アイヌの神は,自分たちの写像である。
こうなるのは,アイヌの精神文化がアニミズムであることの含蓄である。
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久保寺逸彦 (1956), pp.248,249
アイヌの神は、決して全知全能な超自然的な神ではない。
極めて人間的な神で、いわば人間生活をそのまゝ写象したものに過ぎない。
勿論、一般的には、神々の勢能は、人間のそれより遥かに優れてはいるが、時には、人間の声援・協力を必要とする様な脆弱な一面もあるのである。
神々は、尠くとも、人間の手に依って祀られ、その好む木幣 inau、や酒を享け、禱詞を捧げられることによって、始めて神たり得るといえる。
だから、人間から祀りを等閑にされたり、途絶されたりすることは、神の面目を失態することにもなる。
神々は人間が祀ってくれる代償として、人間に幸運を恵み、その生命と生活の安全を守護するのである。
つまり、人の世は、神々と人間との共存共栄の生活をなす場と考えられているのである。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「北海道アイヌの葬制一沙流アイヌを中心として」
- 民俗学研究, 第20巻, 1-2号, 3-4号, 1956, pp.156-203 (54-101)
- 収載 : 佐々木利和[編]『久保寺逸彦著作集1: アイヌ民族の宗教と儀礼』, 草風館, 2001, pp.103-263
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