Up 必要品を和人に依存 作成: 2016-11-19
更新: 2018-12-06


      高倉新一郎 (1959), pp.47,48..
     元和年間耶蘇教宣教師の報告によれば、蝦夷人が松前に持って来る産物は、干鮭(からさけ)(にしん)・白烏・鶴・鷹・鯨・トドの皮・ラッコの皮・トド油・鷲羽及ぴ緞絹(ドンキ) [満州から樺太蝦夷の手を経て渡来] 等であった。
    寛文年間の記録によると、干鮭・熊皮・鹿皮・真羽・鶴・鯨・塩引鮭・魚油の外、西蝦夷地では鰊・数ノ子・串貝・ねっふ [トド]・こっひ [トドの牝]・あざらし・えぶりこ [エブリコ]、東蝦夷地では干鱈・らっこ皮・赤昆布、それに近年鱒が加わりつつあった。
     それに対して松前から与えるものは米・酒・麹・塩・煙草・鉄類・衣料・漆器類・装身具などであった。

      松浦武四郎 (1857-1860), p.741
    此ナヨロ (名寄) といへるや運上屋より凡そ八十餘里にして十餘日の船路にて上る地なれば、 一粒の、一服の烟草もその不自由いわんかたなきが、 七八年前なりしとかや、此のシケロク病に罹りて床に就しや共邊り一七の湯薬も無が故に、 [シケロクの妻モレワシは] 十日路餘の處を唯一人にて小舟に棹さし、毎々紡績致し置しアツシ等を持下り、運上屋へ其アツシを差出しを乞ひ、是を持歸りて服さしめ、‥‥


    「北海道の歴史」の歴史区分の中に,「アイヌ文化期」のことばが見える。
    「アイヌ」とは,この「アイヌ文化期」の「アイヌ」のことである。
    即ち,「アイヌ文化期を生きた者」が,「アイヌ」の意味である。

      「アイヌ文化期を生きた者」は,「人種」の括りにはならない。
      「系統」をいえば,「様々な系統」と表現することになる。

    このアイヌの特徴の一つに,「衣食住が根底のところで和人依存」がある。

      アイヌ博物館に入り,「アイヌ文化期」コーナーの展示物を観る。
      これがはじめての者は,どう見ても和製品だという品の陳列に,先ず違和感を覚えることになる。 実際,それらは和製品であり,アイヌ・オリジナルではない。
      金属を使用している道具は,金属が移入(もの)になるから,すべてアイヌ・オリジナルではないことになる。
      そこで,「アイヌ・オリジナルは?」となって,「アットゥシ attus」とか木製品の陳列に向かう。
      しかし,アットゥシの「アイヌ模様」をつくっている綿布や糸は,和物である。 針も和物である。
      木製品も,切ったり削ったりする道具において金属即ち和物が含まれている。
      博物館の屋外には,アイヌの住居の復元が展示されているかもしれない。
      それは,木と草でつくられている。 しかしこれも,工程を木や草の切り出しから考えれば,和物の介在がある。
      「食」はどうか。
      狩猟採集の道具に,金属などの和物が含まれている。 あるいは,道具の制作過程で,和物の介在がある。
      また,米,酒,煙草は,和物である。
      こうして,アイヌ・オリジナルとなるものは,結局存在しない。


    「衣食住が根底のところで和人依存」は,「アイヌは和人無しではいられない存在」を意味する。
    特に,「自然とともに生きる民」──この意味は, 「自然の中で自活する民」──のアイヌ像は,間違いである。
    「自然の中で自活する民」は,アイヌより前の時代のものである。

    強調するが,アイヌより前の時代の「自然の中で自活する民」は,アイヌではない。
    このことは,第一に,"アイヌ" が証明してくれている。
    "アイヌ" は,「これがアイヌだ」と彼らが定めるものをパフォーマンスしている。
    その内容は,「アイヌ文化期」の内容である。
    これより前の時代のものではない。



    引用文献
    • 高倉新一郎 (1959) :『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
    • 松浦武四郎 (1857-1860) :『近世蝦夷人物誌』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.731-813