Up 「差別」とは何か,を思考停止 作成: 2017-03-02
更新: 2017-03-02


    「反差別」の自家撞着のもとは,結局,「差別」とは何かを考えていないことである。
    実際,「反差別」の運動は,<差別をする悪者>を立てる。
    しかし,「差別」をすこし具体的に考えるだけで,そこには悪者のいないことがわかる。

    そもそも「差別」のことばは,問題構造を隠蔽する。

    「アイヌ差別」の要点は,「アイヌだから」である。
    「‥‥‥と結婚しない」「‥‥‥を雇わない」「‥‥‥をいじめる」は,ふつうのことである。
    そこで,つぎが区別される:
      「この個だから結婚しない/雇わない/いじめる」
      「アイヌだから結婚しない/雇わない/いじめる」
    後者は,<類の排除>である。


      菅原幸助『現代のアイヌ』, 現文社, 1966.
    pp.146,147
      [高橋真は] コタンの旧土人学校 (アイヌ人学校) を卒業したとき、警察官になりたくてたまらなかった。
    まともに試験を受けても合格しないだろうと考え、アイヌ研究家を説き回って十七歳のとき帯広警察署の給仕になることができた。署内の掃除はもちろん、署員のせんたくから官舎の便所掃除まで引き受け、コマネズミのようにうごきまわった。「巡査になりたい一心」で、特に署長のためには精魂をこめて働いた。そのころは「木下藤吉郎のぞうりとりから天下をとるまで」の読み物を思い浮かべながらがんばったものだそうだ。
     講議録をとりよせて勉強もやった。読み書きに白信がついたころになると「あのアイヌのこどもは全くよく働く。頭もいい奴だ!」署内にそんな評判がたつようになった。
    署長の信頼も深まったころ、
    「署長さん、ボクに警察官の試験を受けさせて下さい」
    マコちゃん [高橋真の愛称] は胸に秘めていた希望を打ち明けてみた。
    ところが、返事は意外だった。
    「君の気持ちはよく分かる。君は大変な努力家だよ。けれども警察官だけはあきらめなさい。ほかにいい職をさがしてあげよう」
    「どうしてもボクは警官になりたいのです。そのために夜おそくまで勉強もしました。一回だけでいいから、試験を受けさせて下さい。ダメなら一回であきらめます」
    「うむ、君がどうしてもあきらめないなら言うが、アイヌは讐察官の試験を受けることができないんだよ
    彼の思いつめていた警察官の夢はこれで消えてしまった。
    「あのときは、さすがにくやしかったね。その夜は下宿で、ひとりセンベイブトンにくるまって泣いたものです。当時、アイヌに警察官の受験資格がないという規則はなかったようだが、実際問題として受験させた例も合格した例もなく、なんとなくアイヌは採用しない、ということになっていたようです」
    マコちゃんは少年時代の京しみを、こう述懐するのだった。

    ここで述べられている《警察にアイヌは採用しない》は,<類の排除>である。

    <類の排除>の論理は,つぎの校長の言に,正確に示されている:
      貝沢正「「旧土人学校」に学んで」
    『アイヌわが人生』, 岩波書店, 1993. pp.49-57.
    pp.54,55
     私は、アイヌを無知だときめつけ、優越感をもった封建的な先生や移住者の日本人が、アイヌを不幸にした元凶だと断定します。
    私が教えをうけたのは二代目の先生です。二風谷校は明治25年 (1892) 開校で、初代の校長はシャモとしてコタンに住んだ初の人でした。二年で二代目校長にかわったのですが、明治27年、『北海道教育雑誌』に「当校の景況を述べ旧士人の教育意見に及ぶ」を発表しました。
     長くなりますがその一部を載せたいと思います。一部現代文に直します。
       当校の状況を説明するには村の概要と父兄の状況を先にせねばならない。当村は昔から本道旧土人の首都といわれている平取村の北一里にありて、現在戸数 40 余、人口 150 にして夏は海漁を主とせり (今は耕作牧畜を主にす)。性朴直・頑健・礼儀清潔ともに本道他郷の旧士人にまさるものの如し。
     それなのに明治初年より鹿猟の盛んなため、和人の行商はずるく立ちまわり、物品の交換で多くの利益をあげたので旧土人は正直変じてずるくなり、善悪正邪の別なく、和人を信用せず、逆に旧土人にだまされる和人をしばしば見ることがある。
     右の原因は和人がつくったものとしても、彼等は和人は皆ずるいと信じこんでいる。彼等はふだん役人などに接するに、飼犬が主人にこびるような態度をとっているが、一時の歓心を買うだけで、現に日数を決めた約束には従わず、今日ありて明日あるを知らないのである。
     (中略)
     欲情は正邪曲直を判断する力をなくし、貧欲の弊については筆紙では書き表せない。この様な状態である上に家庭に教えなく外に学ぶ学校もない、このまま教育もせず放置しておくと成人になった時はどうなるかと心配である。我が国体を乱すものは教育を受けざる旧土人かと、長嘆息の至りである。
     次で彼等は父母子弟に教えなく、昔から文字上について経験なく、見聞なし。加えて家に書籍の備えなく器具機械なく勿論一として例話なし。


    <類の排除>の論理は,「この類を組織に容れると,組織が乱れる/壊れる」である。
    いま外国籍者に投票権を与えていないのも,「この類を組織に容れると,組織が乱れる/壊れる」を論理とする<類の排除>である。

    <類の排除>は,まったく漠然とした不安によるものから,理論的説明が立つものまで,いろいろである。
    また,「この類を組織に容れると,組織が乱れる/壊れる」は,「組織」をどのレベルで考えるかで変わってくる。
    例えば,「移民を受け容れろ!」を唱える者も,移民を自分の家に招き入れようとは思わない。それは,招き入れるや自分の生活が壊れることを,はっきり見込むからである。


    「差別」は,「反差別」の運動で無くなるのではない。
    <類の排除>の論理が無効になることで,無くなるのである。
    そしてこの場合,<類の排除>の論理が無効になるまでには,時間がかかる。
    時間がかかるのは,事が<系の遷移>だからである。
    ──<ひとの気持ちの変化>は,<系の遷移>の含意 implication である。
    その間,「差別」は続くことになる。

    外国籍者に投票権を与えていないことを「差別」と定める者がいるが,国民全体が「この類を組織に容れると,組織が乱れる/壊れる」の論理の無効を意識するようにならないうちは,これは続くのみである。


      それにしても,貝沢正は,よくよく「差別」がわかっていない者である:
      私は、アイヌを無知だときめつけ、優越感をもった封建的な先生や移住者の日本人が、アイヌを不幸にした元凶だと断定します。


    「反差別」運動家が,「排除」ではなく「差別」のことばを使うのは,「差別」のことばだと問題構造を曖昧にできるからである。
    <類の排除>には,論理 (理屈) がある。
    「排除」のことばを使えば,<類の排除>の論理へとはなしが進まざるを得ない。
    そしてこのときは,場合により「一面では真理」が出てきてしまう。
    その「真理」は,「反差別」運動に不都合なものであり,運動家が抑圧しなければならないものである。

      喜多章明「旧土人保護法とともに五十年」
    『コタンの痕跡』, 1971, pp.367-436.
    pp.433,434
    アイヌ人の貧乏は物質貧乏にあらず、精神貧乏であった。
    何事に対しても為さんとする精神、何事に対しても根強く努力する精神に欠けていた
    故に、物質にも恵まれず、社会の下層に沈淪するが故に社会の蔑視を受ける。
    社会の蔑視を受けることは、あながち人種によるもののみとはいえない。 胆振 [鵡川] の大河原コビサントク氏の如きは、純粋のアイヌ人であったが、彼氏が出席しなければ村会が開けなかった。 それは彼氏が財力において、経世経論の才において、社会人心の上に卓越していたからである。
    いくら和人種だからといっても、落ぶれて乞食となればだれが敬意を払うものか。

    喜多章明に「アイヌは何事に対しても為さんとする精神、何事に対しても根強く努力する精神に欠けていた」と言われたら,どの偉いアイヌも抗えない。
    これは,当時の「一面真理」である。
    そして,「反差別」運動家なら,「アイヌは何事に対しても為さんとする精神、何事に対しても根強く努力する精神に欠けていた」は,オモテに出て来ないよう隠しておかねばならぬものである。

    いまの時代は,喜多章明のことばは当たらない。
    「反差別」の運動が功を奏したというのではない。
    単に,「何事に対しても為さんとする精神、何事に対しても根強く努力する精神に欠けている」の指示対象が消滅したということである。