Up | 二風谷の特異性 | 作成: 2017-02-27 更新: 2017-02-27 |
よって,周囲に和人が進出してくると,じきに和人が優勢になる。 コタンは和様に同化される。 併せて,人の移動が生じる。 こうして,コタンは消えていく。 二風谷は,こうならなかった。 二風谷は,先ず,コタンが比較的大きかった。 喜多真章『北海道アイヌ保護政策史』(1934) に記載の「明治五年以降ノ人口動態」「部落別戸口表」(pp.328-339) では,つぎの数値が上がっている:
つぎに,地形が「谷」であるので,和人が優勢になるというような和人の入植にはならなかった。 そこで,「アイヌ」という同族意識が,生活をしやすくするものとして,あまり壊されずに残ることとなった。 そして,地域でアイヌ観光を起業し,さらに「アイヌ文化博物館」も建つということがあって,二風谷は「アイヌ」を負っていくしかなくなる。──引っ込みがつかなる。 「アイヌ観光地」は外部者から「アイヌ」地区と見られることで成り立つが,二風谷はこの立場を引き受けた。 TVカメラが入るとウポポを演じ,「これは自分たちの生活の中にある」をアピールする。 このような地域・地区は,もう二風谷の他には無い。 二風谷は,特異なところなのである。 貝沢正・萱野茂の「アイヌモシリ」論は,二風谷のこの特異性がもとになっている。 例えば,旭川近文地域から「アイヌモシリ」の声があがることはない。 「だれに・どんな理由で・どこの地を渡せ」が立ちようがないからである。 二風谷だと,「周辺の山林・原野を二風谷地区の現住民の名義に改めよ」の言い方が立つ。 取れる土地があり,そして住民の意思統一も見込めるというわけである。 貝沢正・萱野茂は,<寛容>をポーズして「賠償」を言い出すが,「賠償」でも同じことである。 旭川近文地域から「賠償」の声が起こることはない。 「だれに・どんな理由で・いくら払え」が立ちようがないからである。 二風谷だと,「二風谷地区の現住民にいくら払え」の言い方が立つ。 住民の意思統一を見込めるからである。 |