Up | 「アイヌの楽園」: 要旨 | 作成: 2016-11-28 更新: 2016-11-28 |
"アイヌ"イデオロギーは,国から賠償をとる政治運動のイデオロギーである。 国から賠償をとるためには,国に罪がなければならない。 そこで,国の罪を造形する。 このとき造られるのが,和人悪者論である。 ストーリーは,「和人はアイヌの楽園を奪った」である。 「和人はアイヌの楽園を奪った」は,「奪った楽園を返せ!」になる。 「奪った楽園を返せ!」はポーズである。 「返せないなら,賠償しろ!」へと進めるためのステップである。 "アイヌ"イデオロギーのイデオロギーたる所以は,「失楽園」のストーリーを「和人はアイヌの楽園を奪った」の和人悪者論に転じるところにある。 「楽園を失った」を「楽園を奪れた」に変えるとき,「楽園」の位相が変わる。 「楽園を失った」では,「楽園」は<状態>である。 「楽園を奪れた」では,「楽園」は<物>である。 「楽園=状態」は,「返せ!」を言えない。<状態>は<遷移の断面>であり,そして<遷移>は,戻せるものではないからである。 対して,「楽園=物」は,「返せ!」を言える。 「奪った楽園を返せ!」は,自家撞着する。 「奪った楽園を返せ!」は,「自分たちはその楽園に棲みたいのだ!」が論理的含意 (implication, 必要条件) になる。 実際,「自分たちはその楽園に棲みたいのだ!」でなければ「奪った楽園を返せ!」とはならないわけである。 「自分たちはその楽園に棲みたいのだ」に対しては,「本気かね?」のことばを返すことになる。 なぜなら,その「楽園」は,"アイヌ" が選ぶものにはならないからである。 その「楽園」は,「野生の楽園」である。 "アイヌ" は,現代人である。 現代人に「野生」はできない。 「アイヌ」は,現代人があこがれるようなものではない。 特に,「アイヌ」は,"アイヌ" があこがれるようなものではない。 現代人にとって「アイヌ」は,「自分がこれに生まれなくてよかった」と思うような存在である。 特に,"アイヌ" にとって「アイヌ」は,「自分がこれに生まれなくてよかった」と思うような存在である。 <アイヌ=野生>は,現代人がなろうとしてもなれないものである。 この「なれない」の思いは,リスペクトに変わっていく。 実際,「アイヌ」は,これの「野生」を以て,自ずとリスペクトされるものになる。 アイヌに対するリスペクトは,「野生」に対するリスペクトである。
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