
      [煎海鼠500 〜 米1俵 = 米8升
       ⇒ 1本 〜 米1.92石
       ⇒ 300本 〜 米(1.92 × 300)石 = 米576石]
    米相場兩に石替にして則代金五百七拾六兩。
      [米1石 〜 1両
       ⇒ 300本 〜 米576石 〜 576両]
    扨、舟賃の事は宗谷より松前まで運賃は舟積百石目に付金十六兩貳分づつにて、
      [100石目 〜 16両2分]
    煎海鼠三百本は船積石高百七拾貳石五斗目なり。
      [300本 〜 172.5石目]
    是は目方四十貫を壹石とする算法なり。
    三百本の運賃金貳拾八兩永四百六拾貳文五分、
      [300本 〜 172.5石目
       〜 (16/100 × 172.5)両 (2/100 × 172.5)分
          = 27.6両 3.45分 → 28両永462文5分]
    いりこ交易金高 [300本 〜 576両] と合て金六百四兩永四百六拾貳文五分、
      [576両 + 28両永462文5分 = 604両永462文5分]
    いりこ賣拂代金千七百貳拾五兩
    の内右交易金高を引残て金千百貳拾兩永五百三拾七文五分
      [1725両 - 604両永462文5分 = 1120両永537文5分]
    全益なれとも、右交易元金の外に雇人給分、飯米、夷介抱米、米、麹等相懸る事なり。


    (3) 「極悪」
    運上屋は,基本,交易所 (マーケット) である。
    運上屋は,工場(こうば)ではない。
    「アイヌ学者」はひとに「運上屋」を「タコ部屋」のようにイメージさせたいと思うが,運上屋はそのようなものではない。
島田元旦 (1799)


    運上屋の「アイヌ雇用」は,工場(こうば)の労働者雇用とは違う。
    つぎのようなものである:
      串原正峯 (1793), p.491
    (さて) 夷とも改を請て水海鼠を我家々々へ持行、
    または濱邊にても
    直に大鍋に湯を涌し、引揚たる儘にて鍋へ入しばらく煮る。
    煮上りて是を引上、長壹尺斗の串を(こしらえ)
    夫へ十つゝ串柿のごとくに通し、
    十本 [10 × 10 = 100] を一連として圍爐裡の上へ釣し、
    四、五日も乾し上け、又は日當りにでも干すなり。
    十連にていりこ数千なり [100 ×10 = 1000]。
    束となして會所へ持来る。

島田元旦 (1799)


    運上屋は,アイヌに対し交易を持ちかける立場である:
     「これこれを生産してここに持ってくれば,これこれと交換する
    出来高払いであるから,アイヌは働き具合を自分で決めることになる。
    また,その働き具合に,能力格差が現れることになる。
    実際,乙名等の役に就かされるアイヌは有能を以てその役に就かされるわけだが,有能なアイヌを見出す場に運上屋がなる。


    引用文献
    • 玉蟲左太夫 (1857) :『入北記』
      • 『入北記 蝦夷地・樺太巡見日誌』, 北海道出版企画センター, 1992.
    • 門別町史編さん委員会 (1995) :『新門別町史(上巻)』, 門別町, 1995
    • 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌・北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
    • 島田元旦 (1799) :『蝦夷紀行図 上』