Up 「アイヌショー」 作成: 2019-10-21
更新: 2019-10-21


      読売新聞 北海道版, 2019-10-20
    アイヌ文化堪能
    新ひだかで催し
     民族共生象徴空間 (ウポポイ、白老町) のオープンに向けて盛り上げを図るアイヌ文化フェスティバル (アイヌ民族文化財団主催) が19日、新ひだか町の町公民館で開かれ、約200人の来場者でにぎわった。
     舞台では、地元の静内民族文化保存会と札幌ウポポ保存会が「鶴の舞」などの古式舞踊を披露。アイヌ音楽の公演活動を行っているフンペシスターズは、十勝地方のアイヌが受け継いできた伝統歌謡の数々を歌い上げた。
     公演に先立ち、近藤修・東京大学准教授が「人類学からみたアイヌ文化」と題して講演。来場者は熱心に耳を傾けていた。
     ロビーでは、伝統工芸作家の貝澤守さんと高野啓子さんが、それぞれ木彫と刺しゅうを実演し、体験講座も行われた。
    アイヌ文化フェスティバルで、踊りを披露する静内民族文化保存会の人たち


      砂沢クラ (1983), pp.297-299
     [昭和三十一年] 私たちが芦別の川岸に住むようになってからも、旭川の川村の兄 (カ子トアイヌ) は、いつも私たちのことを気にかけ、何かあるたびに「来ないか」と声をかけてくれました。 川村の兄や旭川の親せきと一緒に神居古漬や勇駒別温泉 (現在の旭岳温泉)、層雲峡、天人峡、白金温泉などの観光地へ招かれて行き、カムイノミ (神への祈り) やウポポ (輪踊り) をするのです。
     思いきり跳ねて踊って、夜はおいしいごちそうを食べながら、なつかしい人といろいろ話が出来て、それだけでもうれしいのに、川村の兄は、いつも、みなに渡す金以外に一万とか二万とかの金を私のふところに入れてくれるのです。

      同上, pp.306,307
     アイヌ祭りの次の年 (昭和四十年) には川村の兄 (カ子トアイヌ) に誘われて、兄の妹たちなど十何人でシサム (和人) の都・東京へ行きました。 兄の妹のヨネさんがムックル (舌琴) を吹き、私がイフンケ (子守歌) を演じ、みなでウポポ (輪踊り) をして見せたのです。
     ‥‥
    私が演じたイフンケは母のムイサシマットから習った歌で「なぜ泣くの お前のお父さんは有名なコタンコロクルだけど 女の子を七人持ったのに 男の子は一人も生まれなかった 私は一番身分のいやしい女中だが コタンコロクルの子孫のおまえを生んだ‥‥」という内容で、人形の赤ん坊をおぶって舞台の端から端まで歩くのです。
     この次の年には九州を十一日間で回り、別府まで行きました。
     兄は帰る時になると、私に、上等の酒やら菓子やら背負わせ、そのうえ、みなに払った金のほかに何万も余計にふところに入れてくれるのです。


    違うのは,このとき "アイヌ" に支払われた金の循環経路である:
    1. 興行師が,客から得た金の中から,"アイヌ" に支払う
    2. アイヌ振興事業法人が,行政から交付された金の中から,"アイヌ" に支払う
    "アイヌ" の役回りは何も変わらない。


    引用文献
    • 砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983.