"シャモ" になるとは,政治"アイヌ" が立てる「アイヌに対するシャモの原罪」を受け入れるということである。
「アイヌに対するシャモの原罪」イデオロギーに入信して,贖罪"シャモ" になることである。
贖罪"シャモ" は,「アイヌ系統者=アイヌ=和人が悪行をする者」を命題にする者である。
彼らは,アイヌ系統者に原罪意識をもつ。
贖罪"シャモ" が示してくる「アイヌ」ないし「アイヌ系統者」の括りは,<一括>である。
これは,文学"アイヌ" の批判するところとなる。
佐々木昌雄 :「"シャモ" は "アイヌ" を描いた」(1974)
『幻視する<アイヌ>』, 草風館, 2008, pp.163-188.
|
p.163,164
時には避けようもなく自らに迫ってくる作品というものがある。
それは、その作品の舞台に自分の現実を。
ひったり重ね合わせることのできる場合とか、登場人物に自分の幻想を仮託し、夢にひたりきれる場合とか、その作品のたった一行が、それまで言いえなかった自分の想いを鮮かに言い当てている場合とか、様々である。
私の場合は、しかし、それらとは全く逆に、仮想の私の像を無理に押しつけてくるような作品 [三好文夫『『シャクシャインが哭く』, 1972』] であった。
それはまさしく私に "迫ってくる" のである。
その "仮想の私の像" とは、私が帰属すると決めつけられている集団の仮想の像であり──手取り早く言えば "異族" の仮想の像であり、私自身から見れば不可解な強制であった。
その不可解な想いを書き綴ることは、文芸批評と交わるところは少ないだろうけれども、この "日本" で "異族" の像を顕わに造る者たちが、その時々の言語表現の端的な具体の一つである小説創造において、どのような仮想に囚われているかを、少しばかり示してゆくことにはなると思われる。
p.179
これら三人の「アイヌ」の登場人物の描写から浮かび上がってくるのは、作者 [三好文夫] の人間評価の価値観である。
いま述べてきたことに、次の部分を重ねてみると、それは判然としてくる。
「 |
シャモから取り戻さなければならない第一のものは、奪われた "アイヌの心" だと私は思います。
そして同時に、アイヌの中からはき出さなければならないものは "アイヌ系日本人" という極めてあいまいなシャモになりさがった心だと思います。
私は、"アイヌ系日本人" という言葉が大嫌いです。
なぜかかといえば、私は "アイヌ" なのですから。‥‥」
|
これは「花沢トミ子」が書いた文章の一節であり、「誰ひとり答えるもののなかった彼女の質問に対しての、自身がさぐり出した、まさしく明快な解答なのだ」と [主人公の]「わたし」は把える。
つまり、「わたし」=作者 の最も優れた「アイヌ」像は、自ら「アイヌ」であることを宣言し「シャモ」に奪われたという「アイヌの心」の再奪還を期する者であり、「アイヌ」の「伝統」を「発展」させてゆくことで「アイヌ」の自己主張をする者である。
そういう者が「誇り高い」「アイヌ」であり、「アイヌ」の有「資格」者である、ということになる。
p.181,182.
「わたし」 [作者] は幾つかの主張の中で右往左往する。
そして、真歌の丘での「シャクシャインの像」の除幕式に「取材」にでかける。
そこで、「わたしは、再び、アイヌモシリ収奪者の後裔であるわたし自身について、なにをどう考えるべきなのか、わからなくなってしまっているのだった」と結んで、この作品は終わる。
‥‥‥
[結末近い、除幕式取材へ出かける直前の「わたし」の心の描写はこうである:]
「 |
わたしはいったい、アイヌ同情者なのか。
人間平等をふりかざして天皇を敬まう、良い振りこきの人道主義者か。
アイヌ人に贈罪しなければならないとする単純な殉教者か。
そういうことなら、早々に北海道、つまりアイヌモシリから退散することが先決ではないか。
アイヌモシリ収奪に加担した和人の後裔ならそれらしく、アイヌ人の存在を無視していればよいではないか。
わたしは結局報道人の立場で、アイヌ問題を利用しているだけではないかという懐疑が、わたしにはつきまとっていた」
|
|
|
ちなみに,作者三好文夫のポーズは,当時において,ありふれたものである。
時代は,「虐げられていない者は,虐げられている者の存在に負い目をもたねばならない;虐げられている者と連帯し,圧制者と闘わねばならない」であった。
三好文夫は,自分が負い目をもつべき「虐げられている者」に,「アイヌ」を選んだわけである。
これに対する文学"アイヌ" のリアクションは,「ふざけんじゃねえ,何様のつもりでいるんだ!」しかない。
佐々木昌雄のこの批評は,リアクションの仕方を拙っていて,出来がよくない。
|