Up 『アイヌと "アイヌ"』──論考のスタンス 作成: 2016-12-27
更新: 2016-12-27


    知里真志保の『アイヌ民譚集』(1937) に金田一京助が「序」を寄せ,知里真志保をつぎのように持ち上げる:
     
    何はともあれ, 本書は, 胆振方言を胆振人なる君の筆で記録し, 君の筆で訳出したものであるから, アイヌ語の綴り方, 切り方, また邦訳の一語一語の全く手に入った訳出は, 何人も追随を許さないものである.
    形は小さいけれども, 実質においては, 今まで出た吾々ストレインヂャーの筆に成るものと, 本質的に価値を異にするものであり, かつ, 姉さんの『アイヌ神謡集』が(すで)にそうであった様に,今度も, 吾々ストレインヂャーによって歪められざる, 純真な話し手の言語感情を知るために,故意に, 一言の干渉も注意もせずに原稿も校正も全然著者自身の創意に任せて成る本書はこの点, 永く, アイヌ語学界に不滅の光を点ずるものであるといってよかろう.

    これに対し,知里真志保が「後記」でつぎのように返す:
     
    私は生れたのは幌別村であったが, 育ったのは温泉で有名な登別(のぼりべつ)であった.
    そこではもはやアイヌの家が二,三軒しかなく,日常交際する所はほとんど和入のみであったから,私は父母がアイヌ語を使うのをほとんど聞いたことがなかった.
    だから,祖母と共に旭川市の近文(ちかぶみ)コタンで人となった亡姉幸恵(ゆきえ)は別として, 私たち兄弟は少年時代を終えるまでほとんど母語を知らずに通したといってよい.
    私が意識的にアイヌ語を学び始めたのは,実は一高へ入ってからのことである.
    本来は母語であるはずのアイヌ語も, 私に関する限り, 英語・仏語・独語などと全く同様に,遙か後になって習得された外国語に過ぎない.
    学校の休みで帰省するごとに,幾らかの暇を()いては前述の婆さんたちを訪ねて廻り,一語一語の意味を,根問い葉問いしては丹念にノートへ書留めて, どうやら詩曲が分るようになったのはつい最近のことである.
    従って金田一先生が本書巻頭の序文において「吾々ストレインヂャーによって歪められざる, 純真な話し手の言語感情を知るために云々」と仰せられたのは,やはり一般の先入観念によって,不用意にも歪められたお言葉である.
    私がその中に生れ, それと共に二十数年間生活して来た所の日本語においてこそ, 本当の言語感情が湧くであろう.
    僅か数年の,それも総計して十回に充たざる帰省によって,片手間に獲た所のアイヌ語の智識は,いうところの「話し手の言語感情」なるものからは,未だまだ遠い所にあるのである.
    もしもそういう意味において,私の訳文を一般の翻訳と別価値に見ようとするならば,それは飛んでもない誤解であることを, 特にお断りしておく.

    そしてこれに続けて,自分のスタンスをつぎのように述べる:
     
     今本書に収めたパナンベ説話の大部分は,私がアイヌ語を学び始めた頃の筆記を整理したものである.
    総数十五に満たない少さではあるが, 村の現在はもうこれ以上の採集が望まれないような状態になってしまった.
    婆さんたちも,パナンベ説話ならまだまだ幾らでもあるといいながら,もはや思い出すことさえできないほどに忘れはてている.
    私は決してそれを悲しむものではない.
    反対に, 暗い陰に包まれている古い伝統を忘れ去って, 一日も早く新らしい文化に同化してしまうことが,今ではアイヌの生くべき唯一の道なのであるから, 幌別村が他村に百歩を先んじて,早くもそういう状態に立到ったことを,私はむしろ喜ばしく思うものである.
    それとともに,捨てて置けば当然に跡形もなく朽果ててしまったはずの古い生活の断片を,僅かながらも私自身の手に掻き集めて後世に残すことを得た愉快さを私はしみじみと感ずるのである.


    知里真志保は,アイヌがとっくに終焉した存在なのに,それを存在していることにする構えに反発する者である。
    その構えが「アイヌ差別」というものなんだぞ,と定めるわけである。

    この「アイヌ差別」をする者は,アイヌ系統者の中にもいる。
    「アイヌ」を興業にしようとするアイヌ系統者たちである。
    知里真志保は,そういうことはやめろというスタンスである:
     
    なるほどいまだに旧套を脱しきれない土地もあるにはある.
    保護法の趣旨の履違えから全く良心を萎縮させて,鉄道省あたりが駅頭の名所案内に麗々しく書き立てては吸引これ努めている視察者や遊覧客の意を迎うべく,故意に旧態を装ってもって金銭を得ようとする興業的な部落(ぶらく)も二,三無いでは無い.
    けれどもそれらの土地にあってさえ,新しいジェネレーションは古びた伝統の衣を脱ぎ捨てて,着々と新しい文化の摂取に努めつつあるのである.

    知里真志保の「アイヌ差別」への反発は,イデオロギー的ではなく,文学的である。
    『北海道旧土人保護法』に対し「趣旨」の考え方ができるのも,知里真志保ならではである。


    アイヌ終焉後のアイヌ系統者が選んだ生き方は,様々である。
    そして,この中に,「アイヌ差別」を自分の生業にすることを選んだ者たちがいる。
    今日,マスコミ・マスメディアが持ち上げ,政治が大事にする「アイヌ」は,彼らである。
    知里真志保が「全く良心を萎縮させて」とこきおろしたアイヌ系統者の精神的系譜が,今日マスコミが持ち上げ,政治が大事にする「アイヌ」である。

    これを「皮肉」と見るのは,文学的である。
    科学は,こうではない。
    科学は,これを系のダイナミクスと捉え,これを研究の対象として「得た愉快さをしみじみと感ずる」のである。