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太田竜「アイヌ共和国は行動を開始する」, 1973.
太田竜『アイヌ革命論』収載,pp.266-283
pp.267-277
それでは、いまや、以下に、ウタリ協会の内側からの「通報者」[結城庄司] によって(1972年6月) 新谷行にわたされたテープを、全文引用しなければならない。
ウタリ協会の位置を明確にしておくため
〈1972年5月25日 於首相官邸 ウタリ協会代表と佐藤日本内閣総理大臣の会談〉
「ウタリ協会理事長」〔野村義一 自民党白老町会議員〕
「これは副理事長」
ウタリ協会
「えー、総理に北海道のアイヌを代表いたしましてお礼と陳情申しあげたいと思います。
大変お忙がしい所、私どもアイヌの代表のために、総理がわざわざ時間をさいていただきましてお会いできましたことを、お礼を申したいと思います。
更に昭和三十五年から今日まで、十一年間にわたって、国が我々アイヌの環境整備の改善のために色々と努力されていただきましたことを、その御援助に対しまして、心からお礼を申しあげたいと思います。
今回、簡単に陳情を申しあげたいと思いますが、総理もすでにご承知のように、えー、総理が開発庁長官になられて [1952/10/30-1953/2/10, 1963/7/18-1964/6/29] 北海道の中で、我々同族のアイヌの実態もご覧になったのではないかと思いますけれど、ちょうどこの明治三十二年に北海道旧土人保護法が制定されてから、アイヌに始めて教育と、それから衛生のことで病院が建てられたり、あるいは土地が給付されたわけでございます。
ですからアイヌにとっては、この三十二年の特別立法〔旧土人保護法のこと〕によって本当に、まあ一人前の人間の資格を与えられたようなわけでございます。
それ以来ずっと教育あるいはまた衛生、土地の給付、いただいたことによって農耕にはげんできましたが、たまたま昭和六年頃に、差別教育がいけないという世論が同族の中に起きまして、それ以来この教育を差別してはいけないという運動と、同族があまりにも住宅が非常にひどくみじめなわけであったんです。
この住宅を何とか改善していただきたいということを、再三にわたって、北海道、あるいは国に対して、色々な面から運動いたしました結果、昭和十二年に国会の議決をいただきまして、教育の差別をなくしていただいたわけでございます。
それ以来、一般の和人と同様に共学いたして今日まで続いてきておるわけでございます。
住宅対策の問題については、約二千八百戸に対して国が八割の国庫補助によって、この住宅を改善してやるという国会の議決 [『旧土人保護法』改正] を頂戴したのでありますけれども、たまたま戦争のためにこのことが実施されないままで今日にいたったわけでございます。
それから終戦と同時に農地法の改正によりまして、せっかく私どもが国から頂戴した給付地ですね、給付地が農地法の買収の対象になって、ほとんど買収されたり、あるいはまた共有財産として持っておったものなんかが買収対象として買収されたわけでございます。
ですから、せっかく我々が財産としてそれをたよりに農業に従事しておったものが、農地解放によってそれらを全部失ったわけでございます。
で、それ以来色々と人種的に差別はないといいながらであっても、我々同族も一生懸命頑張って立派な日本人になろうということで努力はいたしてきましたけれども、何せ教育を受けて今日まで七○年の短い期間、それからまた、それ以前は狩猟民族として放縦な生活をしておったものですから、短い期間の中で、なかなか一般日本人と同等なような立場にいけないのが現状のわけでございます。
で、幸いにいたしまして先ほど申しあげたように昭和三十五年から、国が不良環境地区の改善事業ということで、我々同族の部落の、集落環境を色々な面から施設の改善をしていただいたわけでございます。
それ以来、本当に見違えるように環境が色々な面で改善されてきたわけでございます。
それで私どもは今回、同族の一人一人個々にわたる対策を講じてやらなければ、このまま北海道開道百年になっておっても今なお格差がついているのに、今後開道二百年の後にはこの格差がもっとひどくなるんじゃないだろうかということで、特にこの子弟教育の問題、それから住宅の問題、それから生活基盤の、生活を安定させるための問題を、特に三点を取りあげて、色々と国の方にも昨年来色々とご要望申しあげてきたわけでございます。
ですけれどもなお、今のような時代の時に、人種的な差別を政策の上に現わすということはいけないんではないだろうかというお考えもございまして、なかなか踏み切っていただけなかったために、私どもに、考えて何とか国なり北海道が私どもに基金制度のお考えを作っていただければ、その基金の運用によってこの目的をはたして、同族を今以上に水準を高めて、一般の日本人の水準に持っていきたいと、こういうように考えているわけでございます。はい。
で、私どもは党〔自由民主党のこと〕の三役〔幹事長、政調会長、総務会長のこと〕の諸先生方、あるいはまた政調会社会部会の会長さん、あるいは厚生大臣にもお会いしまして、とくと陳情申しあげましたら、厚生大臣から非常に暖かいお言葉をいただきまして、厚生省としてもできるだけ取組んであげたいという暖かいお言葉をいただいております。
更に、大蔵省においては、政務次官にお会いしまして、この事態をくわしく申しあげていただいております。
私は最後に、国政の最高の責任者であります総理に一言、同族の窮状を訴えて、総理のお力によって我々同族が今以上に水準が一日も早く、立派な日本人の水準になれるように、とくと総理のご配慮をいただきたいために、お願いにあがったわけでございます。
よろしくお願い申しあげます」
佐藤
「開発庁長官 [西田信一] 、君自身は北海道出身だね」
開発庁長官
「「私自身北海道出身でございまして‥‥‥。
あの実は同和対策ということにつきましては、アイヌの同族の方々とは同和とはちょっと違う、ベつなことをしてもらいたいということでございまして、去年党からわざわざ六月に (不明‥‥‥) 出しましてですね、そして具体的な、何か具体的なことをというわけで、最少限度の何か考え方を固めて、同和対策をしたい、何とか協力しようという気持を示しておりますけれども、これは先ほど (不明‥‥‥)」
佐藤
「まあ同和対策の方はずいぶん長い間問題を研究されて比較的に形がととのっている。
しかし皆さんの方の先住民族に対する、まあ少数民族に対する配慮はされておらない、そういう意味ですかね。
しかしまあウタリ協会としても色々な計画をやられてる。
そこで‥‥‥こういうものをね、考えてしかるべきなんだ。
どうもねえ、ウタリという言葉使った方がいいものかどうか、そこらにも問題があるんだがね」
ウタリ協会
「総理、やはり今のところはですね、低位にあるものですから、やはり国がそういう言葉を使われて対策を講じられても、決して私どもは不満に思っておりません。
ですけれどもいつまでも保護民族になろうという考え方は毛頭ございません。
できる一定の期間の中で、我々がその水準に達すれば私どもの方からそういうお名前を早く返上するようにしたいと、そういう風に考えております」
佐藤
「子弟の教育、住宅の建設、生産機関の充実、こういう三つはね、これはもうどの家庭でも同じことなんだ。
これはもう少数民族だけの問題じゃない。
この子弟の教育の問題がね、不十分だという、こういうのはそれぞれの自治体において‥‥‥ことにもう皆さん方が自治体の議会では、それぞれ立派な地位についておられるから、そういうことはやれるだろうと思うがね。
お互に仲間で面倒みることが一番容易だし、まあみやすいことだ。
まあ皆さんのような有力者、その先覚者というか、そういう者がね面倒みるということが、外の一般の和人よりもやりやすいかもわからないねえ、誤解を受けない。
しかしやっぱりその基礎になる金がないとだね、皆さん方もなかなか持ち出してというわけにもいかんだろうし。
それぞれのまあ酋長さんとか、伝統的な地位もあろうがねえ、そうもいかなぃ。
だからそれがそういうことをやる (不明‥‥‥) 住宅の建設をする。
さっきまあ、立派な法律ができても (不明‥‥‥) ない。
今残念だが (不明‥‥‥) その時期になっている。
今こそやる時期ではないか。
その部落の改善、これはねえ、どうしてもそういう同一民族だけが一カ所に住んでいる、定住している。雑居しない。
こういうことになるとどうしても差別的な考え方を持つようになるわけでねえ。
──君なんか僕とどこがちがう、ちょっとヒゲが多いようだけどねえ。
そういうことを考えるとですよ、同和の場合でもそうなんだが、あるいは特殊な環境を作るものだから、雑居してるとわかんないんですねえ。
それは皆さんの仲間でも北海道に住んでいて、白老なら白老のそこの部落だけにいる。
すると特別な見方をする。
東京に出て来てだね、仕事を始めたら、ちっともわかりっこない。
ね、諸君よりもっと毛深い人もいるからね。
青森県の辺地なんかね、(不明‥‥‥) さんなんか、あの身体をみたら毛深い。
よほど血がまじっているんだなあ。
純血さはなくなっているから」
ウタリ協会
「ただ今の総理のおっしゃったようにですね、地方に出て、旅に出てそれなりに成功している者は、それなりに成功しているわけなんです。
やっぱりその土地に定住している者はですね、やはり色々な面で手を差しのべてやらないというと、立ちあがりが遅いわけなんです。
そのことを私どもは心配しております」
佐藤
「そこでさっき、ちょっと僕にわかんなかったけど、農地解放した、その農地解放が、君らの手から取りあげられて、そうして他に売買された。
こういうことがわからない、むしろ君たちの手に残りそうな気がするんだが。
どんなんだね、これは」
ウタリ協会
「それはですね、新法のあれで、占領政策のあれがありましたから、我々アイヌばかりじゃなくて、一般の場合も多少行き過ぎによって、そういう買収対策にされたというのが、全国色々な面であるわけなんです。
特にまあ我々の場合は力が弱いし、あんがい改正の時に無理やり入れられてしまった場合が非常にあったんじゃないでしょうか」
佐藤
「しかし、耕作してたのは君たちじゃないの」
ウタリ協会
「そうです」
佐藤
「やっぱり貸してたのかね」
ウタリ協会
「それはちょっと、十分や二十分で納得いかないと思うんです。
狩猟民族だったアイヌにね、土地を与えて農耕したわけなんです。
そしてクワで起した土地だけ保証でくれたわけです、国は。
だから五反とか八反とか自給自足できる土地だけ (不明‥‥‥) だんだん自給自足できなくなって、農耕を主にしないで、半分以上、外部に出稼ぎ労務者になってですね、自分の持っているわずかな土地をその内地から入ってきた一部の和人に貸していたわけです、そしてよそへ不在地主でおって、買収されてしまったというわけなんです。
最初からもらった土地がそれで農耕しておれるだけの土地をもらっていないわけなんです。」
佐藤
「僕はむしろあるとすれば、その、貧しい農家だな、他の大きな地主の土地をだね、借りて作っていたと思っていた。
自分の土地を、人に作らせていれば、いくらせまくってもだね、不在地主ということになるね」
ウタリ協会
「それと総理、あれですね、文字を知らなかったところにも問題があるんですね。
知らないもんですから登記ができなかったんです」
佐藤
「当節は農耕に土地が困るようなことはないんだろう」
開発庁長官
「戦後の開拓に北海道が重点になって、今あれだけの助成して機機化された。
大方もう (不明‥‥‥) むしろもう新しい職場に就職するために、さっきも言った教育を身につける、特に東京にでも外にどんどん伸して行く方がいいんではないかということで、地方にしばりつけるという政策は考えてない」
ウタリ協会
「あの、一四%、農民の一般の和人のあれが六七%、アイヌの場合は一四%しかない」
佐藤
「そうすると、早く中学卒業したら、何かね、どんな仕事をしてる」
ウタリ協会
「日やとい、自動車の運転手、こういうものですねえ。
ですからもっとできるだけ技術を身につけた職業をなんとかして」
ウタリ協会
「だいたい普通の会社で採用してくれないです。ああいう系統は」
ウタリ協会
「一般に低いということを我々は言っているわけなんです」
ウタリ協会
「ですから、できるだけ早くですね、まあ水準が上った中で、早く同化していくようにしたいと思っておるんです」
佐藤
「やっぱりこれ資金、資金だろうなあ。
資金ができて、それを基にして何とかできる。
まあきわめてわずかな何だねえ、アイヌの風習だけを伝えて観光客をあてにしているのではねえ」
ウタリ協会
「総理、一つお願いがあるんですがね。
これは政治的配慮の中でですね、現況の生活水準が非常に低いクラスにあるものですから、我々同化を非常に進めているわけですがね。
その同化につきましても生活水準が低いものですから、低い、全くの無能な和人とのまあ交流が盛んになりまして、そういう同化が非常に多いわけですね。
そのためにこのまま置きますというと国の政策の中で、五十年で解決するものが、そういう同化をはかるために、百年の政策が必要になってくるんじゃないかという気がするんですよ。
ですから今の時点で、何とか引きあげた時点でですね、よりよい中でも同化というものを進めていきたいという具合に実は考えているわけなんで、この辺も一つ、ご考慮の中に入れていただきたいと思うんです」
佐藤
「しかし、やっぱり地方にもだいぶ出ているだろうから、いわゆる仲間がどのくらいいるかっていう、はっきりしないだろう」
ウタリ協会
「確実なあれは何ですけれど、大体二世を入れると、大体七万と推定いたしております」
ウタリ協会
「協会に入っているのは一万五千弱、これは会員です」
佐藤
「会員としていくらか出しているの」
ウタリ協会
「はい、年五百円ずつ出しております」
ウタリ協会
「ですから総理、今のままの同化が進めばこの七万が十万になるわけですよね、十万の行政が必要になってくる」
開発庁長官
「まあ、北海道でも一生懸命がんばっております」
佐藤
「今そうですねえ、観光地の財政その他で、彫物その他の‥‥‥」
ウタリ協会
「はい、北海道では白老、阿寒が主にやっております。
わりかたそういうものについている者は生活、が安定しております。
ですけれどもそれも資力がないものですから、観光シーズンのうちだけはいいですけれども、あと半年のこの期間の中でですね、自分が安いもの仕入れして、それをシーズンにもってそれだけの利益を受けるというのは、なかなか資金的な面で困っているわけでございます。
そういう面なんかも、我々の仕事の中で解決していかなければならないと思っております」
佐藤
「今、小学校は特別な小学校があるの」
ウタリ協会
「ありません。昭和十二年に廃止になりました」
佐藤
「そういう際に、何か特別に見劣りがするとかいうようなことがあって、コンプレックスを感じる、あるのかなあ」
ウタリ協会
「それはありました、その当時。今はどうやら。
今は教育が立派に行なわれています。
ですからそこで民族の差別とか、色々な差別的なことは教育の面では全然ございません」
佐藤
「今よほど楽だから、今一息だね」
ウタリ協会
「はい、もう一息なんですよね」
ウタリ協会
「で、この保護法も、一白も早く私らの方から返上したいと思っております」
佐藤
「今若い人で、大学に行っているのは相当あるの」
ウタリ協会
「ええ、あります。
まあ北海道で大学に行ってるというのは、二、三十名ぐらい。短大を含めて」
佐藤
「十七%、これはまだまだだから‥‥‥」
ウタリ協会
「‥‥‥今、北海道で道立の職業訓練所というのが各所にできておりますが、あれに全部が入れれば、将来技術も身について安定した職業を持てると思うんですけれど、そこに入れるというのが (不明‥‥‥) ですからどこか一カ所でいいから、まああらゆる技術を身につけることのできるような総合的な職業訓練所が、私お金があれば自分で作ってあげたいものだと、そういう風に思っております。
そういうものがあると非常に良くなると思います」
佐藤
「まあ北海道は、一般に不足がちだからね、まあ職業訓練といってもその場でというのは、なかなかむずかしいかも知れないねえ。
それでアメリカあたりには一番近い所だから、東京から出かける、横浜から送り出す、それよりやっぱり北海道からの方が楽だ、ということもいえるんでね (不明‥‥‥) まあ、釧路あたりを中心にすればね、できるかも知れない。
だから今、一番手取り早くやり得るのは、木工関係そういうものは、早く身につけ得るでしょうね。
そういうものができあがれば。
どうですかね、漁業にたずさわっている者、相当いるかね」
ウタリ協会
「はい、相当数おります」
ウタリ協会
「それでむずかしい問題があるんですが。
漁業権を何とかほしいということと、これは国交の問題がありましてむずかしいんでしょうけど」
佐藤
「この間、ソ連にね、そう言ったんですよ。
とにかくニシン漁、これはもう中小企業でねえ、大きいのはカニ漁、あるいはサケ、マス、そうなんだ大体は。
だから中小企業については、ソ連が一番認識してくれるだろう。
以外に今回の漁業交渉の中心課題はニシン漁。
全面禁漁はずいぶん情けない。
こういうことは一体どうなんだろう」(以下不明)
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新谷行も,つぎの自著でテープの引用をしている:
『増補 アイヌ民族抵抗史』, 三一書房, 1977.
(引用は,pp.268-272.)
また,陳情しているウタリ協会代表がつぎの4名であることを記している:
理事長 野村義一
副理事長 津屋恒男
理事 貝沢正,淵瀬佐一郎
この陳情の成果は,つぎのものである:
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太田竜「アイヌ共和国独立の展望」, 1973.
太田竜『アイヌ革命論』収載,pp.283-352
p.311
1973年3月下旬、北海道庁首脳は、「アイヌの自立と福祉」のために、1973年度を初年度とする、8カ年、50億円の計画を発表した。
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これは,道の「ウタリ福祉対策 (昭和49年度〜昭和55年度)」を指している。
道のこの施策は,以降いままで,つぎのように続けられている:
- 昭和47年実態調査
→ 第1 次ウタリ福祉対策(昭和49年度〜昭和55年度)
- 昭和54年実態調査
→ 第2 次ウタリ福祉対策(昭和56年度〜昭和62年度)
- 昭和61年実態調査
→ 第3 次ウタリ福祉対策(昭和63年度〜平成6年度)
- 平成5年実態調査
→ 第4 次ウタリ福祉対策(平成7年度〜平成13年度)
- 平成11年実態調査
→ 第1次アイヌの人たちの生活向上に関する推進方策
(平成14年度〜平成20年度)
- 平成18年実態調査
→ 第2次アイヌの人たちの生活向上に関する推進方策
(平成21年度〜平成27年度)
ちなみに,最近の「アイヌ政策関連予算」の額はつぎの通り:
26年度: 11億4387万円
25年度: 12億 10万円
(「アイヌ生活向上推進方策検討会議の設置について」, 北海道, 2014 )
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