Up 曲解 作成: 2017-01-27
更新: 2017-03-27


    『旧土人保護法』を差別法だとひとに思わせようとする者たちが,いる。
    彼らは,「和人は『旧土人保護法』を以てアイヌを差別し,アイヌの生活を破壊した」を唱える。
    これは,デマゴギーである。


    このデマゴギーは,二つのデマゴギーでなる。
    一つが,「『旧土人保護法』を以てアイヌの生活を破壊」である。

    『旧土人保護法』は,明治32年に制定である。
    明治政府になってから,30年以上経っている。
    この間,アイヌはどうなっているか。
    アイヌの生活は壊れ,アイヌは「窮民」化している。
    そこで,『旧土人保護法』となったわけである。

    デマゴギーには,一つの類型がある
    それは,「原因結果をひっくり返す」である。
    「『旧土人保護法』を以てアイヌの生活を破壊」は,これである。


    そしてもう一つのデマゴギーが,「『旧土人保護法』を以てアイヌを差別」である。
    「旧土人」のことばが差別語でないことは,「旧土人」の用語の経緯から,はっきりしている:
      明治11年11月4日付本支庁宛「第二十二号達」
    旧蝦夷人ノ儀ハ 戸籍上其他取扱向一般ノ平民同一タル勿論ニ候得共 諸取調者等区別相立候節ノ称呼一定不致候ヨリ 古民或ハ土人旧土人等区々ノ名称ヲ付シ不都合候条 
    自今区別候時ハ 旧土人ト可相称 
    但旧土人ノ増減等 後来ノ調査ニ差支サル様 別ニ取調置へシ


    「旧土人」は差別語ではないが,ついでに言えば,「土人」も差別語ではない。
    「土人」は,いつ頃から差別語とされるようになったのか。
    すくなくとも,1960年より前ではない。
    それまでは,「土人」はふつうのことばである。

    「土人」が差別語でない証拠に,終戦直後時期,先鋭的"アイヌ" を引き寄せた『アイヌ新聞』に, 「土人」のことばがふつうに使われている:
      アイヌ新聞, 第7号, 1946-07-01
    アイヌ問題の解決
    和人対土人の "融和" こそ急務
    斗争は大禁物!!
    最近アイヌ土地問題等を中心に旧土人対和人の斗争が表面化し、之が解決方も日本人側官憲に頼むに足らずとしアイヌ側の一部では直接進駐軍へ訴へるものもあり、斯くては民主化への目的に反するものとし、進駐軍も日本官憲に円満な解決を望むものである態度を示してゐる。
    然し乍ら之等アイヌ問題は通称一般社会問題と異る "民族問題" であり、然も従来道庁や裁判所等でも責任ある解決をしたのが余り少なかった為に結局進駐軍へ請願してゐるものである。
    此の際特に北海道庁は等閑視する事なく、絶対責任を以て、現在発生して未解決の侭にあるアイヌ問題を解決すべきであると共に、和人対土人の融和といふ面にも指導の力を注がねば結局道庁の無責任振りを暴露するものであらうと識者は観測してゐる。
    尚アイヌ問題研究所では近く支庁別の「アイヌ会議開催」方を増田道庁長官に訴へる事を決定期待されてゐる。

    実際,「土人」に対する思いは,「差別」とは全く逆の「畏敬」である。
    「アイヌ」についても,そうである。
    かつて,「アイヌ観光」ブームがあった。
    「どこもかしこもクマの置物・壁飾り」という時代があった。
    どこの世界に,自分が差別している者のグッズをよろこんで飾る者がいるか!
    「アイヌ」に対する感情が「好感」であったからこそ,グッズが飾られたのである。