Up 「のんびりと楽しく生活」 作成: 2017-02-08
更新: 2017-02-08


      知里幸惠『アイヌ神謡集』, 1923.
    「序」
     その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
     冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久にさえずる小鳥と共に歌い暮してふきとりよもぎ摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とるかがりも消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,まどかな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.‥‥‥

    これは,何の表現と言ったらよいのか。
    アイヌを美化しないではいられない倒錯した心──これの表現である。


    生活は,苛酷・辛酸を含む。
    自然に翻弄される生活形態であれば。苛酷・辛酸は当然度合いが強まる。
    漁猟採集生活は,このような場合である。

    漁猟採集生活は,自然のサイクルとして,凶年がある。
    凶年には,ひとは餓死する。
    そして,餓死と向き合う生活は,「のんびりと楽しく生活」ではない。

    ひとは,自然災害を免れない。
    漁猟採集生活は,自然災害に対し専ら受け身である──防災技術を有しない。
    そして,災害を被った生活は,「のんびりと楽しく生活」ではない。

    ひとは,病気を免れない。
    漁猟採集生活は,病死率が高い──衛生観念・医療技術が乏しい。
    そして,自分が病気したり,大事な者を病死で失った生活は,「のんびりと楽しく生活」ではない。