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高倉新一郎 (1974), p.146
部落内の相互扶助は徹底していて、いつでも必要があれば協力を惜しまないばかりでなくその結果はすべての者に分配された。
物おしみをするということが最大の悪徳とされ、たとえ行きずりの者にでも座にある者にはすべてわけへだてなく分配された。
そのかわり、与える力のある者は、猟に恵まれた者 (猟を恵む憑き神のついている者) もしくはニシパ (豊猟人) として尊敬され、与える力がなく常に恩恵を与えられている者は軽蔑され、おのずからそこに階級が生じたのである。
一族の酋長は、祭把などでは家系が重視されたが、現実面では猟運のよいものが尊重されたのである。
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松田伝十郎 (1799), pp.82,83
比所 [ビバセ] 漁場にして土人家三戸あり。
仁三郎 [松田伝十郎] 草小屋に止宿。
夜に入て此所の乙名夷 村長なり マタンカシイ 人名 と云夷来り、 通詞七郎兵衛を以申出るは、今晩我が處に止宿の祝として此品を獻じ申度よしにて持参せしを見に、寄鯨を細くさき干立しものにて、かたきこと石のごとし。
中々齒におよびがたく、すこし食して一禮述(ベ)て、通詞に尋(ね)問へば、尊き人または珍客等あるときは、右様の干魚など遣してもてなすは夷人の風儀と答ふ。
さすれば、本邦の菓子にひとしく聞(ゆ)る。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1974) :『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
- 松田伝十郎 (1799) :『北夷談』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.77-175
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