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神々は、ふだん、その本国では、人間と全く同じ姿で、人間とちっとも変らない生活を営んでいます。
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神々は時を定めて人間の村を訪れます。
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その際、神々は特別の服装を身につけます。たとえば、山の神ならば家の壁際の衣桁から熊の皮を取り下して身につけるのであります。
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それから、神々は人間の村を訪れる時は決して手ぶらでくるなどということはない。山の神ならば、みやげに熊の肉を背負って来るのであります。熊の肉はアイヌのいう“カムイ・ハル"(kamuy-haru 神の持って来る食糧)であり、“カムイ・ムヤンケ"(kamuy-muyanke 神の持ってくるみやげ)なのであります。それで肥えた大きな神をアイヌは“シケカムイ"(sike-kamuy 荷物を背負った神様)などと名づけて大いに尊敬するのであります。
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山の神はこのように熊の皮を着て、熊の肉を背負って、――いわば、おみやげの食糧である熊の肉を熊の皮の風呂敷に包んで背負って――人間の村の背後の山の上に降り立ち、そこで人間の酋長の出迎えを受けて、みやげの荷物である熊の肉の風呂敷包みを与え、その本来の霊的な姿に返るのであります。熊が人間に狩り殺されることを、“マラプト・ネ"(marapto-ne)"賓客・となる" というのでありますが、それは山の神が、はるばる背負って来たみやげの食糧である熊の肉をそっくりそのまま人間に与えることによって、――すなわち、熊が死ぬことによって、――山の神は熊の肉体から解放され、その本来の霊的な姿に立ち返って、人間の酋長の家に“お客さんとなる"という考え方なのであります。
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人間の酋長の家にお客さんとなった山の神は、そこに数日間滞在して飲めや歌えの大歓待を受けます。
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そして人間の酋長からみやげの酒だの米だの粢(しとぎ)だの或は幣だのをどっさり頂戴に及んで、はるばる山の上にある自分の本国へ帰って行きます。
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本国へ帰ると部下の神々を集めて、盛大な宴会を開いて人間の村での珍しい見聞談を語り聞かせ、人間の村からおみやげにもらって来た品々を部下一同にすそ分けして、神々の世界での顔を一層よくするのであります。
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