Up 子熊を育てる 作成: 2016-11-22
更新: 2016-11-22


    冬期の巣穴の猟では,子熊連れの雌熊にも出遭う。
    そこで,この子熊の処置が問題になる。
    アイヌは,この処置を「熊送り」(イオマンテ iomante) の様式に発展させた。

    すなわち,アイヌの女がこれを自分の子どものように育てる。
    成長して歯や爪が鋭くなり,手に負えなくなったら,檻に移す。
    さらに成長して檻で育てるのが無理になったところで,「熊送り」として殺す。

    この方法は,理に適っている。
    子熊は,自然に残したら死んでしまう。
    人の手で一旦育てた熊は,自然に戻そうとしても,人から離れない。


    子熊養育の様は,つぎの書によく描かれている:
      砂沢クラ, 『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983.
    また,つぎの書に簡潔な紹介がある。
    以下,このなかから引用する。

    『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』
     
    p.198
     子供たちもすっかり元気になり、養っていた子グマと一日中、楽しそうに遊んでいました。
    この子グマは、ほんとうにかしこくて、人聞の言うこともすることもなんでもわかるのです。
    政代と末子が棒を持って「ブランコ、ブランコ」と言うと走ってきて、左右をちゃんと見て、棒の真ん中をつかんでぶらさがるのです。


    pp.200, 201
     夫は大ケガをするし、猟もない、子供に教育を受けさせたい、と、私たちは四月を前に旭に帰ることに決めました。養っていた子グマはすっかり大きくなり、連れて帰れないので、旭川の親せきや奈井江の町の人を呼んでクマ送りをすることにしました。この子グマは、とて利口で、人間の言うことすることはなんでもわかるだけでなく、自分も人間の子供だ、と思っていたようで、することなすこと人間の子供そのままなのです。
     子供たちと歩く時は、後ろ足二本で立って並んで歩きますし、ソリ遊びの時も、ソリの後ろに乗り込んで、両手で前の子供につかまっています。外遊びから帰ってきた子供たちが「寒い寒い」と炉の火に手をかざしてあたっていると、自分も間に座って前足をかざしてあたるのです。こうして座ると、頭の高さも子供たちと同じぐらいで、幅だけが広いのです。
     私も子供たちのひとりのように思い、子供たちも、とてもかわいがっていたので、クマ送りで送った時は悲しくて悲しくて泣いてばかり。肉も食べる気になれませんでした。この子グマのことは、いまも忘れられません。

    pp.260-264
    夫は、子を二頭産んだばかりの大グマを捕ったのでした。
     生まれたばかりの子グマは、毛のないネズミのようで、大きさは片方の手の中にすっぽり入るぐらい。 まだ、目も耳の穴も開いていません。 夫は「昔から、毛も目も耳もないクマの子を育てた者はいない。おまえに育てられたらエライ」と言って、子グマをくれました。
     少し大きいほうの子グマは背筋にうっすらうぶ毛が生えていましたが、親が死ぬ時に下敷きにしたそうで、翌朝、内出血で死にました。
     「なんとか育てる」と、私は残ったクマの子をいつもふところに入れ、うるかした米をかんで肉汁と混ぜ、二時間おきに口移しに飲ませました。 二口ほど飲むと眠るのですが、おなかがすくと針のようなツメでひっかき、夜も満足に眠れません。
     少し大きくなってからは、いつもおんぶ。 まき取りにも水汲みにも背負って行きました。 一カ月ほどすると歯が出てきたのでサイダーびんに米汁と肉汁を入れ、口に当てると「クッ、クツ」と飲むようになり、助かりました。
     一カ月半ほどして子グマも大きくなったので、旭川の家へ連れて帰りました。昼間は家の中を静かに歩き回っていてよいのですが、夜になると、一緒に寝ないと泣いて泣いてうるさくてたまりません。一緒に寝ると、ろくに眠れず、ほとほと疲れました。
     嫁が「お母さんがいなければ泣かない」 と言うので、子グマは嫁と母に預け、また芦別の山に入りました。子グマを育てた小屋で体を休めていると、ある夜、登別温泉の森さんが訪ねてきた夢を見、その翌日、大グマを捕り、帰りました。
     夏になって、息子の清が兵隊に取られ、嫁が出て行きました。孫の代恵子の守りをしなくてはならないので、子グマを外につなぐと大声で「抱っこしてくれ」と泣きわめきます。もう、抱っこ出来ないほど大きくなっているのに。
     仕方なく抱くと、抱いているうちは喜んで甘えていますが、おろそうとすると怒って、かじったりひっかいたり恐ろしいのです。
    孫の守りとクマの守りで疲れ果て、体の具合も悪くなったので、登別温泉の森さんにあげました。
     このころは戦争で、人間でもまともな物は食べられなくなっていました。「おなかをすかせていないか」と心配で、二カ月ほどたってから登別温泉に子グマを見に行きました。
     子グマはすっかり大きくなり、大木の下につながれておおぜいの観光客に固まれていました。顔を見せたら悪い、とカサで顔をかくして近づいたのに、においでわかつて二本足で立ち、私の方を向いて大声で泣くのです。観光客は、みな驚いて逃げ、私も、森きんの家に逃げました。
     森さんの家には温泉旅館からもらった魚、肉、ごはんが大きなバケツにいっぱいあって、安心しました。「クマがいるので人が寄る」と喜んでエサを出してくれるということでした。森さんも、自分の子のようにかわいがり、毎日、山道を散歩させてくれていました。
     二十年の正月早々、森さんから「クマ送りをするから来てくれないか」と電報が来ました。戦争が激しくなって、いつ空襲があるかわからないので、危険だから殺すように言われたのでした。
     森さんは、悲しくて悲しくて、クマと一緒に山に入り、クマと抱き合って泣いたそうです。一度は、山の中に放してみたそうですがクマは走って帰ってきたそうです。もし、人聞のいない山奥に連れて行っても自分でエサを取れないから死ぬでしょう。
     このクマは、とてもかわいい顔をしていて、おなかがすくと後ろ足で立ち「ウェー」と鳴いて、前足を重ねて出してちょうだいをするのです。人間の言葉もよくわかり「ちょっと待て」と言うと、いつまでもちゃんと座って待っているのです。小さい時から養ったクマは、自分を人間だと思っているので、歯とツメを切れば、人間に害はしないのですが‥‥。
     かわいそうで、とても送るところなど見る気になれませんでしたし、それに、旭川でも空襲が心配されるようになって、クマ送りどころではなかったのです。夫も行きませんでした。だれが送ったのでしょう。


    『アイヌの伝承と民俗』/ The Ainu and Their Folk-Lore
     
    p.400
     アイヌのクマ猟師たちは、一、二頭のクマの子を手に入れ、大きなクマ祭を催すためにそれを家で育てることができると、非常に自慢する。
    男たちは、一頭の子を手に入れるために、生命をかけることが知られていた。
    彼らが子グマをつかまえると、たいへん喜んで家に連れて帰る。もちろんこの特別の出来事を祝して酒を飲む。
    ときに、非常に幼い子クマが人々と一緒に小屋のなかで生きているのが見られるかもしれない。
    子グマは子供たちと一緒に小屋のなかで遊ぶし、大きな愛情でもって育てられる。
    実際それらのうちのあるものは、わが子自身よりも大切に扱われさえする。
    子グマが死んだとき、人々が非常に泣いたケースを私は知っている。
    しかしクマにだきしめられるとき少し痛みを感じるほどクマが大きく強くなったり、その爪があまり強いので好ましくなくなるとすぐに、クマは材木でしっかり作られた櫨のなかに入れられる[目次の末尾のベージの図]。
    クマは一般に二、三歳になるまで、ここにおかれる。
    そして、このとき、クマは祭のために殺される。

    pp.483, 484
    Ainu bear-hunters are very proud if they can secure a bear cub or two to bring up at home for the purpose of holding a great bear feast.
    Men have been known to risk their lives in order to secure one, and when they do catch a cub they bring it home with great glee, and, of course, get very drunk in honour of the occasion.
    Sometimes very young cubs may be seen living in the huts with the people, where they play with the children, and are cared for with great affection.
    In fact, some of them are treated even better than the children themselves, and I have known cases when the people have wept greatly when the cub has died.
    But as soon as they are grown big and strong enough to cause a little pain when they hug a person, or when their claws are too powerful to be pleasant, they are placed in a cage strongly made of pieces of timber.
    Here they generally remain until they arrive at the age of two or three years, at which time they are killed for the feast.