Up 「反差別」イデオロギー : 要旨 作成: 2017-03-03
更新: 2017-03-03


    「反差別」を運動する "アイヌ" は,「アイヌ」をアピールしつつ「反差別」を唱える者である。
    彼らは,保護派"アイヌ" とは違う。
    保護派"アイヌ" は,アイヌ終焉後アイヌ系統者の貧窮に対する救済措置を,政治に求める者である。

    保護派"アイヌ" は,同化派"アイヌ" の系統である。
    一方,「反差別」を運動する "アイヌ" は,「観光アイヌ」の系統である。

    「観光アイヌ」は,同化派"アイヌ" に嫌悪されてきた。
    ひとは嫌悪される存在でいることは耐えられないから,アリバイをつくろうとする。
    そして「観光アイヌ」がつくったアリバイが,「反差別」運動である。


    「観光アイヌ」が「反差別」を手に入れる経緯において,二つの局面が存在した。
    一つは,社会主義者が「反差別」を教えるという局面。
    もう一つは,1960年代終わりの頃から始まる新左翼ムーブメントである。
    「アイヌ」のアピールは,新左翼ムーブメントからである。

    「反差別」と「アイヌ・アピール」を得て,「観光アイヌ」は元気づく。
    しかも,「観光アイヌ」を敵視した同化派"アイヌ" は,既に同化を果たしてシーンから退場している。
    時代は「観光アイヌ」のものとなった。


    「反差別」に誘われてくる者は,3タイプある:
    • 反体制 "シャモ"
    • 人権 "シャモ"
    • 新米 "アイヌ"

    反体制 "シャモ" は,「反体制」の契機を「反差別」に見る。
    「反体制」には,「現左翼政党が政権をとる」と「暴力革命」の2タイプがある。
    本多勝一が貝沢正や野村義一にすり寄ってくるのは,前者である。
    太田竜・新谷行が結城庄司にすり寄ってくるのは,後者である。

    人権 "シャモ" は,人権ジャーナリズムおよび一般ヒューマニストである。
    彼らは,「人権」のネタを探す。
    このとき,"アイヌ" が唱える「反差別」は,ごくわかりやすものになる。
    《心ないシャモが心あるアイヌを虐げる》の話につくられているからである。

    新米 "アイヌ" は,自分のアイデンティー探しで,「アイヌ」を択ぼうとする者たちである。
    事実の「アイヌ」は択びたいものにならないが,《心ないシャモが心あるアイヌを虐げる》の<心あるアイヌ>──フィクションの「アイヌ」──は択びたいものになる。


    「反差別」に誘われてくる者──反体制 "シャモ",人権 "シャモ",新米 "アイヌ" ──は,全体で結構な市場を形成することになる。
    「アイヌ」関連書籍は,彼らで()っている。
    翻って,彼らの期待に添う内容のものが,「アイヌ」関連書籍として実現し得るものである。
    こうして,「アイヌ学者」も,《心ないシャモが心あるアイヌを虐げる》を「アイヌの歴史」にしていく者になる。


    以上は,「反差別」運動の勝利のように見える。
    だが,系のダイナミクスは,そんな単純なものではない。

    先ず,「観光アイヌ」の「反差別」は,マッチ・ポンプ型の根本矛盾である:
      《「アイヌ」をアピールして, 「アイヌ」と見ることを禁ずる》
    周りはどう対応してよいかわからないので,つぎの状況になった:
      《「アイヌ」をタブーにする──
        "アイヌ" が「アイヌ」を口に出すのはよいが,
        "シャモ" の方から「アイヌ」をを口に出してはならない》
      鳩沢佐美夫「対談「アイヌ」」(1970)
    沙流川(さるがわ)―鳩沢佐美夫遺稿』, pp.153-215.
    pp.189,190.
    ようやく貧村、不良環境地区という汚名のなかから這い上がった新生聚落 [二風谷] を、なぜ [アイヌ観光地として売り出すということをやって] ふたたび嘲りの対象地に落とすのか!
    少しは地域を歩き、一般住民の声にも耳を傾けるべきだ。
     ‥‥‥
     ○ 教室の中では、差別的な教育は一切していない。
    それなのに、教室から一歩外に出ると、もう口も開けないような雰囲気を何故に作るんだ──。
       (三十九歳・教員)。
     ○ 果して、真のアイヌ文化なり、民族なりというものを、理解してもらうためにやっているのか、どうかという疑問にぶつかる。
    そもそもああいうあたりからも、問題点が出てくるような気がする。
    アイヌだとか、和人だとかいうことなしに、お互いに生きようと努力している。 それだけに、アイヌという人たちにも考えてもらいたいと思う。
       (三十五歳・農業)


    また,「反差別」キャンペーンは,先鋭化 (極端化) する。

    「観光アイヌ」は,自分の立場にコンプレックスをもつ者である。
    このコンプレックスは,<先鋭的>をポーズさせる。
    コンプレックスの裏返りとして,「反差別」キャンペーンで<先鋭的>を振る舞うことになる。

    これの典型が,二風谷の貝沢正である。
    白老の野村義一も,<先鋭化>のルートに嵌まっていく。
    阿寒の山本多助の場合は,《「ドン・キホーテ」的資質が<先鋭的>に見えることがある》といったものである。 ──「第26回日本人類学会, 日本民族学会連合大会」潰し (1972) で太田竜・新谷行・結城庄司と一緒になったり,貝沢正団長の「北海道アイヌ中国訪問団」(1974) に加わったりしている。

      菅原幸助『現代のアイヌ』, 現文社, 1966.
    p.219
     アイヌの組織でもうひとつ、見逃がすことのできないことは「本州の同和政策とアイヌの同化」運動が手をつないで前進すべきである」という動きがあることだ。
    推進者は日高平取(びらとり)町の貝沢正さんを中心にした中年層のひとたちである。
    貝沢さんたちは秋の仕事がおわると、毎年のように大阪、京都方面にでかけていく。 そこで部落解放運動の進め方を視察し、水平社の運動家たちと会ってアイヌの実情を訴えてきた。 奈良県北葛城郡上牧村に住む元小学校長松浦勇太郎さん (61歳) らと文通して、どうしたら差別や偏見のない社会をつくることができるか、について熱心に話し合ってきた。
     ある年、部落解放全国大会が大阪市でひらかれ、貝沢さんたちも招かれて出席した。
    「北海道には部落民というのはないが、部落民よりもっと [差別で] 苦しんでいるアイヌがいる。みなさんの運動にアイヌの問題もいっしょに加えて下さい」
    貝沢さんたちはこう訴えて、人間平等を力説した。

    しかし. 「観光アイヌ」は「アイヌ利権」の系の中にある。
    「アイヌ利権」は,「反差別」キャンペーンの先鋭化は望まない。
    マーケットを損なうからである。

    こうして,貝沢正や野村義一のように<先鋭的>をポーズするようになった "アイヌ" は,つぎは「アイヌ」シーンから退場するのみとなる。


    そして,「反差別」も,これを唱えることがだんだんと時代錯誤のものになる。
    実際,いまは「反差別」がすっかり除かれた「観光アイヌ」──即ち「アイヌの見世物」──の時代である。
    いま "アイヌ" であるとは,直接・間接に「アイヌの見世物」と係わるということである。