Up 「北海道アイヌ中国訪問団」 作成: 2017-03-07
更新: 2017-03-07


      惠原琢躬「札幌──広州メモ」
    『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.7-17.
    pp.7-8
     まず "経過説明" が、行われた。
    『日中国交回復前の1971一年7月29日、社会党の川村清一参議院議員や岡田 [春夫, 社会党衆議院議員] 氏の案内で、中日備忘録貿易弁事処主任代理の王作田氏、文匯報駐日記者の蒋道鼎氏らが、平取町二風谷を来訪し、アイヌの歴史や現状、少数民族問題で意見を交換。
    11月21日、岡田氏が平取町二風谷を訪れ、マンロー記念館での懇談会の席上、王作田氏より二風谷に対して中国への招待の意向があったと報告をした。
     1972年10月22日、北京日報記者王泰平氏が、岡田氏の案内で北海道新聞社の記者と共に、平取町二風谷の貝沢正氏宅を訪問し、意見を交換した。
     1973年2月5日、貝沢氏と沢井氏が岡田氏の案内で、中日備忘録貿易弁事処を訪問、王作田氏と蒋道鼎氏に会って、10名位で訪中したい旨申し入れる。
    10月、岡田氏が訪中の際、中日友好協会の廖承志会長、孫平化秘書長と会見。 アイヌ訪中について、更に申し入れたところ、陳楚駐日大使と相談のうえ、決定したいとの返答があった。
     12月1日、陳楚大使、蕭向前参事官夫妻他6人が平取町を訪問、二風谷生活館で約20人と懇談した。 その席上、貝沢氏が「中国の少数民族の現状を知りたい、アイヌとの交流の場をもうけて欲しい。」と、要望した。
    これに対して、陳楚大使は、
     「 中国には50族余、約3000万人の少数民族がいる。革命後、一切差別はなく、平和に暮している。アイヌの人達を中国へ招待したい。」
    との意向を明らかにした。
    次いで、旭川での陳楚大使歓迎パーティの席上、門別氏らにも招待したいとの話があった。
    1974年1月4日、中日友好協会はアイヌ訪中団15人以内を3週間招待する旨、駐日中国大使館へ打電があったと、王作田氏から岡田氏へ連絡。
     この后、平取町二風谷で貝沢氏がとりまとめ役となり、人選に入った。‥‥‥』
     ‥‥‥
     また "団の目的" では、
    『七億人余りの人口を有する中国 (最近の中国の発表では八億人) は多民族国家で、94%の多数を占める漢族の中で最も少ない500人又は2500人の極めて少ない人口にはじまり、50余りの少数民族が差別もなく卑屈もなく、新しい国づくりに励んでいると聞く。 これらの人々と親しく話合い、交流を深め、意識を学ぴ、私達アイヌのおかれている現状をふまえ、新しい方向への一つの糸口を見出してきたい。』
    p.9.
     岡田春夫氏の話では、中国が少数民族を団体で招待したのはアイヌ訪中団が初めてであり、朝日新聞の中国担当記者によると、アイヌ訪中后、他の国の少数民族が次々に中国を訪問しているという。
     岡田氏は、
    蒋介石の国民政府時代には、中国ではアイヌを『哀奴』とか『愛奴』と表記していた。 しかし、解放后は『阿伊努』と表記している。 『阿』は尊称、『伊』は彼、三人称、『努』は努力で、『努力をしているあの人達』という意味である。
    中国は国内のみならず、国外での民族差別にも反対すると表明している」
    と訪中国に説明した。