「アイヌ民族」のことばは,ひねくり出したものである。
「アイヌ予算」の根拠法となる「アイヌ法」を立てるために,ひねくり出した。
しかし「アイヌ民族」を言い出せば,この存在を訊ねられることになる。
──「その集団はどこにどのようにいる?」
「民族」は,「独自の文化」を含意する。
この「独自」の意味は,「他と差別化しつつ共有」である。
「アイヌ民族」では,アイヌ文化が「独自の文化」ということになる。
──「アイヌ文化を共有する集団はどこにどのようにいる?」
このような集団はいない。
「アイヌ民族」は,ひとにうまく持たせることができた幻想である。
ひとは,つぎのように思う::
「 |
アイヌ民族の存在は,自明のことである。
(存在について問いを発するのは,己を愚か者として曝すこと。)」
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こんなことができるのか?
現にできている。
人は雰囲気で瞞されるのである。
この洗脳を使命にしている格好なのが,大手メディアの北海道支局である。
彼らは,地域振興を使命とする。
北海道であれば,特に北海道観光振興を使命とする。
行うことは,「アイヌ民族」キャンペーンである。
ひとはこのメディア攻勢で簡単に洗脳される。
しかし,この騙しには当然報いがある。
「アイヌ文化の継承」を立てていることと矛盾するというのが,それである。
アイヌ文化が現在のものなのに「アイヌ文化の継承」って何だ,となるわけである。
実際,「アイヌ民族」を打ち上げたアイヌ観光では,ひとはアイヌを見にくるのである。
アイヌ文化継承者を見にくるのではない。
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菅原幸助 (1966), pp.78-88.
すぐそばでリンゴ箱に坐って、ひなたぼっこをしていた老婆に、腕章をかけた旅行案内者が近寄って行った。金を包んだ紙包みを渡し,なにか話していたが、口にいれずみをしたその老婆が、にっこり笑って頭をたてにふると、わらぶき屋根のチセ(家) の窓から中に声をかけた。
「みんなでできてよ。ウポポ (アイヌ踊り) をやれとよ」
原色のアイヌ模様のキモノを着て、口にいれずみを墨で書いた女たちが、けだるそうにチセからでてきた。
やがて老婆が先頭になってウポポがはじまった。
ホーイ ホーイ ポロロロ ポロロロ
鳥の声に似た、京愁に満ちた歌と仕草がくりかえされ、女たちは輪になって青空を眺めながら、足や手を動かしている。
旅行者たちが手にしていたパンフレットには「アイヌ民族に伝わる神秘な踊りを見学」とあったが、ウポポの原形はやつされていて、かなりでたらめな踊りになっていた。けれども,輪になってウポポを見物している観光客に、そんなことが解るはずもない。
この異様な歌声と踊りを見物しているうちに「はるばると海を渡って、北海道まできたのだ」という異国情緒にひたるのかも知れない。
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引用文献
- 菅原幸助 (1966) :『現代のアイヌ』, 現文社, 1966.
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