Up デマゴギー「同化政策でエスノサイド 作成: 2017-01-08
更新: 2017-01-08


    「アイヌ」は,人を表すことばではなく,生き方/生活形態を表すことばである。
    「アイヌ文化」は,<「アイヌ」を生きる>の諸相のことである。

    「アイヌ」「アイヌ文化」の終焉/滅亡は,《「アイヌ」を生きる者がいなくなる》である。
    そして,《「アイヌ」を生きる者がいなくなる》は,つぎの2段階である:
    1. <「アイヌ」を生きる>が,不利/困難になり,そして不可能になる。
       ──<「和人」を生きる>が,唯一の選択肢になる
    2. <「アイヌ」を生きる>に見切りをつけ,<「和人」を生きる>に向かう


    明治になって,和人入植が本格化する。
    アイヌは,<「和人」を生きる>への移行を余儀なくされる。

    <「和人」を生きる>への移行では,個人によって巧拙の差が出る。
    「できる者」と「できない者」の格差が生じる。

    「格差」は,政治問題になる。
    政策は,子ども対策と大人対策に分かれる。


    子ども対策は,教育政策になる。
    このときの政策は,2通りになる:
    1. 放任する
    2. <「和人」を生きる>の力をつける (「同化教育」)

    明治政府が採った政策は,「同化」である。

    明治政府が採った政策が「同化」だったことにより,"アイヌ"イデオロギーは,《「同化」問責》が内容になっている。
    政策がもし「放任」だったら,"アイヌ"イデオロギーは,《「放任」問責》が内容になるところである。


    大人対策は,生活支援/手当政策である。
    このときの政策は,つぎの3通りになる:
    1. 放任する
    2. <「和人」を生きる>の方へ,背中を押す (「同化」政策──「農民化」)
    3. <「アイヌ」を生きる>を保護する (「隔離」政策──「保護区」)

    明治政府が採った政策は,「同化」である。

    明治政府が採った政策が「同化」だったことにより,"アイヌ"イデオロギーは,《「同化」問責》が内容になっている。
    政策がもし「放任」だったら,"アイヌ"イデオロギーは,《「放任」問責》が内容になる。
    政策が「隔離」だったら,《「隔離」問責》である。


    "アイヌ"イデオロギーは,「同化政策でアイヌが滅亡」を唱える。
    これは,嘘である。
    この嘘をつく者には,確信犯的に嘘をつく者と,嘘と知らずに嘘をつく者の2通りがある。
    そこで,嘘と知らずに嘘をつく者のために,「同化政策でアイヌが滅亡」の間違いを押さえておこう。
    間違いは,つぎの順番である:
        「同化政策 → 滅亡」
    正しくは,つぎの順番である:
        「滅亡 → 同化政策」

    実際,同化政策は,時の政府の<おせっかい>である。
    <おせっかい>をするとしないの差は,<「和人」を生きる>への移行がソフトランディングかハードランディングかの差である。
    政治は,だいたいがソフトランディングを選ぶものである。
    ハードランディングの絵図(「浮浪者・野垂れ死に」) は,政治の美学に合わないのである。