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久保寺逸彦 (1956), pp.105,106
[巫呪には、二方面があって、(1) は人を呪う方面]
(2) は「吉凶禍福を占う」方面 ‥‥‥
吉凶禍福を占う巫呪の方面には、主として女子が関与する。
例えば、飢謹・洪水・悪疫・不慮の災禍等が起こったとする。
酋長を初めとして村人たちが大勢集まり、巫女を招いて、巫女をして神意を伺わせるのが習いであった。
まず、男たちが木幣を供え、禱詞を述べて、神々を祭り、神降ろし kamui-nishuk の詞を唱えると、巫女が神懸かりして異常意識に陥り、ロばしる託宣の詞によって神の意志を知るのである。
神懸かりした巫女は、初めのうちは、何か小さい声でぶつぶつ言っているが、次第に眼つきも変わり、体がふるえ出しなどし、時にはうつらうつら居睡りしたり、あるいは鳴咽したりなどして、語るがごとく、歌うがごとく、調べ出るものだという。
託宣する時には、声なども、不断の声とは違って、太い幅のある声で、まるで人柄が違ったようになってしまう。
もちろん、後からたずねても、本人は何をいったか知らぬと言うのが常である。
これが巫女の託宣歌 Tusu-shinotcha というものなのである。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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