佐々木昌雄 :「チャランケ──本多勝一の説教について」(1973)
『幻視する<アイヌ>』, 草風館, 2008, pp.193-199
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pp.193-195
[『コタンの痕跡』所収「凌辱者シャモにとるべき道はあるか」の] 最末尾の部分を、いささか長くなるが引用しよう。
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結論は、かなりはっきりしてきたようだ。
少数民族は、少なくとも私の接した諸外国の例でみるかぎり、社会主義社会でこそ真に幸福が約束されている。
いわゆる西側諸国、資本主義諸国の少数民族は、ひとつの例外もなく不幸だった。
私の訪ねたことのない国に関してはよく知らないが、真に幸福な、ブタの幸福でなくて、民族的誇りをともなった幸福感を抱いている少数民族というもののある資本主義国があったらぜひ知りたいと思っている。
だが、これもまだ訪ねたことはないが、社会主義でもソ連はどうなのだろうか。
スターリンは一種の少数民族出身といえよう。
チェコやポーランドとの関係でのソ連にはいわゆる修正主義の欠陥が現れているようだが、ソ連内の少数民族はどうなっているのか。
同様に多数の少数民族をかかえる中国はどうか。
いずれも訪れて実見してみたいところである。
現状は見るまでおあずけとしても社会主義建設がもし理想的にいっていれば、少数民族が幸福になるはずであることは確かだが、資本主義建設がいくら理想的にいっても、少数民族が幸福になることは、まずおぼつかないであろう。
アイヌ系日本人についても、これは当てはまるのだろうか。
社会主義社会というようなことをいうと目をむく人があるので、少し遠慮がちに言うならば、当てはまらないと結論するような材料は今のところ持ちあわせていない。
従ってアイヌが真に幸福になる道は、日本が社会主義国になることであろう。
アイヌ自身のとるべき道は、従って革新陣営に何らかの形でくみすることであろう。
(最近アイヌ系日本人によって創刊された雑誌『北方群』には、明らかにそのような方向を示していることが感じられ、心強く思われた。)
革新政党のとるべき道は. ベトナムの例が示しているように、少数民族がへレン・フォークに対して抱きつづけてきた怨念を、革命勢力に正しくくみこみ、強力なパネへと転化させることであろう。
アイヌについて「良心的」たろうとするシャモのとるべき道は、従ってこのような運動に何らかの方法でそれぞれが可能なやりかたで、加わることであろう。
いかにアイヌを「理解」し、「仲良し」になって「研究発表」してみても、それだけではいつまでも状況は変らぬであろう。
それでは「観光アイヌ」もクマを彫りつづける以外に道はないであろう。
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本多勝一は、昨年『北方文芸』に太田竜にふれた一文を草し、太田を「撹乱屋」と呼んだ。
その言い方にならうなら、引用したこの文から垣間見られる本多は「説教屋」とでも呼ぶべきだろう。
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「説教屋」とは、どういう者の謂か。
それは、人々に、あるいはあるカテゴリーで区別された人々に、かくかくしかじかすべきなりと説いておきながら、自らは手を拱いて傍らで観ているか、もしくは説いたことと逆のことを行う。
そういう者を謂う。
p.198
本多は「アイヌ」に「とるべき道」を説き教えながら社会主義国化した「日本」での「アイヌ」のイメージは何一つないのである。
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佐々木昌雄が本多勝一を「説教屋」と定めるのは,当たっている。
ただし,「説教屋」の謂は,「傍観者・言行不一致者」ではない。
「説教屋」の謂は,文字通り,「正しさを教える者」である。
実際,本多勝一が "アイヌ" を見る目は,危なっかしい幼児を見る目である:
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最近アイヌ系日本人によって創刊された雑誌『北方群』には、明らかにそのような方向を示していることが感じられ、心強く思われた。」
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