保護派"アイヌ" は,つぎを己の生き方にしようとする者たちである:
保護派"アイヌ" は,つぎを主張しなければならない:
つぎは,保護される資格にはならない:
<自分たちは,保護される資格があった者たちの子孫である>
実際,「先祖に保護を受けていた者がいたから,自分も保護せよ」は,世に通らない。
保護施策の対象になる者は,あくまでも「現役」で要保護でなければならない。
戦前までの「アイヌ」保護施策も,「アイヌ系統者が困窮している」が保護の理由であって,「アイヌ系統者である」が理由なのではない。
即ち,保護派"アイヌ" の
の「資格」は,つぎではない:
あくまでも,つぎでなければならない:
こうして,保護派"アイヌ" は,つぎの二つを主張しなければならない:
- アイヌは,保護される資格がある
- 自分たちは,現役でアイヌである
そしてこれを行うとき,それは自ずと事実捏造・歴史改竄に進む。
保護派"アイヌ" は,<アイヌは,保護される資格がある>の理由を,つぎのものにした:
《アイヌは,困窮し,差別されている
──不幸な境遇から救われるべきである》
しかし,これはだんだん通用しなくなる。
軌道修正が必要になる。
こうして考え出したのが,つぎのものである:
《アイヌは,先住民族である
──土地・生活を奪われたので,賠償されるべきである》
しかし,こんなはったりは,通用するものではない。
学術的・法理論的にきちんと応じられたら,おしまいである。
そこでいまは,つぎを<アイヌは,保護される資格がある>の理由にしている:
《アイヌは,絶滅危惧種である》
──絶滅しないよう保護されるべきである
こうして,保護派"アイヌ" は,「アイヌがここにいるぞ」の定期的デモンストレーションを,負う者になる。
アイヌ衣装を着て,カムイノミ,ウポポ,鮭の棒突き,‥‥‥。
しかしこれも, 「バレバレ」である。
そしてこれは,かつてつぎのように反省された「観光アイヌ」の蒸し返しである:
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貝澤藤蔵 『アイヌの叫ぴ』(1931)
小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』, 草風館, 1998. pp.373-389.
pp.374,375
内地に居られる人々は、未だ、アイヌとさえ言へば、木の皮で織ったアツシ(衣類) を着て毎日熊狩をなし、日本語を解せず熊の肉や魚のみを食べ、酒ばかり呑んで居る種族の様に思ひ込んで居る人が多い様でありますが、之は余りにも惨なアイヌ観であります。
折襟にロイド眼鏡を掛けた鬚武者の私が、毎日駅に参観者の出迎へに出ると、始めて北海道に来た人々は、近代的服装をしたアイヌ青年を其れと知る由もなく、私に色々な質問をされます。
内地でも片田舎の小学校の先生かも知れません其人に、「アイヌ人に日本語が分りますか?何を食べて居りますか?」と質された時、私は呆れて其人の顔を見るより、此人が学校の先生かと思ふと泣きたい様な気分になりました。
「着物は?食物は?言語は?」とは毎日多くの参観者から決って聞かれる事柄です。
けれど此様に思はれる原因が何処にあるかとゆふ事を考へた時、私は其人々の不明のみを責め得ない事情のある事を察知する事が出来ます。
常に高貴の人々が旅行される時大抵新聞社の写真班が随行されますが、斯うした方々が北海道御巡遊の際、支庁や村当局者が奉送迎せしむる者は、我々の如き若きアイヌ青年男女では無く、殊更アツシ(木の皮で織った衣類) を着せ頭にサパウンベ(冠) を戴かしたヱカシ(爺)と、口辺や手首に入墨を施し首に飾玉を下げたフツチ(老嫗) だけです。
此の老人等がカメラに納められ、後日其の時代離れのした写真と記事が新聞に掲載される時、内地に居てアイヌ人を見た事のない人々は誰しもが之がアイヌ人の全部の姿であると思ひ込むのも無理ない事だらうと思ひます。
否々其ればかりではなく、時偶内地に於て内地人がアイヌ人を見受ける時は、山師的な和人が一儲けせむものと皆を欺し、アイヌの熊祭と称して見世物に引連れて居る時であります。
之じゃ何時迄経っても内地に居られる人々は熊とアイヌ人とを結び付けて考へるだけであって、真に時代に目覚めたアイヌ人の姿を見、其の叫ぴを聞き得ない訳であります。
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しかし,<アイヌは,保護される資格がある>ももうこの段階になると,批判の追い打ちをかけるところではなくなる。
保護派"アイヌ" は,「アイヌ差別反対」の旗を振り上げ事実捏造・歴史改竄・言葉狩り・言論封じを行い,「アイヌ民族/先住民族」の旗を振り上げ事実捏造・歴史改竄・言葉狩り・言論封じを行っているときは,悪質であった。
しかし,「アイヌ文化継承」を佇まいにするようになったいまは,かつての振る舞いはしたくてもできないものである。
そして,保護派"アイヌ" は,いまはすっかり「アイヌ利権」「北海道観光」に取り込まれる形になってしまい,つらい立場にある。
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