「アイヌ民族」派は,アイヌ学者に「アイヌ民族」を認めさせようとする。
そしてこれに成功する。
成功の端緒を溯行して求めれば,第26回 日本人類学会, 日本民族学会連合大会に至る。
即ち,この大会のシンポジウム会場に結城庄司,新谷行,太田竜,成田得平,山本多助が乗り込んできて,つぎの質問状が読み上げられた,という一件である。
|
アイヌ解放同盟 (代表 結城庄司),北方民族研究所 (代表 新谷行) 連名
「第26回 日本人類学会, 日本民族学会連合大会のすべての参加者に対する公開質問状」
太田竜「アイヌ共和国独立・夢と展望」(1972) (太田竜『アイヌ革命論』に収載. pp.208-225 ) に「全文引用」とあるのを,孫引き.
今から十九年前、この札幌で、日本人類、民族学会連合大会が開かれた。
その主要テーマの一つは、今年の二六回大会と同じく、アイヌ研究であった。
知里、河野広道の論争と、両者の決裂がその焦点であった。
和人アイヌ学者全体を憎悪し、闘争し抜いたウタリ知里真志保は、すでにない。
知里の遺志を継承し、発展させることを志して、我々、アイヌ解放同盟、北方民族研究所は、本大会のすべての参加者に対し、次の質問に答えることを要求する。
第一。
本大会の大会委員に名をつらねている高倉新一郎、更科源蔵は、北海道アイヌ専門学会の代表的指導者である。
彼等は、くり返し、アイヌ民族はすでに滅亡しており、日本民族の中に同化しきっている、と明言している。
本大会のアイヌ問題についての討議は、アイヌ民族は亡びている。
或いは亡ぼすべきである、という原則に立って行なわれるのか。
それとも、原始共産制に生きたアイヌ社会は、アメリカ大陸におけるインディオと同じく、尚生きており、滅びることを相否しており、征服者たる日本国家に対決している、という認識に立って行なわれるのか。
この点を質問する。
第二。
松前藩時代から明治以降、今日に至るまで、和人の側のアイヌ研究、アイヌ専門学界は、アイヌ同族を研究と解剖の客体として位置づけて来たのではなかったか。
まず和人の軍隊がアイヌを暴力で征服し、次に、商人資本がアイヌを奴隷的に使役し、更に和人の農漁民がアイヌ同族からすべての土地と海を奪い取り、最後にアイヌ専門学者がアイヌの精神と歴史を抹殺しようと努力して来たのではなかったか。
本大会のすべての参加者諸君。
君たちは、和人支配者階級の圧迫、征服に対決するアイヌ解放の味方なのか。
それとも君たちは、日本国家のアイヌ滅亡、抹殺作業の総仕上げの担い手なのか。
君たちは、この問いにこたえなければならない。
本大会幹事の一人である埴原和郎君 (本大会開催場所である札幌医大助教授) は、一九七二年八月十七日付夕刊北海道新聞紙上に、次のようなきれいな言葉を書いた。
「‥‥‥アイヌ系の人々は、とくに和人とのかかわり合いにおいて、多くの苦汁をなめてきたにちがいない。
このような面を無視しては、今やアイヌ論はなりたたないとさえいえる。
来るべきシンポジウムは、こんな点でもまた、二十年前とはちがったものになるだろう。
過去の研究は尊重されるべきであるが、また一面では、これらにとらわれない自由な討議がなくては、科学の進歩は期待できないのである」。
さて、本大会幹事、埴原君。
われわれ、アイヌ解放同盟、北方民族研究所は、君の言う自由な討議、本連合大会のスケジュールにとらわれない真実の討議を欲するのだ。
真実の、自由な討議とは何だ。
殺され、自由を奪われ、すべてを抹殺されてきた被征服原住民アイヌの発言を無制限に解放することだ。
いうまでもなく、君たちをはじめとする和人の教育者の大きな力によってアイヌの多くの子弟は、脱アイヌ、和人搾取者階級文明への同化の道に引きずり込まれている。
だが若くして死んだアイヌ作家鳩沢佐美夫の、次の主張を聞くがいいのだ。
「‥‥‥僕はね、一学者の例をあげて、ここで問題にしようとしているんではないんだ。
けれども、アイヌ学者、研究者という連中は、どいつもこいつも、純粋な植物に寄り襲ってくる害虫の一種でしかないと断言したい。‥‥‥
対象が素朴であれば素朴なほど、朽ち枯れる度合も多いんだ。
しかもだ、その屍も、彼たちにとっては、恰好の糧なのだ‥‥‥」
(新人物往来社刊『鳩沢佐美夫遺稿集、若きアイヌの魂』三五頁)。
本大会委員、更科源蔵君。
君にこそ、全アイヌ同胞の憎悪は集中している。
なぜなら、君の前半生はアイヌの良心的味方であり、そして君の後半生は、そのこと〈アイヌの友であること〉を、資本として、和人搾取階級の国家権力のアイヌ精神抹殺者へとオノレを売りわたしたからだ。
われわれアイヌ解放同盟、北方民族研究所は、何はともあれ、更科源蔵をアイヌ同族の敵として糾弾するのだ。
|
|
|