Up 災難と神の関係 作成: 2019-01-08
更新: 2019-01-08


      久保寺逸彦 (1956), p.246
    人間の遭逢する病気・怪我・死亡・不運・禍災等は、一切、悪神・魔神の所為に基づく ‥‥
    悪神 wen-kamui や魔神 nitne-kamui は、嫉み心が強く、善神たちの繁栄幸福を喜ばず、悪戯乃至悪企みを廻らすことによって、一切のそれ等の不幸なことが起る ‥‥
     " Nep ikeshkep, kar-sanniyo, oka a kusu, kamui ne yakka, shik-utur kashi, etushmak, emkosama, chi-pahau-ushka"
     「 如何なる嫉み神のなせる企てありたるにや、善神の眼の隙を盗んで、(悪戯したため)、死の凶報が伝えられた。」

      久保寺逸彦 (1956), pp.246,247
    病気乃至死亡が生ずることは、悪神や魔神等が善神たちの放心油断した隙を覗ってやる悪戯によると考えながら、
    その放心や油断をなして、魔神をして隙に乗ぜしめた善神たちの責任を追及したり、怨嗟し、誹謗する様なことは決してない ‥‥‥
    アイヌに依れば、
    神様だってうっかりすることも、油断することもあり、手に及ばないことだってある ‥‥‥
      " Iyaikookka, kamui-niukeshpe, oka a kusu, ekan-nekusu, atanan ainu, a-ne kusu, aniukeshkusu-ne-p……"
     「 残念なことです、神様にもどうにも出来ないことがあるもの故、まして、凡夫の我々人間には、どうにも手の及ばない事で……」
    神々に対して怨嗟し、不平を述べることなどしないばかりか、
    病人が出れば、神様も永い間、その家族や村人同様に永い間憂慮したり、難渋し、死者が出れば、また人間同様に、悲嘆の涙にくれるというのだから (1)、‥‥‥
    どうしても神々の辛労に対して感謝すると共に、その悲嘆に同情し、慰撫し、今後は心をしっかりと持ち、元気でいる様にという様な ‥‥‥ 辞を述べること [になる] (2)
     (1)  "Eor setakko, chiraininnire, aiekarkar ‥‥"
    「ずいぶん永い間、難儀な目に遭わされ、……」
     "Nep wen-kamui, inonchir katu, tan pase kamui, chi-ranat-kore, eoma yakka."
    「如何なる悪神が悪戯をしたものか、この尊い(火の女) 神様も、心配事 (家内に病人が出たこと) を与えられた、訳でしたが、……」
     (2)  "Huo keutum, a-kon nankonna"
    「(今i後は) しっかりした強い心を、神(様も)お持ちになって戴きたい」


    引用文献
    • 久保寺逸彦 (1956) :「北海道アイヌの葬制一沙流アイヌを中心として」
      • 民俗学研究, 第20巻, 1-2号, 3-4号, 1956, pp.156-203 (54-101)
      • 収載 : 佐々木利和[編]『久保寺逸彦著作集1: アイヌ民族の宗教と儀礼』, 草風館, 2001, pp.103-263