Up "アイヌ" の終焉 : 要旨 作成: 2017-01-13
更新: 2017-01-13


    本論考『アイヌと "アイヌ"』は,「アイヌの終焉」が序章であり,そして「"アイヌ" の終焉」が終章である。


    「アイヌ」とは,<アイヌの生活>を生きる者のことである。
    この生活は,終焉した。
    アイヌは,無くなった。

    アイヌ終焉後のアイヌ系統者から,つぎのタイプの者が現れる:
      a. 「アイヌ」を騙る
      b. 自分が「アイヌ系統者」であることを,外に向けて発信する

    aは,「観光アイヌ」である。
    生業のために,「アイヌ」を騙る。
    アイヌ衣装のコスプレをして,「アイヌ」のふりをする。

    bは,自分のアイデンティティーの問題として,「アイヌ系統者」であることを引き摺るというものである。
    これには,つぎの2タイプがある:
      b1 : 「アイヌ差別」への反発
      b2 : 「アイヌ系統者」であることを,自分のアイデンティティーに含めたい (「アイデンティティーに「アイヌ系統者」を含めることは,アイデンティティーを豊かにすることである。」)

    a, b1, b2 は,個の分類ではない。
    「スペクトラム」である。
    個によってスペクトル模様が違ってくる,ということである。

    本論考は,「アイヌ終焉後アイヌ系統者であって,aないしbである者」を "アイヌ" と定義した。


    「アイヌ」は,ひとの一般教養から外れる主題である。
    ひとは,「アイヌ」を知らない。
    そこで,ひとは "アイヌ" を「アイヌ」だと思う。

    「アイヌ」が何かは,「アイヌ」をきちんと勉強しなければわからない。
    "アイヌ" のほとんどは,「アイヌ」をきちんと勉強してことのない者であり,したがって「アイヌ」を知らない。
    彼らは,自分を「アイヌ」だと思う。

    「アイヌ」がトピックスになるとき,それはこのような状態──だれも「アイヌ」がなんたるかをわかっていない状態──でトピックスにされている。
    そして,この状態を利用 (「悪用」) する者がいる。
    「アイヌ利権」が,これである。

    「アイヌ」や,メディアの謂う「アイヌ問題」や,「アイヌ利権」を論じようとする場合,先ずこのぐちゃぐちゃな状況をどうにかしなければならない。
    即ち,整理しなければならない。
    そこで本論考は,"アイヌ" を定義し,アイヌとはっきり区別されるようにした。


    メディアが取り上げる「アイヌ問題」の「アイヌ」は,"アイヌ" である。
    この "アイヌ" は,アイヌ系統者のうちのほんの僅かである。
    "アイヌ" ないし "アイヌ"利権パラサイトは,"アイヌ" が少数であることを隠すために,「アイヌ民族」のことばを用いる。
    そしてひとは,このことばに騙される。

    よく見よ。
    メディアに出てくるのは,きまった面子である。
    彼らが何かを訴えと,新聞は「アイヌ民族の怒り」の記事になる。
    そして,読者は,数万人規模の,あるいはそれ以上の規模の「アイヌ民族」を想像して,「アイヌ民族が怒っているんだ」と思うわけである。
    ── "アイヌ" 利権は,世間のこの錯覚を利用してきた。

    しかし,いま真に「アイヌ問題」と称するに値するものは,「"アイヌ" 後継者問題」である。
    「いつもの顔」は,だんだんいなくなる。
    そして,若い世代で "アイヌ" になろうとする者は,いない。

    これは,"アイヌ"利権にとって,深刻な問題になる。
    実際,"アイヌ"利権の「少子化問題」である。


    これまで,"アイヌ"利権は,
      《ごく少数の "アイヌ" から,「アイヌ民族」を錯覚させる》
    を手法にしてやってきた。
    しかし,もう既に
      《"アイヌ" もいなくなったが,引き続き「アイヌ民族」を錯覚させる》
    のステージに入ってきている。

    "アイヌ"利権集団は,『アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案』(2008) を済ませ,これをさらなる「アイヌ新法」につなげるべく,がんぱってきた。
    その「アイヌ新法」は,「アイヌ予算」の拡大を実現するためのものである。
    しかし,この目論見が,「"アイヌ" 少子化問題」で駄目になろうとしている。


    "アイヌ" は,終焉する。
    実際,終焉しなかったらおかしい。
    そして,"アイヌ" 終焉は,いま最後期を迎えているのである。