狩猟は,《神がアイヌに与えてくれたものをいただく》というふうに合理化される。
そこで,狩猟の前にはこの度も与えてくれることを神に祈り,狩猟の後にはこの度も与えてくれたことを神に祈る。
狩猟は,神との交流であり,この意味で神事である。
熊の狩猟では,子連れの熊 (母熊) を殺すことがある。
このとき,子熊の処し方が問題になる。
即ち,「どう処すのが道理か?」という問題。
──ここで「道理」の意味は,<神>との整合性である。
アイヌが道理とした処し方は,つぎのものである:
《 |
子熊を親熊に代わって育て,
大きくなったところで,あの世の親熊のもとに送り返す (殺す)》
|
これが,「熊送り」である。
ここで留意すべきは,<大きくなる>は<手に負えなくなる>とイコールだということである。
人の手で育てた熊は,自然に戻れない。
よって,育てている子熊は,大きくなれば殺すしかないものである。
「熊送り」は,この熊殺しが上手に合理化されている。
「熊送り」での熊殺しは,一思いに殺すのではなく,熊を嬲る場面がしばらく続く。
この場面は,これの説明を求めるところではない。
実際,「熊送り」は,慣習として存在するものである。
(慣習は,理由が忘却された様である!)
この場面に対するリアクションとして予想されることを,先回りして封じておこう。
それは,動物愛護イデオロギーである。
強調するが,ここには動物愛護イデオロギーの出る幕はない。
「熊送り」の熊殺しは,神聖な宗教的儀式である。
実際,「熊送り」は,この中に<熊を嬲る>が含まれることで,動物愛護イデオロギーを嘲るふうに立つ。
──「熊送り」は,動物愛護イデオロギーを愚に映す鏡である。
「熊送り」の内容を,つぎの二つにより,ここで押さえておく:
- 「熊送り」をした者の話
- 「熊送り」を観た者の話
1.「熊送り」をした
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砂沢クラ (1983), pp.173, 174
秋になって、五月の大洪水のときに夫が山でっかまえてきた子グマ三頭が大きくなったので,クマ送りをしようということになりました。
旭川の近文、新十津川の泥川、深川の一已、日高のあちこちにいる親せきに使いを出し,一カ月前から濁り酒を高きが四尺(約百二十センチ)もある大きなコンカイ(酒おけ)に二つも三つも作って準備を始めました。このころ、濁り酒は玄米で作りました。玄米の濁り酒は,甘くて飲みやすいうえ、すぐに酔えて、とてもおいしいのです。
クマ送りの前の晩は、神の国へ帰るクマに背負わせるエベレシト (クマの団子) を作ります。
一頭に二十五個持たせるので、三頭分を作るのに朝までかかりました。
神の国に返すクマは、まず花矢で射ってから最後に狩りに使う本物の矢 (昔は,狩りの時には矢尻に毒を塗った) を心臓めがけて射ち、それから丸太二本で首を絞めて殺します。その間,若い女たちがぐるりを囲んで、「ホーイ、ホイッ」「ホーイ ヒィッ」「ホーイ ウェ」「へーイ ワァッ」などのかけ声に合わせてにぎやかにウポポ (輪踊り) します。
クマ送りの儀式は、死んだクマから頭の骨を取り出し、肉も脳みそもきれいに取って骨ばかりにし、それをイナウ (ご幣) で飾ってイナウサン(祭壇) に祭って終わるのですが,頭を作るのに時間がかかり、出来上がるまで一週間も二週間もかかるのです。
昔は、楽しみといったらクマ送りぐらいのものだったので、集まってきた人たちは、クマの頭が出来るまで、夜昼、食べたり飲んだりしながら、歌って踊って騒ぐのです。
家の近い人は帰りますが、遠くから来た人は泊まり込むので、クマ送りをする家の女は、一日中、ごはんの仕度をしたり、後片付けをしたり、眠るひまもなく働かなくてはなりません。
夫の母と妹たちは、客と一緒に歌ったり、踊ってばかり。少しも手伝ってくれないので、ほんとうに死ぬ目に遭いました。
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2.「熊送り」を観た
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Batchelor, J. (1901)
pp.402-408
若いクマがまさにいけにえにされるとき、われわれの目には残酷で、野蛮に見えるこの祝宴が行われる前日、クマの所有者は村のすべての人々に知らせ、祭に参加するように彼らを招待する。
彼はまた遠い村から客を招く。
そして彼らはかなり確実にやって来る。
というのは、酔っ払うよい機会だからである。
老いも若きも、すべての人がいちばんはなやかな衣服をつけてやって来る。
年長者は刺繍をしたもっともよい衣服を身につけ、体を洗い、髪の毛を切り、首すじの毛を剃る。
男たちもこの機会にひげを刈り込み、前髪と首の毛を剃る。
このようなとき、女たちはイアリング、腕輪、首飾りをつけ、入れ墨の手入れをし、できれば新しい頭飾りをつけることを決して忘れない。
私が聞いた最近の招待の形式はこうである。
「私、これこれは、山に住んでいる親愛で、神聖な小さいものをまさにいけにえにしようとしています。
私の友人たちと主人たちょ。祭においでください。
そのとき私たちは、神のところに送り出す大きな喜びで一つになりたいと思います。
おいでください」と。
すべての招待状はこれに似ている。
これは、一般的な種類を十分に示している。
客たちがいけにえの場所に到達すると、彼らは小屋に入り、いろりのまわりに坐る。
粟のだんごが煮られ、また焼かれ、一種の濃い白い酒が、粟から醸造される。
女たちは、夫がどんな飲み物を選んで自分にくれるかを知っている。
実際その飲み物が粟のビールよりも高価な日本酒であるにしても、それはごくわずかであることに私は注目した。しかしこれは実際の祝宴ではなく、準備的な断食あけの一種にすぎない。
客が全員入ると、男たちは多数のイナオを作り、それをいろりに立て、礼拝が行われる。
すべての神々が礼拝され、自分たちと一緒に祝宴に参加するように招待される。
これが終わると、大半のイナオがうやうやしく取り上げられ、外のヌサの場所に運ばれ、そこに挿される。つぎに二本の太く、長い竿がそれらの基底部に横たえられる。
男たちは彼らのトーテムの冠で飾って、今や小屋から出て来て、おごそかにクマが入っている櫨に近づく。
女たちと子供たちは、あとからついて行き、歌い、踊り、手を叩く。
やがてすべての人がヌサの場所に行くように命じられ、老人をまえにして、大きな輸をなして坐らされる。
このあと一人のアイヌが選ばれる。
この人は、クマに近づいて、そのまえに坐り、自分たちはまさにおまえを祖先のところに送り返そうとしていると告げる。
彼は自分たちがまさにしようとしていることについて許しを請い、クマが怒らないように希望し、クマにどういう名誉が今まさに与えられているかを告げ、また多数のイナオと大量の酒とだんごと他のご馳走をたずさ与えて行くという慰めのことばでクマを元気守つける。
彼はまたクマに、もしおまえが善良で、礼儀正しいクマならば、再び同じように扱われるだろうと告げる。
私が聞いた最後のあいさつはこうである。
「おお、なんじ神聖なものよ。
なんじはわれわれが狩猟をするために、この世界に送られて来た。
おお、なんじ、高貴な小さい神よ。
われわれはなんじを崇拝する。
どうか、われわれの祈願を聞いてくれ。われわれはなんじを養い、非常に心配し、苦労してなんじを育ててきた。万事は、われわれ、がなんじをそんなに愛しているからだ。さて、なんじは大きく成長したので、われわれはなんじをなんじの父と母のもとにまさに送ろうとしている。なんじが父母の所に行ったならば、どうかわれわれのことをよく話してくれ。またわれわれがどんな種類の人間だったかを両親に告げてくれ。どうかもう一度、われわれの所に来てくれ。そうすれば、われわれはなんじをいけにえに捧げよう」。
この祈願文を唱えてから、別のアイヌが子グマの櫨に来て、ロープでいけにえの頭をつかまえる。
ロープにはこの目的のために、輸が作られている。この輸は、クマがあばれるとき、動物を窒息させないように、首のまわりと前脚の下に巻きつけられる。
第二のロープには、もう一つの輸が作られている。これは同じような仕方で、頭に巻きつけられる。
違うのは、その端がクマの反対側に出ていることである。
だから、動物が艦から出るとき、それは、それぞれの側に一人ずつ、二人の人によって引っ張られる。
しかしクマが大きいときには、ときどきロープをお尻にもつけ、一人の人がそれをしっかりもち、クマが危険な怒りを示すときには、手助けする覚悟をして、後ろからついて行く。
あわれな動物が櫨から出るやいなや、輸をなしていた人々は叫び、手を叩く。
その聞にグマは中央に連れて来られる。
クマが真中に来ると、人々は先の丸い矢 (図42-1) ──へベレアイ hepere-ai、すなわち「子グマの矢」[へベル|=子グマ、アイ=矢] といわれる──をとり、クマを目がけて射る。
こうして熱情はかきたてられる。
叫びは今や耳を聾するほどになり、クマはときどきどう猛になる。
しかしクマが半狂乱になればなるほど、人々はますます喜ぶ。
しかしもしクマが動かなくなると、クマはタクサ (図42-2) ──そのてっぺんにはササ Arundinalia でできた房がある──とよばれる棒でこすられる。
興奮し、もがく動物が疲労困患の兆候を見せると、人々の輪の中央の地面に杭が打たれ、それにクマが結びつけられる。
この杭は、イナオの飾り掛けとササの葉で飾られ、トゥシオプニ tu-shop-ni、すなわち「ロープをもっ木」[トゥシ=綱、縄、ニ=木]とよばれる (図42-3)。
万事危険でなくなるやいなや、先の丸い矢が新たに力強く射られる。
そこで動物は引っ掻き、怒り、ついにまったく疲れきる。
そのとき、もっとも興奮させるような時間がやって来て、勇気の真のテストが行われる。
突然勇敢な若いアイヌが突進し、クマの耳と顔の毛をつかみ、他方別のアイヌが突然突進し、そのお尻の部位をつかむ。
これらの人々はともに、全力を奮って動物を引っ張る。
このために動物の口は開けられる。
それからもう一人の人が約二フィート[六○センチ]の丸い木を持って突進する。
彼はこれをクマの顎に差し込む。
あわれな動物は怒ってこれをはげしく噛み、歯の聞にしっかりそれをはさむ。
つぎに二人の人が、クマのそれぞれの側に一人ずつ前進し、その前脚をつかんで、できるだけそれを引っ張る。
それから別の二人が、二本の後ろ脚を同じように握る。
これらのことがすべてまったく満足の行くようになされたとき、二本の棒──それはヌサのそばに横たえられ、オクヌンパ・ニ ok-numba ni、すなわち「しめつけるための棒」[ オク=首、ヌンパ、ヌンパ=しめつける、ニ=木、棒] とよばれる──が前にもってこられる。
その一本はクマの喉の下におかれ、もう一本はその首の後ろにおかれる。
前もって男たちによって決められていたすぐれた矢の射手が今や近づいて、動物の心臓めがけて矢を射る。
そしてそのみじめな状態を終わりにする。
動物をひどくなぐって血が流れないように注意を払わなければならない。
というのは、なんらかの理由でこの地上に血を落とすことは、不幸だとみられているからである。
もし血が流れるならば、神聖なイナオの削り掛けで急いで拭わなければならない。
この特別なときに、血を流すことがタブーである理由を私はこれまで知ることができなかった。
というのは、その根底にある本来の思想は今では失われているように思われるからである。
なるほど、ある場合には、血液が男たちのなかでもっとも鍛えられた人によってすぐにあとで抜かれ、温かい聞に飲まれるが、これはその動物との血の同盟か、血の盟約ではなく、その動物がもっている勇気と他の徳を彼らに注入することにすぎないといわれている。
いけにえは、いささかも罪ほろぼしと見られていない。
というのは、罪と罪の許しは、キリスト教の教義をもっているわれわれ、が見ているような観点から見られていないからである。
クマの心臓、が射られるとすぐに、それは二本の棒まで運ばれる。この棒はこの目的のために前もって地面におかれていたものである。その頭はそれらの棒の一本の上におかれる。もう一本の棒はその菖の上におかれる。今やすべての人々は叫び、突進し、だれもかれもが、その動物を力づくで押すのを熱心に手伝う。ついにその生命は消える。死のあがきの問、どんな叫びもあげさせないように、注意しなければならない。というのは、これは非常に不幸だと思われているからである。しかし私はその理由を知ることができなかった。人々は子グマが絞め殺されるとき、たいへん興奮するので、死に一役買う熱心さのあまりお互いに足を踏みつけ合うほどである。こうして、あわれな動物は殺され,いけにえ劇の第一部は終わる。
クマが絞め殺されるやいなや、クマは皮がはがされ、その頭世切り落とされる。
しかし皮は頭についたままにされる。これは東の窓にもって行かれ、イナオソ inao-so [ソ=床] とよばれるマットの上におかれ、イナオの削り掛け、イアリング、ビーズ、あるいは他の物で飾られる。実際、あるとき私はそれが古い剣のつかと日本の鏡で飾られているのさえ見た。ここにおかれた後に、それ自身の一切れの肉が切り取られ、鼻の下におかれる。これは、ノツポクオマプ not-pok-omap、すなわち「顎の下のあれ」[ノツ=顎、ポク=下、オマプ=愛する] とよばれる。
つぎに、一枚の乾燥させた魚(干物) とひげ揚げベらが一包みにこぎれいにまとめられて、その前におかれる。また粟のだんご、一椀の煮たそれ自身の肉、日本酒がおかれる。干物はサツチェプ・シケ sat-chep shike、すなわち「乾燥させた魚の束」[サツ=乾く、チェプ=魚、シケ=荷物] とよばれる (図42-4)。
煮た粟が入った椀は、マラプト・イタンギ marapto itangi、すなわち「祝宴の椀」[マ一フプト=お客、祝宴、イタンギ、イタンキ=茶碗] とよばれる。
これが行われると、一人の人が礼拝して言う。
「おお、子グマよ。われわれはおまえにこれらのイナオ、だんご、干物を与える。それらをおまえの両親のところにもって行って、こう言ってくれ。「私は長い間、アイヌの父と母に育てられましたし、あらゆる苦労や危害にあわないようにされてきました。私は今大きくなったので、あなたのところに来ました。私はこれらのイナオ、だんご、そして干物をもって来ました。どうか、喜んでください』と。
もしおまえが両親にこう言うなら、両親は非常に喜ぶだろう」と。
もう一つの祈願文はこうである。
「私の親愛な子グマよ。どうか、私の言うことを聞いてくれ。私は長い間おまえの面倒をみてきた。そして今、イナオ、だんご、酒、およびその他の貴重な物を贈る。おまえは、おまえに贈られたイナオやその他のよい物の上に乗って、お前の父親と母親のところに行け。仲良くやり、両親を喜ばせよ。おまえが到着したときには、たくさんの神聖な客人をよび、大きな祝宴をしろ。おまえを養った私がおまえに再会できるように、この世界にもう一度戻ってこい。そうすれば、もう一度おまえをいけにえにするために育てよう。私はおまえにあいさっする。私の親愛な子グマよ。無事に出発しろ」と。
この礼拝が行われたのちに、粟のだんごが串に刺され、され、頭のそばに置かれる。
これらは新しい世界で行う祝宴のためだといわれている。というのは、食事にご馳走を出すだけの小さなプレゼントがないなら、子グマは祖先の前に決してあらわれようとしないからである。
そのだんごはイモカシケ imoka-shike、すなわち「祝宴の残り物」[イモカ=土産、シケ=荷物] といわれる(図42-5)。
今や男たちはみな冠を直すか、かぶる。
というのは、子グマをいじめ、殺している聞に冠が曲がったか、打ち落とされたからである。
これがすむと、彼らはみな一緒に立派な踊りをする。
女たちは冠の代わりに、チパヌプ chipanup とよばれる一種の頭飾りをつける。
白いひげのこれらの老人が輸を作り、若者のまねをして踊るのを見るのは、まったくこつけいである。
しかし彼らは幸福だし、彼らはこれ以上にすばらしいことをなにも知らないのだから、人は彼らにやさしくほほ笑まざるをえない。
踊りが終わると、彼らは小屋に一戻る。そしてたくさんのイナオを作る。それはクマの頭の上に慎重におかれる。
そうこうしているうちに、子グマの肉が煮える。
今やこの肉を一碗取り、動物の鼻の前におく。
そしてクマはマラプト・イタンギ、すなわち「祝宴の碗」に加わるようにいわれる。
時間が少したってから、祝宴を主宰している人が言う。「小さな神は今食べ終えました。なんじら、友人たちょ。
来て、礼拝しましょうしと。それから彼はその碗を取り、それにおじぎをし、その中身を集ったすべての客に──各人に少量ずつ──配る。というのは、各人が、老いも若きも、少し食べるのは絶対に重要だと思われているからである。それは、「祝宴の碗Lとよばれる他に、イプニ・イタンギ ipuni itangi「供え物の碗」[イプニ=給仕をする] といわれる。
この名前は、それが今いけにえにされた神に供えられたという事実を指している。
このお碗を食べたのちに、もっとたくさんのイナオが作られる。他方、その動物の残りの部分は、鍋のなかでシチューにされる。
つぎに内臓はこまぎれにされ、塩をふりかけられ、生で食べられる。
これは血を飲むことのように、クマの勇気とその他の徳を手に入れるためだといわれている。
またある男たちは、自分の体と衣服に血を塗りつけることを述べなければならない。
これは狩猟で成功するようにするためだといわれる。
この不快な習慣は、ヤイイショウシ、yai-isho-usi、すなわち「よい獲物を自分の体に塗る」[ヤイ=自分に、イシヨ=獲物、ウシ=塗る] といわれる。
彼らは、他の動物や鳥がいけにえにされたときに、その血で自分の体を同じように処理する。
肉が十分に煮えるやいなや、出席している人々に配られる。
仲間のあらゆる人々が少量にせよ、それを食べる。
こうして、彼らがいけにえとよんでいる親愛な小さな神と彼らは霊的に交流する。
そしてこれが、彼らのトーテム神と人々との社会的、宗教的な親交を示す特殊な仕方であるように私には思われる。
この祝宴に参加しないことや、イナオを作らないことは、アイヌの仲間関係の坪外にあることを告白することに等しいだろう。
‥‥
クマの頭は最後に皮からはずされ、ヌサの山にもって行かれる。それはそこで、他の頭骨の聞におかれる。ここには、てっぺんに股がある背の高い棒が立っている。その股はイナオで飾られている。この棒は、ケオマンデニ keo-mande-ni (図42-6),すなわち「送り出すための木」[オマンデ、オマンテ=送る、行かせる、ニ=木] とよばれる。
pp. 485-495
When a young bear is about to be sacrificed, the day before this, to us, cruel and barbarous feast takes place, the owner sends round to all his people of the village, and invites them to come and take part in the festivities. He also invites guests from the distant villages, and they are pretty certain to come, for there will be a good opportunity of getting intoxicated.
All of the people, young and old alike, come decked in their gayest attire; the elders all don thcir best embroidered garments, wash themselves, and have their hair cut and necks shaven.
The men also have their whiskers trimlllcd and their fon.:hcads and necks shavcn for the occasion. The women at sLlch times never forget to put on their earrings, bracelcts and beads, touch up their tatoo marks, and wear a new heall-dress if possible. The last form of invitation I heard was as follows :
I, so and so, am about to sacrifice the dear little divine thing who resides among the mountains.
My friends and masters, come ye to the feast; we will then unite in the great pleasure of sending the god
away. Come.' All invitations resemble this one, which is sufficient to show the general kind of thing.
As the guests arrive at thc place of sacrifice they enter the hut and sit round the fireplace, the men in front and the women behind.
Millet
dumplings are boiled and toasted, and a kind of white thick beer is brewed from millet. The women get what drink their husbands choose to give them, which, I have noticed, is very little indeed if the drink be the more expensive sake rather than millet beer. But this is not the real feast, but merely a sort of preliminary breaking of the fast.
When the guests have all come in, the men make numbers of iJlao, alld stick them in the hearth, and worship is performed. All the gods are worshipped and invited to partake of the feast with them. \ Vhen this has been done, most of the inao are taken up rcvcrcntly and carried to the lIllsa place outside, and there stuck up. Next, two long and thickish poles are laid at their base. The men now come out of the hut, ornamcnted with their totem crowns, and solemnly approach the cage containing the hear. The women and children follow and sing, dance, and clap their hands. By-and-by all are ordcn:d to the nusa place, and made to sit in a large circle, the old men in front. After this an Ainu is chosen who, having approached the bear, sits down before it and tells it that they are about to send it forth to its ancestors. He prays pardon for what they are about to do, hopes it will not be angry, tells it what an honour is about to be conferred upon it, and comforts it with the consolation that a large number of inao and plenty of wine, cakes, and other good cheer will be sent along with it. lIe also informs it that if it be a good and proper bear it will appear again to be treated in like manner. The last address I heard of ran thus: 'O thou divine one, thou wast sent into the world for us to hunt. 0 thou precious little divinity, we worshi]J thee; pray hear our prayer.
We have nourished thee and brought thee up with a deal of pains and trouble, all because we love thee so. 0: ow, as thou hast gTown big, we are about to send thee to thy father and mother. When thou comest to them please speak well of us, and tell them how kind we have been ; please come to us again and we will sacrifice thee.'
After the prayer has been said another Ainu goes to the cub's cage and catches the victim's head in a rope having a noose made in it for that purpose. This noose is then passed rollnd the neck and under the foreleg in such a manner as not to choke the animal \vhen it struggles , Another noose is made in a second rope, and this is passed over the head in the same way, excepting that the end of it comes out on the oppo site side of the bear. Thus, when t1w animal comes out of the cag'c it is led along by two men, one on each side. Sometimes, however, when the bear is a large one, a rope is put over the hind quarters, and a man walks behind holding it tightly and ready to aid in case there should be any dangerous display of temper.
As soon as the poor beast is out of the cage the people who have formed the ring shout and clap their hands while it is being led into their midst, and upon its arrival they take blunt arrows, which they call Hepere-ai, i.e. 'cub arrows,' and shoot at it, thus trying to work it up into a passIon. The shouting now becomes deafening, and the bear sometimes furious. But the wilder the bear becomes the more delighted do the people get. Should, however, the animal refuse to move, he is brushed down with a stick called Ta!.:usa, the tuft on the top of which is made of Arundinaria.
When
the excited and struggling brute shows signs of exhaustion a stake is driven into the ground in the centre of the ring of people, and to it the bear is tied. This stake is ornamented with inao shavings and leaves of Arundinaria, and is called Tushop-ni, i.e. 'tree having the rope.'
As soon as all is secure the blunt arrows are shot with renewed vigour, and the beast tears and rages till it is quite tired out. Then comes the most exciting time and true test of valour. All at once some braye young Ainu will rush forward and seize the brute by the ears and fur of the face, whilst another suddenly rushes out and seizes it by the hind quarters. These men both pull at the animal with all their might. mouth.
This causes it to open its Another man then rushes forward with a round piece of wood about two feet long; this he thrusts into the bear's jaws. The poor beast in his rage bites hard at this, and holds it tight between its teeth. Next two men come forward, one on each side of the bear, and seize its fore-legs and pull them out as far as they can. Then two others will in a like manner catch hold of the two hind-legs.
When all this has been clone quite satisfactorily, the two long poles which were laid by the JlllSa, and which are call cd Ok numba ni, i.e.. 'poles for strangling,' are brought forward. One is placed uncler its throat, and the other upon the nape of its neck.
A good shot with the bow, who has been previously determined on by the men, now comes up and shoots the arrow into the beast's heart, and so ends its misery. Care has to be taken to so strike the brute that no blood is shed, for, for some reason or other, it is considered unfortunate to allow any of the blood to fall upon the earth. Should it do so it must be quickly wiped up with some of the sacred inao shavings. [can so far get no reason why bloodshedding at this particular time should be tabooed, for the original idea underlying it appears to be now lost. It is true in some cases the blood is shortly afterwards taken by some of the most hardened of the men and drunk while warm; but this is said to be not by way of forming any blood alliance or blood covenant with the animal. but simply that the courage and other virtues it possessed may pass into them. Nor is the sacrifice in the smallest degree considered piacular, for sin and its pardon are not looked upon in the light we, who have had Christian teaching, view them.
As soon then as the bear has been shot in the heart it is carried to the two poles, which have been previously placed !lpon the ground for this purpose, and its head placed upon one of them, while the other is put over its neck.
Now all the people shout and rush forward, every one eager to assist in squeezing the animal till life is quite extinct. I t is said that they Illust be careful not to allow the poor beast to utter any cries during its death struggles, for this is thought to be very unlucky; why I cannot learn. People become so very excited at the time the cub is throttled that they sometimes trample upon one another in their eagerness to have a hand in the death. And so the poor brute is killed, and the firsF part of the act of sacrifice accomplished.
As soon as it is strangled to death the hear is skinned and its head cut off, the skin, however, being left attached to the head. This is taken to the east window and placed upon a mat called iIlIlO-SO, and ornamented with inao shavings, eilrrings, beads, and other things; indeed. on one occasion I even saw one decorated with old sword hilts and a Japanese mirror. After having been placed here a piece of its own flesh is cut off and placed under the snout. This is called Not-pok-omap, i.e. 'that under the jaw.'
Then a piece of dried fish and a moustache lifter, neatly made up into a parcel, is put ib before it, also some millet dumplings, a cup of its own meat hoiled, and some sake. The dried fish is called Sat-chep shike, i.e. 'the lmndlc of dried fish.' The cup containing thc boiled meat is called marapto itangi i.e. 'the cup of the feast.' This having becn done, a man worships, saying, '0 cub, we give you these inao, cakes, and dried fish; take them to your parents, and say, " I have been broug-ht lip for a long time by an Ainu father and mother, and have been kept from all trouble and harm. As I am now g-rown big I am come to thee. I have also brought these inllo, cakes. and dried fish. Please rejoice." If you say this to them they will be very glad '
Another prayer ran thus: 'My dear cub, pray listen t() me, I have cared for you a long time, and now present thee with inao, cakes, wine, and other precious things. Do thou now ride upon the inao, and other good things herewith presented to thee. and go to thy father and mother. Go happily, and make them to rejoice . When you arrive call together multitudes of divine guests, and make a great feast. Do thou again come to this world that I, who reared thee, may meet with thee again, and once more bring thee up for sacrifice. I salute thee, my dear cub; depart in peace.'
After this worship has been performed millet dumplings are threaded on sticks, and placed beside the head. These are said to be for the feast in the new world, for it would never do to appear before one's ancestors without a small present sufficIent to provide viands for a meal. They are called Imoka-shike, i.e. 'remnants of the feast.'
The men now all readjust or don their crowns, for they have been either laid on one side or knocked off during- the teasing and slaying of the cub. This done, they have a good dance altogether.
The women put on a sort of head-dress, called chipanup, i.e. 'head tier,' in lieu of a crown.
It is utterly ridiculous to see these old greybeards dancing in a ring and apeing the young.
But they are happy, and as they know no better one cannot but good-naturedly smilc at them. The dance Ol'er, they rcturn to the hut, and make quanti tics of iuao, which are carefully placed upon the hear's hcad. III the mean time some of the cub's flesh has been boiled. A cup of this is now takcn, and set before the beast's snout, and he is said to be partaking of thc marapfo itallgi, i.c. ' the cup of the feast.'
After a little time has elapsed the man who presides at the feast says, 'The little divinity has now finished eating; come, ye friends, let us worship.' He then takes thc cup, salutes it, and divides the contents-a very small portion to each-among all thc assembled guests, for it seems to be absolutely essential that each person, young and old alike, should take a little. Besides being called' the cup of the feast,' this cup is also namcd ipuni itangi, i.e. 'the cup of offering.'
This name refers to thc fact of its having bcen offered to the divinity just sacrificed.
After this cup has been partaken of, more inao are made, while the rcst of the beast is stewing in the pots. The entrails are then cut up fine, sprinkled with salt, and eaten raw. This, like the drinking of the blood, is said to be for the purpose of obtaining the prowess and other virtues of the bear. [must mention, also, that some of the men besmear themselves and their clothes with blood. This is said to be for the purpose of rendering themselves successful in hunting. This beastly habit is called Yai-isho-ushi, i.e. 'besmearing oncself with good sport,' or 'successful hunting.'
They treat themselves in the same way with the blood of other beasts and also birds when offered in sacrifice.
As soon as the flesh has been sufficiently cooked it is shared out among the people present, and every member of the company partakes of some, however little it may be. It is thus that he obtains communion with his dear little divinity, as he calls the victim; and this appears to me to be the special way in which he shows his social and religious fellowship with his totem god and the people.
Not to partake of this feast and not to make inao would be tantamount to confessing oneself outside the pale of Ainu fellowship.
‥‥
The head of the bear is at last detached from the skin and taken to the lnusa heap, where it is placed among the other skulls.
A tall pole is here set up having a fork in the top, the prongs of which are ornamented with inao.
This pole is called keomande-ni, i.e. 'the pole for sending away.'
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村上島之允 (1800), pp.89-92.
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イヨマンテ 一曰イヨヲマンテ 是、夷地の大祭事にして、熊を殺し神に祭る也。
初春の頃より深山の積雪を分て、飼馴たる犬おして熊の蟄したるを探らしむ。
子を捕獲て家婦に授、乳味を以て是を育しむ。
生質によりて荒きハ籠に入置もあり。
食は魚肉を與て是を養。
冬十月頃に至れは長して大熊となる日を卜して酒食を設、親族、朋友を集む。
是を賓人造と云。
其朝、熊に食事さまさま喰せ、神は今日ヲマンテせり。
よくよく餌喰し給へと説言し、集夷篭をめくり躍をす。
削りかけの幣木を製し、如垣にならへ、前に文席を敷き、
扨、熊を籠より出すは家婦のなす事、古例なり。」
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