Up 遺物採集 作成: 2017-03-19
更新: 2017-03-19


      山田 伸一『近代北海道とアイヌ民族』, 北海道大学出版会, 2011.
    pp.2,3.
     先行研究について、個別の問題に関するものは各章に譲り、ここではこの間私が主に意識してきた二つの著作に限って述べておく。
     一つは高倉新一郎『アイヌ政策史』である。
    同書については特に 1970 年代以降、その基盤となる歴史観が「拓殖史観」などとして厳しく批判されてきた。
    明治以降を扱う部分に限っても、著者自身がアイヌ民族を歴史上の「劣敗者」として見、窮乏に陥った時には農業を恩恵として施し「保護」の対象とすべきだとの考えを抱いており、そうした考えが部分的な論述や全体的な歴史の見通しに大きく影響を与えているという印象が常につきまとう。
     歴史観の問題があるのは明らかである。
    だが、私が徐々に強く意識するようになってきたのは、むしろ史料博捜の広さと読みの精度の問題だった。
    本書に直接関係する開拓使・三県一局期を例にとれば、ある程度広い範囲にわたって一次史料を読み込んでいると言えるのは、樺太千島交換条約に伴う樺太アイヌの石狩地方への移住に関する部分だけであり、その他は当時の法令集に大きく依拠するか、三県一局期については河野常吉が作成した公文書からの抜粋に依拠している。
    制度史に限って見ても、管轄官庁による違いや時期による微妙な変遷を正確に把握することや、制度化の具体的な過程を分析することがほとんどできていない。
    また、対象時期は 1899 年の「北海道旧土人保護法」制定までであり、その後については教育関係を別にすると、土地問題についてやや踏み込んで論じた「アイヌの土地問題」がある程度である。
    こうした「不満」を募らせては、改めて原史料に一つ一つ当たって実証を積み重ねていくべきだとの考えを深めてきた。


    高倉新一郎は,つぎのように述べる者である:
      高倉新一郎『アイヌ政策史』, 日本評論社, 1942.
    pp.1
     私が北海道旧土人問題を植民政策中の原住者問題として採り上げてからやがて十九年にならうとしてゐる。
    着手の動機は、学術的なものよりは、寧ろ、アイヌの運命が、私共の育つた期間に於て殆んど改善されなかった事に対する疑問と義憤にあった。
    然し検討を続けるに従って、私は、其中に学徒として考へて置かねばならぬ種々の問題があることを知った。
    そして其問題の発生史に大きな魅力を感じ、その正確な把握なくしては、此の問題も亦解決し得ないこと、然しその学問的な把握は、啻に此の問題の解決に資すろのみならず、我国に生るべき新しい植民学に多くの資料を提供するものなることを知った。
    然しそれは殆んど未開拓の分野で、第一に資料の蒐集に困難し、第二に、其間に非常な勢で進んだ史学理論へ追従せねばならぬ難事があった。
    p.2.
    ‥‥‥原住者政策をして最もその理想に近らしめんことを望むためには,その科学的な研究を必要とする。 然るに‥‥‥原住者政策の研究は,せいぜい特殊な政策論として個々の場合に論究せられてゐるに止り,廣く材料を求めて比較研究し,その中に一貫した原則を把握する迄には至ってゐない。
    かヽる時代にあつては,徒らに比較総合を急がず,個々の事例に就て精密なる調査を遂げ,然る後比較綜合に進むを順序とする。


    高倉新一郎は,科学を志向する者である。──科学者である。
    科学者が力を最も注ぐことになるのは,法則の探求である。
    科学者にとって,「史料博捜の広さと読みの精度」は,「法則の探求」との兼ね合いで決まる。
    「法則の探求」にとって生産的でないと判ずる「史料博捜の広さと読みの精度」は,切り捨てる。

    「史料博捜の広さと読みの精度」にうるさい者がいる。
    科学者は,彼らに対しては,「重箱の隅をつつく」の軽蔑表現を返す。
    あるいは,「史料博捜の広さと読みの精度」を彼らに任せる。


    学術創成期に立ち会う者は,学術の方法論をよく考える者である。
    この者は,「科学」の考えに至り,「法則」の考えに至る。
    これに対し,後から来た者は,「方法論」という課題があることを知らない。
    「科学」「法則」の考えを知らない。
    彼らは,「調べごと」──遺物採集──を「研究」にしてしまう。

    科学者は,よい法則の獲得を競い,よい法則の獲得を誇る。
    遺物採集者は,採集した遺物の多さ・希少さを競い,採集した遺物の多さ・希少さを誇る。

    自然科学の学会は,遺物採集者が棲息し難いところである。
    実際,遺物採集者は軽蔑される。
    人文科学の学会は,これの逆になる。
    「科学」「法則」を立てにくいからである。
    こうして,ごく稀に現れる法則屋 (文化人類学のレヴィ・ストロースのような) を除いては,みな遺物屋になる。
    そのような学会では,「資料○○を知っているか・それにあたっているか」調の詰問がはばを利かせるようになる。

    この構図は,自然科学者と人文科学者のピーク年齢の違いにも現れる。
    法則定立はアタマの柔軟さを要するので,自然科学者のピーク年齢は若めになる。
    遺物採集は長くやっている方が有利になるので,人文科学者のピーク年齢は高めになる。