Up 『"アイヌ" 運動』: はじめに 作成: 2017-01-25
更新: 2017-01-25


    アイヌが,終焉する。
    終焉してしばらくは,アイヌ系統者が「アイヌ」と見られる状態が続く。
    理由は,2通りである:
    1. アイヌが終焉したことを知らない
    2. アイヌを「人種」のように思っている

    実際,「アイヌ観光」は,観光客が「アイヌ」役者を本物のアイヌとして見ることで,成立する。
    アイヌは過去のものであり,したがって「アイヌ観光」は騙しであるが,これはいまも通用している。
    それは,上のa,bがいまも続いているからであり,また「アイヌ観光」がa,bの強化に努めているからである。


    アイヌ終焉後のアイヌ系統者は,和人と交わって生活する。
    和人のうちには,「アイヌ」を見下したりいじめようとする者がいる。

    蔑視・いじめは教養の無い者がするのであるが,逆も真である。
    即ち,教養の無い者は,異質・異形に対しては,見下したりいじめようとするのである。
    実際,子どもはみな「アイヌ」いじめをする者になる。
    これは仕方がない。
    教養の機能は,生き物の(なま)の抑圧である。
    そして生き物は,自分が優位に立てるところの異質・異形に対しては,攻撃するものなのである。

      鳩沢佐美夫, 「遠い足音」(1964)
    『沙流川──鳩沢佐美夫遺稿』, pp.130,131
     が、おし黙っていた亀夫が、
    「あっ! ア・イヌ来た」
     と、素頓狂な声をあげた。
     皆は、いっせいに亀夫が指すほうを見やった。が、どこにも、犬は見あたらなかった。
    「犬なんか、来ていないんでないか」
     と、為男は、抗議するでもなしに言った。
    「あら、あしこに来ているんでないか」
     と、亀夫は、顎をしゃくった。
     が、やっぱり犬は見えなかった。
    「ア・イヌ来た、ほんとうだ」
     と、猛や、満も言い出した。
     為男は、何事かに思い当たった。向こうから、アヌテヤ・ハポ (婆) が来ていたからであった。
    「嘘だい!」
    「嘘でないぞ、あそこに来ているんでないか、アイヌが」
    「犬でないわイ」
    「犬でないか、コタンなんか」
    「違うわイ」
    「犬みたいに、豚の臓物や、馬の骨を拾って食うんでないか──」
    「そんなもん、食わんわ」
    「食うぞこの!うちの父さんたち、そう言っているぞ」
    「そんなこと、嘘だい」
    「うわっ、赧くなった、赧くなった」
    「臭い、臭い」
    「イヌ、イヌ!」
     と、みんなは、口々に言い出した。
     為男は、「こんにゃろ」と、鞄を振り回した。
     猛たちは、ウンタンコ、ヤーイ、ヤーイ、と逃げ回っていたが、為男を残して、学校のほうへ走り去った。


    この状況にあってアイヌ系統者が訴えたいと思うことは,「アイヌは過去のものだ」(「痕跡しかない」) である。

      知里真志保, 『アイヌ民譚集』(1937),「後記」
    岩波文庫版, pp.168,169
    もはや, 炉ぶちを叩いて夜もすがら謡い明かし聴明(ききあか)す生活は夢と化し,熊の頭を飾って踊狂う生活にいたっては夢のまた夢と化してしまった.
    新しい社会における経済生活の圧迫や,滔々(とうとう)として流込む物質文明の眩惑(げんわく)は,彼らをして古きものを顧るに(いとま)なからしめた.
    生活のあらゆる部門にわたって,「コタンの生活」は完全に滅びたといってよい.
    四十歳以下の男女はもちろんのこと,五十歳以上の男子といえども,詞曲・聖伝のごとき古文辞を伝え得る者はほとんど無い.
    (わず)かに残っている数人の老媼(ろうおう)たちですら,今では全く日本化してしまって,その或者は七十歳を過ぎて十呂盤(そろばん)を弾き,帳面を附け,或者はモダン婆の綽名(あだな)で呼ばれるほどにモダン化し,或婆さんは英語すらも読み書くほどの物凄(ものすご)さである.
    毎日欠かさず新聞を読んで婦人参政権を論ずる婆さんさえいるのである.
    内地人の想像さえ許さぬ同化振りではないか.


    しかし,「アイヌは過去のものだ」にすると都合の悪い者が現れてくる。
    「観光アイヌ」,そして「アイヌ」を売りにする産業である──合わせて「アイヌ産業」。
    「アイヌ産業」は,「アイヌはいまのものだ」(「継承されている」) にしないと,成り立たない。

    アイヌは過去のものだ」(同化派) と「アイヌはいまのものだ」(保護派) は,対立するのみである。
    この対立は,『北海道旧土人保護法』をどう見るかで,はっきりしてくる。

    同化派は,つぎの考え方をする:
      『北海道旧土人保護法』こそ,アイヌがいまも続いているように思わせるものである。
      これを廃止すべし。
    対して,保護派 (「アイヌ産業」) は,つぎの考え方をする:
      『北海道旧土人保護法』こそ,アイヌがいまも続いていることの根拠になる。
      廃止するのであれば,これに変わるアイヌ根拠法が制定されねばならない。
      そしてそのときは,「アイヌ産業」 を大きく推進する内容の新法実現に向けて,運動して行かねばならない。

    ここで,同化派は,団体では「旭川アイヌ協議会」である。
    保護派は,阿寒,白老,二風谷の「観光アイヌ」が中心の「ウタリ協会」である。

      小川隆吉『おれのウチャクマ』, 寿郎社, 2015.
    pp.130,131
     当時、旭川市長五十嵐広三氏が旭川アイヌ協議会の決定をうけて、北海道旧土人保護法と旭川市旧土人保護地処分法を廃止することを全道市町村長会議の議題として提出するというのだ。‥‥‥
    ウタリ協会本部がこれを知ったのが二日前。 突然のことに驚いたウタリ協会理事、浦河から向井さん、静内から秋田さん、平取から貝沢正さん、鵡川から阿部さん、白老から野村さん、事務局長葛野守市さんそれに私。
    七人が抗議のために旭川市役所に向かった。
    市が用意したホテルの一室で、今回の提案はウタリ協会の合意が無いこと、取り下げてくださいという挨拶から始まった。
    五十嵐氏は次のように述べた。
     この法律は100年を経過し法律としての機能はなくなった。 市政を進めるうえで妨げにこそなっても今後旭川アイヌが生活する上で使える条文は全て削除されていること、旭川のアイヌが一致して廃止に賛成していることの二点をあげた。
    これに対し協会理事は次のように反論した。
     旭川アイヌの意思というが70名前後で道ウタリ協会会員数とはケタがちがう。 まして無条件廃止などとんでもない。
    今後この件については反対することを告げて物別れに終わった。


    この二派の勝負は,同化派が自然消滅 (「存在をデモンストレーションしても,メディア・産業界・政治の取り上げるところとならない」の意味を含めて「自然消滅」) し保護派が残るという格好で,保護派の勝ちになる。
    以降,"アイヌ" シーンは,「ウタリ協会」の独壇場となり,いまに至る。

      この間,協会は「ウタリ」の名称も「アイヌ」に変えている──「アイヌ産業」の中核機関として「アイヌ」ブランドを打ち出していかねばならない立場上,この流れは当然である。


    アイヌ終焉から保護派独壇場までの過程は,自身を "アイヌ" として現すアイヌ系統者が減じる過程である。
    保護派の独壇場とはいっても,保護派"アイヌ" の数はほんの僅かである。
    彼らを大きく見せているのは,この間着実に大きくなってきた「アイヌ利権」グループ/政治であり,そして<演出>である。

    併せて,「アイヌ協会」の中身も,この間に変わっている。
    実際,「アイヌ利権」グループ/政治にとって不具合になってきた者は,失脚させられるのが定めである。(系のダイナミクス!)
      小川隆吉『おれのウチャクマ』, 寿郎社, 2015.
    pp.137
     「アイヌ文化振興法」ができる前の年の総会で、野村義一さんが理事長からおろされた。 野村さんがアイヌ新法を実現する先頭に立っていたんだ。 あの人は、新しいアイヌ法の下でも理事長を続けたいという気持ちがあったと思うよ。 なのに理事会の投票をやったら笹村に決まってしまったんだ。
    同時に俺も理事から外された。
    あれはクーデターのようなものだった。
    ウタリ協会の転換点だったと思う。
    うしろで政治家が動いていたのでないか。‥‥‥
    野村さんのあとウタリ協会理事長になった笹村は、「文化振興法」がウタリ協会のアイヌ新法案と全然違うのに一言も文句を言わないんだから。