Up 呪文 : 要旨 作成: 2016-12-26
更新: 2016-12-26


     知里真志保『アイヌ文学』(民族教養新書), 元々社, 1955. (復刻版 2011)
     
    p.2
    背戸の小川に水を汲みに行った少女が、濁り水を手でかきゃりながら、
      キ   サン  にどり水 さがれ
        ベー   サン  水 さがれ
    と歌って水の澄むのそ待っている。
     エゾニウの草を取って来た老婆が、
      シウキナ トーペン   にが草 あまくなれ
      キナ トーペン  草 あまくなれ
    と歌いながら皮をむいている。
     コタン (アイヌの部落) の生活には、このような唱えごとが無数に存在している。
    これらは客観的に見れば詞も曲もそなえた歌であるが、しかしながら歌では主として旋律が意識されているのに反して、ここでは詞に対する関心が主となっており、その内容の実現が意図されているのである。
    そういうものも広義には歌と云ってよかろうが、げんみつに云うならばそれは歌というよりは呪文であり、いわば「ひらけごま」のコタン版である。
    ただ、そういうものの中から後に多くの歌が生れてくる。

    なぜ,こういう呪文が唱えられるのか。
    ──逆になぜわれわれはこういう呪文を唱えないのか。

    われわれがこういう呪文を唱えないのは,これの無意味・無用を知っているからである。
    どうして知っているのか。
    われわれは物理・化学の知識を学校その他で得てきており,そして「こういう呪文は無意味・無用」が物理・化学の知識の含蓄になるからである。

    逆に,物理・化学の知識がもたれていなければ,ひとは《物には心があり,行為する》と思う。
    この《物には心があり,行為する》の思考様式を,「アニミズム」という。

    実際,高校・大学進学が特別なことであった一昔前 (昭和の半ばくらいまで) は,物理・化学の知識を持っていないのがあたりまえで,ひとの思考様式はアニミズムであった。
    上のようなおまじないは,あたりまえに見られたのである。

    今日でも,理数の知識に疎いまま大人になっている人は,思考様式はアニミズムということになる。
    実際,「水を褒めれば,水がおいしくなってくれる」といった論が,ちょくちょく現れる。

    話は脱線するが,「コンピュータの電磁波を吸収するサボテン」なんていうのが,10年とちょっと前くらいに流行った。
    大学教員で自分の研究室にそのサボテンを置いていた者がいたりして,学歴とアニミズム思考回路の矛盾しないことを教えてくれたものである。