アイヌ終焉後のアイヌ系統者は,「この先」に対する<構え>を,ひとそれぞれに現す。
その<構え>の多様性を,ここではつぎのように構造化してみる:
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「アイヌ」のレッテル(L) |
不要L |
必要L |
「アイヌ系統者」の アイデンティティー (I) |
不要I |
(不要I, 不要L) |
(不要I, 必要L) |
必要I |
(必要I, 不要L) |
(必要I, 必要L) |
ここで,(不要I, 必要L) と (必要I, 不要L) は不安定な相であり,(不要I, 不要L) か (必要I, 必要L) の安定相に遷移していく。
(不要I, 不要L) は,「同化」の相である。
(必要I, 必要L)は,「観光アイヌ」の安定相である。しかし「アイヌ観光」が衰退すると,保護をもらって成立する相である。──この意味で,「保護」の相である。
こうして,アイヌ終焉後のアイヌ系統者は,同化派と保護派に分かれていく。
この分裂はアイヌ終焉直後から現れ,そして,(不要I, 必要L),(必要I, 不要L) の不安定相の消滅という形で,分裂をはっきりさせていく。
(不要I, 必要L) から (不要I, 不要L) への移行は,<「観光アイヌ」の廃業>が端的な例である。
(不要I, 必要L) から (必要I, 必要L) への移行は,ここでは貝沢正,野村義一を例として挙げる。
(必要I, 不要L) から (不要I, 不要L) への移行は,知里真志保が例になる。
つぎのように「アイヌ観光」「アイヌ保護」を批判した鳩沢佐美夫も,(必要I, 不要L) の相で生を終えることになったが,生き続けていればやがて (不要I, 不要L) に移る者である。
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「対談・アイヌ」(1970), 『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』,1995.
pp.187,188
で、そういったことでさ、この町内のとある地区がね、今、着々とそのアイヌ観光地として売り出そうとしているんだ。
なんかね、とうとう──来るべきところまで来たっていう感じなんだ。
昭和三十五年に、そのいわゆる "旧土人環境改善策" なるものを打ち出さなければならないんだ、という、不良環境のモデル地区、ね、写真入りで新聞に報道されたりした地域だ。──
最近では、公営住宅や、またそれぞれの努力などで、十年前の家庭はほとんど姿を消してしまった。
が、その生まれ変わったはずの聚落が、今度は俗悪なアイヌ部落の亜流化をくみとろうとしている!──。
なぜ、景勝や古蹟の乏しい山林に、こういった特殊施設を、アイヌ自ら、しかも今日の時点において作ろうとするのかね──。
そのことを彼たちに質すと、「アイヌがやらなければ、悪質なシャモ (和人) が勝手にアイヌの名をかたり、金儲けをするから」と言う。
「じゃ、そういう悪質シャモの排除にこそ努めるべきでないか?」ときくと、「われわれも、そのことで潤っている」──。
つまり、観光のおかげで部落もよくなり、業者からピアノも贈られた (小学校)。
何十万とかの寄付もあった──と、並ベたてられる。
「今それをやめろというのなら、じゃわれわれの生活をどう保障する」と逆襲さえしてくる始末。
そして、ね、これまで自分たちは観光業者に利用されて各観光地に立っていた。
だから、どうせやるんなら、そんな他所の土地で、シャモに利用されるんでなく、自分たちの部落でやったほうがいいのだ──という割切り方。
しかもだよ、ジョークなのか、アレゴリーなのか、昔はアイヌといって、われわれはバカにされた。
今度はひとつ、われわれアイヌを見にくるシャモどもをふんだまかして、うんと金をまきあげてやる。
「なあに、適当なことをやって見せれば、喜んで金を置いていくからな」‥‥‥。
ね、ドライというか、くそくらえバイタリティというか、とにかく、見上げたショーマンイズム──。
pp.211,212
だから、過去の不当性を口にすると、なんかたまらなく空しいんだ‥‥‥。
なぜに、今こそ、この時点で‥‥‥とね。
そして一方に、媚びるような姿を見たり言葉を聞くと、倣慢にも腹立たしくなるんだ。
──被害者は、お前たちばかりじゃないだろう‥‥‥ って──。
戦後ッ子のあんたは見たことがあるかどうかわかんないけどね、以前に "傷病軍人" といって、募金箱を持った白衣姿の復員兵を街角などでよく見かけたもんだ。
この人たちは、第二次大戦で負傷し、手足をもぎとられたりした痛ましい戦争の犠牲者たちだ。
ところがあまりにも同情をかうような恰好をしたり、執劫に列車内などを戦争の不当性を訴えながら募金を呼びかけるんでね、国民からそっぽを向かれちまった──。
つまり、戦争の犠牲者はあんたたちばかりじゃない──ってね。
あの戦争で肉親を失ったり、家を焼かれた人、また精神的にも死をも体験するような被害を、当時の国民は皆蒙ったんだ。
そんなことで、この犠牲者も、いつしかわれわれの前から姿を消しちまった──ね。
それだけに、アイヌ問題もそうならないように‥‥‥。
現に、A市で持ち上がった旧土人保護法廃止の声、これなどね、はたして、アイヌ問題を真に考えてのうえでの発言かどうか──。
この法案を残しておいては、和人の非を認めるようなものだしね、廃止を叫べば、人道上も共感を呼ぶわけだ。
その一方に、アイヌを利用したような形の行事や産業には、この市も積極的だ。
数年前には、大々的なアイヌ祭と銘打ったり、その木彫のオートメ化、僕はまだ訪れたことがないが、この市管轄内にもアイヌ部落があるようだし──。
またこの春は、開道百年祭記念とかで何か像を作ったらしい。
そこに坐ったアイヌがいるが、差別だ、立たせろ!立たせない!でだいぶ新聞が賑わった。
するとね、立つとか、坐ったとかが問題じゃない、観光アイヌの一掃こそが先だ!──、という声が、本州読者から出て来る。
その物議をかもした記念像がだ、完成してきてその作者とそのヒューマンな市長が、相乗りで凱旋よろしく市中パレード‥‥‥ つい二、三日前テレビに出たばかりだ。
ね、これらをよく状況を通さず云々したくはない。
でも、つまりだよ、観光とアイヌ、木彫とアイヌ、北海道とアイヌ──ね、このイメージ化で、アイヌの今日的問題が打ち消され、俗化されたみやげ店や、行事演出の悪徳和人どもの非が、物の言えないアイヌ、哀れなアイヌ──のうえにのみ、全部ひっかぶされる。
──だから、傷病というハンディを背負って生涯を通さなければならない犠牲者 (傷病軍人) ──。
この人たちのように、いつまでも外見上の売込みだけにすがっていては、やがてね、本質的な現象が葬られ、虚構だけがのさばり出す‥‥‥。
そうなっては、もう手の打ちょうがないぜ。
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同化派は,つぎのように唱えて,保護派を批判する:
「自分たちは,見世物ではない」
「自分たちは,物乞いではない」
「見世物」「物乞い」は,きれいなことばではないが,「保護」の本質を言い当てている。
実際,「保護」は,看板が変わっても,中身はつねに「観光」と「生活保護」である。
いま「保護」は,「文化継承」が看板になっているが,これは「観光」と「生活保護」を一つのことばにしたものである。
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