Up | 「交易」の用語法 | 作成: 2016-11-25 更新: 2016-11-25 |
コンビニでの買い物は,金と棚の品との物々交換である。 日雇いに出るのは,労働力と金の物々交換である。
物々交換は,「交易」である。 よって,農家が作物を卸しに出すこと,コンビニで買い物をすること,日雇いに出ることは,どれも交易である──となる。 一般化すると:
消費者は,「交易の民」である 賃金労働者は,「交易の民」である 理屈ではこうなる。 しかしこうなると,「交易の民」の意味が無くなる。 「交易の民」の意味が無くなってしまったのは,「物々交換」をそのまま「交易」に言い換えたからである。 翻って,「物々交換」を「交易」に言い換えるときは,実は何かを想定していることになる。 暗黙に想定しているそのものは,「商い」である。 実際,「物々交換」に「商い」が含まれているとき,「交易」のことばが生き始める。 物々交換を「交易」にするところの「商い」は,必ずしも,物々交換する二者の両方に存しているわけではない。 実際,
買い手にとって交易である。 ──買った品で商売することが,この先に控えている。 コンビニでの買い物は,買う者にとっては交易でないが, 売り手にとって交易である。 ──得た金で商売することが,この先に控えている。 日雇いは,労働者にとっては交易でないが, 雇用者にとって交易である。 ──労働力が生産したもので商売することが,この先に控えている。 「アイヌ学」の中に,アイヌを「交易の民」にしようとする流れがある。 これは,事実捏造・歴史改竄である。 アイヌは,衣食住材の基本的部分を和人依存にしている。 必要物を和人から得る方法は,<物々交換>である。 用意するものは,狩猟採集した物,ないし労働力である。 「アイヌは交易の民」学者は,この物々交換を「交易」と称する。 これは,一次産業者,消費者,賃金労働者を「交易の民」と称することと,同型である。 一次産業者,消費者,賃金労働者を「交易の民」と称するのは,噴飯物である。 そこで,「アイヌは交易の民」は,噴飯物である。
これが「アイヌの交易」になるのは,そのアイヌがつぎに,物々交換で得た物で商いをする場合である。 「遠路はるばる」は,「交易」かどうかと関係ない。 コンビニでの買い物が,遠くのコンビニに行くからといって「交易」にならないのと,同じである。 「アイヌは交易の民」学者に「アイヌは交易の民」を言わせたものは何か? それは「体裁」の考えである。 「アイヌ学」は,ここしばらく,「アイヌ」に体裁をつけることが流りである。 この流れの中で「学者」は,アイヌが「和人依存の民」であるのを体裁悪いものに思い,「アイヌは交易の民」のことばをひねり出すことになる。 実際,彼らは「先住民族アイヌ」を立てる者であるが,「先住民族アイヌ」はアイヌが「独自の民」でなければ立たないわけである。 |