Up 文学"アイヌ" ──主題の閉塞により終焉 作成: 2019-10-23
更新: 2019-10-23


    世の中は,欺瞞に満ちている。
    ひとの言うこと行うことは,欺瞞に凝り固まっている。
    欺瞞を目にするとこれを暴露せずにはおれない性分の者がいる。
    この暴露を文芸を以てする行為を,文学と謂う。

    "アイヌ" に纏わる欺瞞を暴露する者が,"アイヌ" の中から現れる。
    本論考はこれを「文学"アイヌ"」と謂う。

      違星北斗 (  -1929)
    (抜粋して,左列に<同族を見て>タイプ,右列に<己を見て>タイプを配する)
    滅び行くアイヌの為に起つアイヌ
    違星北斗の瞳輝く

    天地に伸びよ 栄えよ 誠もて
    アイヌの為めに気を挙げんかな

    我はたゞアイヌであると自覚して
    正しき道を踏めばよいのだ

    「強いもの!」それはアイヌの名であった
    昔に恥じよ 覚めよ ウタリー

    勇敢を好み悲哀を愛してた
    アイヌよアイヌ今何処に居る

    アイヌには熊と角力を取る様な
    者もあるだろ数の中には

    深々と更け行く夜半は我はしも
    ウタリー思いて泣いてありけり

    名の知れぬ花も咲いてた月見草も
    雨の真昼に咲いてたコタン

    岸は埋め川には橋がかかるとも
    アイヌの家の朽ちるがいたまし

    新聞でアイヌの記事を読む毎に
    切に苦しき我が思かな

    今時のアイヌは純でなくなった
    憧憬のコタンに悔ゆる此の頃

    あゝアイヌはやっぱり恥しい民族だ
    酒にうつつをぬかす其の態

    泥酔のアイヌを見れば我ながら
    義憤も消えて憎しみの湧く

    酒故か無智な為かは知らねども
    見せ物として出されるアイヌ

    白老しらおいのアイヌはまたも見せ物に
    博覧会へ行った 咄! 咄!!

    見せ物に出る様なアイヌ彼等こそ
    亡びるものの名によりて死ね

    聴けウタリー アイヌの中からアイヌをば
    毒する者が出てもよいのか

    山中のどんな淋しいコタンにも
    酒の空瓶たんと見出した

    淪落の姿に今は泣いて居る
    アイヌ乞食にからかう子供

    子供等にからかわれては泣いて居る
    アイヌ乞食に顔をそむける

    金ためたたゞそれだけの人間を
    感心してるコタンの人々
      ネクタイを結ぶと覗くその顔を
    鏡はやはりアイヌと云えり

    我ながら山男なる面を撫で
    鏡を伏せて苦笑するなり

    砂糖湯を呑んで不図思う東京の
    美好野のあの汁粉と粟餅

    支那蕎麦の立食をした東京の
    去年の今頃楽しかったね

    感情と理性といつも喧嘩して
    可笑しい様な俺の心だ

    俺でなけや金にもならず名誉にも
    ならぬ仕事を誰がやろうか

    滅亡に瀕するアイヌ民族に
    せめては生きよ俺の此の歌

    よっぽどの馬鹿でもなけりゃ歌なんか
    詠まない様な心持不図する

    何事か大きな仕事ありゃいゝな
    淋しい事を忘れる様な

    生産的仕事が俺にあって欲しい
    徒食するのは恥しいから

    或る時はガッチャキ薬の行商人
    今鰊場の漁夫で働く

    東京の話で今日も暮れにけり
    春浅くして鰊待つ間を

    骨折れる仕事も慣れて一升飯
    けろりと食べる俺にたまげた

    仕事から仕事追い行く北海の
    荒くれ男俺もその一人

    雪よ飛べ風よ刺せ何 北海の
    男児の胆を錬るは此の時

    世の中に薬は多くあるものを
    などガッチャキの薬売るらん

    「ガッチャキの薬如何」と人の居ない
    峠で大きな声出して見る

    田舎者の好奇心に売って行く
    呼吸もやっと慣れた此の頃

    よく云えば世渡り上手になって来た
    悪くは云えぬ俺の悲しさ

    無自覚と祖先罵ったそのことを
    済まなかったと今にして思う

    仕方なくあきらめるんだと云う心
    哀れアイヌを亡ぼした心


      鳩沢佐美夫 (1963), pp.14,15
     そんな中に、私は学齢期を迎えていた。それでも私は、自分がアイヌだという意識は少しも持たなかった。 だが私が小学校二、三年ごろだと思う。 祖母に連れられて、近くの街に在る病院に行ったことがあった。 その帰りの乗り換え駅での出来事である。
     当時は第二次大戦最中であり、出征兵士を送る学童が大挙ホームに並んでいた。 そこに私たちの列車が着いたのであった。 私は子供心にも、おそるおそるデッキから降りようとした。 そのとき、私と同い齢恰好の男の子が、「アッ、アイヌ‥‥‥」と、私たちを指したのである。 私は鈍器で撲られたような衝撃を受けて、一瞬脚がもつれてしまった。 祖母は、「チヤッケレ (生意気に)」とだけいって、私を急がせた。 が私は、何故か無意識のうちに怯んでいた。 そしてその日から、私はアイヌというものが、とても思いことのような気がした。 それがまた、恥ずかしいことのようにも思えた。 それまで祖母に手をとられて、列車に乗り降りしていたのに、翌日から私は頑にそれを拒んでしまった。 そればかりか、人前では祖母に話しかけられることさえ嫌だった。 それから祖母は、なんとなく私に遠慮がちになったのである。 祖母と私たち親子が別居したことにもよるが、そのころから、祖母と私の間に隙聞ができていたようだ。

      鳩沢佐美夫 (1964), pp.122-128
     休み時聞に、校庭に出て遊んでいた為男は、用事を思いたって、教室に戻って来た。 と、誰もいない教室に、ミサ子だけが残っていた。 ミサ子は、教室の中央にある石炭ストーブの前に、椅子を持ち出して坐っていた。
     為男は、何故か、カッカッと、してきた。 入口のところに突っ立っていたが、
    「どけれ!」と、思わず怒鳴り散らした。
     ミサ子は、びっくりしたように振り返った。 が、ニッと笑みをつくっただけで、動く素振りさえしなかった。 見ると、なにをするのか、デレッキをストーブの小窓から、火の中に刺し込んでいる。
     為男は、足音も荒げて側に寄った。
    「火焚くから、どけれ」
     と、言って、押しのけようとした。 がミサ子は、それに逆う態度を見せた。 為男は、いよいよ我慢がならなくなった。
     ミサ子の持っているデレッキをむしりとると、それでいきなり、彼女の頭を叩きつけた。 いいかげんに焼けたデレッキなので、ミサ子の髪の毛は、ジュッと焦げた。 ミサ子は、一瞬キョトンとして、為男を見やっていた。 が、ヒーン、ヒーンと、声を上げて泣き出した。
     為男の全身は、小刻みに震えて、止まらなかった。
     父親も母親もいないミサ子は、ときどきしか、学校へ来なかった。 父親が脳をわずらって、病院に入れられると、母親がどこかへ逃げてしまった。 父親も、病院へ入れられたまま、数年前に亡くなっていた。 ミサ子は、祖母のウエルパに、弟の文男といっしょに、育てられているのであった。 そんな話を、為男は、誰かから聞いて知っていた。
     学校へ出て来ても、ミサ子は、ほとんど勉強をしているふうではなかった。 ぼんやりと、ただ黒板を見やっていて、ときどきコックリ、コックリ居眠りをしていた。 身装りも貧しく、髪の毛はだらりと、のびたままであった。 誰かが話しかけたりすると、その髪の下から不安そうに見ていてから、ニッと笑って、大き目の糸切り歯をのぞかせる。
     女生徒たちは、ミサ子と、机を並べることさえみな厭がった。 そんなミサ子を、為男はなんとなく、可京想に思ったりして見ていた。 が、いつからか、憎むようになったのであった。
     為男は、教室に入ろうとして、ミサ子を見かけたとき、思わず立ち竦んだ。 以前に──おまいなんか、ミサ子でないか──と、噛われたときのことを思い出したからであった。 あのとき、もしミサ子が側にいたのなら、叩きのばして──ぼく、ミサ子なんか、大嫌いなんだと、みんなの 前に、叫びたかった。 その出来事は、雪の解けかかった校舎の周りを、掃除していたときであった。
     ‥‥‥
     それからというもの、為男は、ミサ子が憎らしくて、憎らしくてたまらなかった。 アイヌ!と言われたこと以上に、薄汚いミサ子と、対比させられたことが悔しいのであった。
     為男に殴られたミサ子は、いつまでも泣きじゃくって止めなかった。 そのうちに、授業の鐘が鳴って、級友たちがどやどや教室に入ってきた。
     泣いているミサ子を見ると、
    「どうした?‥‥‥」と、側に集まった。
     為男は、理由を説明する気にもなれなかった。
     皆に囲まれると、ミサ子は、ヒーンヒーンと泣き声を引きずりながら、教室から出て行った。
     そのうしろ姿を見ると、為男は何故か──もうミサ子は、学校へ来ないな──という気がした。
     授業が始まって少し経ってからであった。校長が教科書を読み上げているとき、ガタガ夕、教室のガラス戸がゆすぶられた。 為男はびっくりして、入口のほうを見やった。 そこには、血相を変えたミサ子の祖母のウエルバが立っていた。 校長は、教科書を置いて、入口のほうに歩み寄った。 戸を開けるなり、
    「なして、オラのミサ子ば、みんなで泣かしたんだ──」
     と、いう声が教室に飛び込んできた。
     校長は、気押されたように、
    「そんなこと、知らん」と、のけぞった。
     ウエルパは、いまにもつかみかかるように、
    「ミサ子が、泣いて戻って来たんでないか」
     と、校長に詰め寄った。
     校長は戸惑ったように、ロをもぐもぐさせた。
    「アイヌだとおもちて、パカにこくな──」
     齢をとっているウエバなのに、体には鋼でも入っているような感じであった。
    「し、しらん! 知らん」
     と、校長は、一、二歩後退した。
    「なしてオラのミサ子ばかり、いちもいじめるんだ──」
     と、ウエルパは、なおもせまった。
     校長は、いまいましそうに、
    「知らんたら、知らん」と、言って、ウエルパを押し返し、教室の戸をびしゃんと閉めてしまっ た。
     校長に怒られるな‥‥‥と、為男は思った。 黒板の前に戻ると、校長は、眼鏡をはずし、ハンカチで拭いたりしている。 その顔を、まともに見ることができなかった。
     が、意外なことに、教科書を取り上げると、さきほどのつづきを読み始めた。 為男は、安堵する間もなく、こんどはウエルバのことが気にかかり出した。 ウエルバは、拳を固めて、ガラス戸を叩きつけるような恰好をし、何事かを喚きたてている。 教室に飛び込んで来るのでないか、と、為男はそればかりが、気がかりであった。
     ウエルバは、薪を背負って、よく学校の横を通る。 学校の横には、山へ通じる一本の道路がある。 枯木を拾いに行って、一と抱えぐらいの束をつくると、ウエルバは山を下って来るのであった。
     それを見かけると、
    「ウエルパ!ウエルパ」
     と、生徒たちは、小馬鹿にした。
     が、ウエルバはいつも、早足に歩み去っていた。
     ある日に誰かが、
    「ウエルパ!」と、小馬鹿にして、小石を投げつけた。
     するとウエルパは、背負っている薪を投げ降し、中から一本引っこ抜くと
    「誰だ!」と、振り上げて来た。
     みんなは、ワーイ、ワーイと、囃したてながら、教室に逃げ込んだ。 裸足のウエルパは、どんなに怒っても、教室には入って来ないからであった。
     そんなウエルバを、為男は、恐しく感じて見ていた。 しばらくの間、ウエルパは何事かを喚いていて、教室の前を離れなかった。 が、相手にされないと識ってか、苛立ったうしろ姿を見せて、引き退って行った。 為男は、やっと溜飲を下げるような思いになった。 が、何故か、校長の教科書を読み上げる声が、耳に入らなかった。 ウエルパも、泣いて戻ったのでないかな‥‥‥と、思っていたからであった。


      佐々木昌雄 (1973), pp.135-138
     「アイヌ」なる者たちに潜む〈日本〉が、顕現しているのは、別に今に始まったことではない。 それは遠く遡上る。 「シャモ」との交渉での「アイヌ」の敗北史を、意識の面でみても、やはり「シャモ」の意識の侵蝕史である。 「シャモ」の侵進によって、「アイヌ」の日々の生活の形が覆えされれば、どうしてそれまでの意識がそのまま保たれょうか。 たとえ初めの数世代のうちは殆どを保ち持っていたとしても、次に来る数世代は殆どを放棄し、放棄させられてしまうだろう。
     主要な経済生活手段である狩猟・漁労・採集のための獲物の場が強奪され、その挙句に強奪者たちの奴婢の如き徒輩へと落転させられてしまえば、かつての「アイヌ」の共同的な意識は、必ず変容へ向かわざるをえない。 そして、その共同的な意識を支えていた基盤である共同体が、自ら完結していた紐帯を絶たれて崩壊してしまったとき、かつての「アイヌ」たちは「シャモ」から与えられた──「シャモ」との対の関係での──意識を受け容れることになる。 そして今「アイヌ」であることを強いられている者たちも、「シャモ」との対関係で決定される意識からほとんど自由でない。
     例えば、最も声高に叫んでいる者の一人はかつての「アイヌ」を非常に美化する。
        北海道、神の思召すところアイヌは、大自然がもたらす宝の山でいっぱいだった。 そして、自然にさからわず自然を愛し心はおおらかで、自然が人間に与えるもの総てが神々の恵みと考え、──生きるもの総てが神々の使者と考え、(中略) 春夏秋冬の産物は上下の差なく総て平等に分け、それを平和と考え、──貧しき者あればそれは心だと考え、(中略) アイヌ(人間) 一同にまた喜びをわかちあい、何千年の昔より平和を誓い、幾千年時が過ぎようと平和の姿は変らずと信じ、未来の大地に向って旅にたち、アイヌ(人間) の求めるものは永遠に変らじと心から神々に祈りをささげるのであった。
    (結城庄司「ウタリに寄せる──自然主義者アイヌの道」 『コタンの痕跡』所収)
     かつての「アイヌ」を「自然主義者」と枠決めするこの筆者は、こんなふうに描いているのだが、いささか美文の筆の走りすぎであろう。 あたかも桃源郷を想い描いたのかと思われる程の、この描写が全くの虚構・捏造、だとは言わない。 しかし、いかにも誇張である。
     かつての「アイヌ」は「何千年の昔」から生き存え、「幾千年」も同じ生活形態を保っていたのか? 現在を起点として「何千年」か遡上ってみても、所謂擦文文化以前へ到達してしまう。 そして、何よりも誇張であるのは、かつての「アイヌ」をあまりにも「平和」に近づけすぎていることである。 例えば、ユーカラに伝わる各地方集団同士の争闘、あるいはトパットミという語などもあるように、略奪もあったのだし、「アイヌ」同士の血生臭い争いと闘いは繰り返されたのである。 また、かつての「アイヌ」を「平等」に近づけすぎてもいる。 かつての「アイヌ」共同体に階層は厳然と存在していたのであり、その例証は枚挙にいとまがないが、ここでは次のような文を引用しておこう。
        このような人文神謡における人格神の観念が、アイヌ社会に発生するためには、集団社会のなかで階級の分化が生じてきて、支配者と被支配者との社会区分が行なわれたことが考えられる。 そして、そのような社会の成員に対して強い人間的自覚が必然的に要請されなけれはならなかったのであろう。
    (知里真志保「神謡とその背景」『ユーカラ鑑賞』所収)
     かつての「アイヌ」を美化する結城庄司の捉えかたは、同時に「シャモ」を徹底的に極悪の徒として捉えることになる。
       人間が人間を嫌い憎しみあい、物を奪いあい、大地に呪いの血を流し、幾千年の未来に生きようとしないで、また自然を神とも思わないで、それのみか勢力を創るために神を騙しいつわり、勢力あるいは権力の象徴に祭りあげ、淳朴無垢な大衆を寓拝させ、戦にかりたて勝利者は敗者を差別し、勢力のもとに人間が人間をしばり、自然の神々にさからうように山野に切り首をさらし、暴力によって忍従させ、その事を日常の茶飯事として物欲に目を光らす一群が南より侵入してきたのであった。
    (出典は前と同じ)
     あまりに単純な、あまりに粗末な把えかたである。 このような前提に立てば、「アイヌ」と「シャモ」との交渉史の理解は、幼稚な善玉悪玉史観でもってすれば事足りるのだ。 こういう歴史認識に、前に述べた等号 [祖先の「アイヌ」=子孫の「アイヌ」=私] に身体的形質以外のものを付与する発想が加算されると──末裔は祖先の言動の一切に責任を負わねばならないという発想が加算されると──結城庄司は自らの絶対優位を信じて、「シャモ」なる者たちへの一方的な断罪を高言し、贈罪を要求するに至る。
        和人側が残虐行為でつづる、アイヌ歴史に対し責任あると痛感するのであれば、現実闘争姿勢の中で "アイヌに自然を返し、もどすべきである"。 シャモは自分達の手で、その運動を興し、何百年のアイヌ征(ママ)復への罪滅ぼしをすべきであり、日本社会全体がなすべき道である。 現在のあらゆるアイヌ問題に、過去、現在、未来と関係関与することが、シャモの謝罪の道であり(以下略)
    (結城庄司「アイヌに自然を返せ」『図書新聞』昨年十月二十八日号所載)
     これは昨年八月の第二十六回の日本人類学会・民族学会連合大会で参加者に配布されたというアピールである。 結城庄司は「アイヌ解放同盟」と称する組織のリーダーらしいが、まず、自らが自らの発想の呪縛から解放される必要があろう。
     正義が常に自らに在ると信じ込んでいる者を説得するのは不可能に近いが、最低限のことは一言っておこう。 結城庄司の論理は、既に今まで私が述べてきたことで崩れているのだが、繰り返して言えば、「アイヌ」なる者が「シャモ」なる者よりも倫理的に優れているという根拠は無いことを、まず知れ。 十歩も百歩も譲って、仮りにかつての「アイヌ」がかつての「シャモ」より優れた倫理性を示しえていたとしても、今なおそうであるという根拠は無い。 たとえまた、かつても今も「シャモ」なる者たちの倫理が低劣であるとしても、かつても今も「アイヌ」が高い倫理を獲得していると何をもって断言できるであろうか。
     次に知れ、「アイヌ」の倫理が「シャモ」の倫理より優れているという言いかた自体が、あくまで相対の言いかたであるばかりか、倫理性で争いあうことが不毛であることを。 さらに知れ、結城庄司の言う「アイヌ」とは誰れか、それは〈日本〉が決めた「アイヌ」と同じであることを。 つまり、この〈日本〉という共同体の共同的な意識にからみつかれているということを。 だから、今「アイヌ」なる者一人々々が失っているものを回復することにはならないことを。


    文学"アイヌ" の文学は,自虐・自己抹殺のふうになる。
    文学"アイヌ" は,主題の閉塞により終焉する。


    引用文献
    • 違星北斗 (  -1929) :『遺稿 コタン』, 草風館, 1995.
    • 鳩沢佐美夫 (1963) :「証しの空文」,『山音』, 第33号, 1963.
        『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995. pp.7-43.
    • 鳩沢佐美夫 (1964) :「遠い足音」,『山音』, 第38号, 1964.
        『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995. pp.45-151.
    • 佐々木昌雄 (1973) :「「アイヌ」なる状況」(2), 『亜鉛』, 第19号, 1973.6
        『幻視する<アイヌ>』, 草風館, 2008, pp.129-144.