Up 「アイヌ民族肖像権裁判」 作成: 2017-03-06
更新: 2017-03-09


    日本民族学会は,1989年の「見解」で,つぎのように言うことになる:
    • アイヌを「民族」として認めねばならない。
    • アイヌ文化を滅びゆく文化とするのは,誤りである
    《学会が正誤を定める,これまでの認識を逆転させる正誤を定める,そして攻撃的な政治運動をする少数者への迎合としてこれを行う》──これは,日本民族学会の学会としての後進性 (「学会以前」) を示すものであるが,日本民族学会はまさにこのように立ち回る。

    そして日本文化人類学会の「見解」を引き出したのが,チカップ美恵子である。
      Wikipedia 「チカップ美恵子」
    1969年に出版された『アイヌ民族誌』(第一法規出版)で、少女時代に映画撮影でとられたアイヌ民族衣装のいでたちの顔つき写真が無断で使われ、見出しに『滅び行く民族』という語句がつけられた。
    このことを知ったチカップ美恵子は、そのページの著者の更科源蔵らに抗議する。
    満足する謝罪は得られず、1985年に札幌地方裁判所に提訴、『アイヌ民族肖像権裁判』として知られるようになる。
    その年に、更科源蔵は死去するが、出版社と監修者を相手に、裁判を継続する。
    1988年に、チカップ美恵子への謝罪、その他の条件で和解となる。

    ここで,「その他の条件」とあるのは,賠償金および公開謝罪を指す。
    (現代企画室編集部編『アイヌ肖像権裁判・全記録』現代企画室, 1988.)


    チカップ美恵子は,「アイヌ」を売り物にしている者である。

    「アイヌ」を売り物にする者は,「アイヌ」をいま存在していることにしないと自分が成り立たない者である。
    この者にとって,「アイヌ」を過去のものとしている言説は,潰したいものとなる。
    この者は,状況がこの言説潰しをやれるふうになるとき,これを実行する。

    彼らの言説潰しのやり口は,ひどく汚いものである。
    どうして汚いやり口になるかというと,行動がヒステリー行動だからである。
    ヒステリーの破壊者にとって,破壊の対象は何の価値もないものである。
    過激派の文化遺産破壊・博物館破壊のニュースを聞いて「信じられない」と思うのは,原理主義のヒステリーを理解していないからである。


    こういう汚いやり口に対し,日本民族学会は,なんで自殺行為そのものの「声明」で応じてしまうのか。
    これは,逃走パニックである。
    理性喪失の(てい)である。

    チカップ美恵子の破壊ヒステリーと日本民族学会の逃走パニックの二つが,合わさる。
    両者は共同で,<アイヌ学潰し>を果たす。