Up 参考 : 鳩沢佐美夫『証しの空文』より 作成: 2016-12-29
更新: 2016-12-29


     鳩沢佐美夫『証しの空文』(1963)
     『沙流川──鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995. pp.7-43
     
    pp.17-20
     私が幼いころ、おふくろがよく神下しをした。 家族の誰かが病気をしたら、かならず悪霊に呪われていると信じた。 そのようなとき、病人が直接その悪霊を見ることもある。 また他の誰かが夢などで、それを探知する場合もあった。 そのお告げを真っ先に受けるのが、おふくろである。 それを聞くと、おふくろは無意識に欠伸(あくび)が出て、気が変になるらしかった。
     私、が七、八歳ころだと思う。 夜分激しい腹痛に見舞われたことがあった。 熊の胆などを飲まされたが、少しもよくならなかった。 夕食は全部吐いてしまって、腹部から押しあげられる空嘔吐の催しは、犬の遠吠にも似た坤き声を発しさせた。 最早家の者たちには、手のほどこしようがなかった。 そのうちおふくろのマウソカ (欠伸) がはじまった。 祖母は待っていました、というように、何事か怒りをこめていいながらおふくろの傍に坐った。 それは呪文にも似た激しいものであった。 祖母は、「どんな悪魔でも、神のような子供に、こんな苦しみを与えて、悪いとは思わないのか。 いいたいことがあるのなら、姿を現わして全部いってしまって、早くこの子供の苦しみを解いてやってくれ。 そうでなければこの世の中にも、またお前の住む仏の世界にもぜったい居られないように、神様に訴えてやるから‥‥‥」とアイヌ語でいうのであった。 その間おふくろは、眼を閉じて手を合わせて、自分についている神様を呼び寄せていた。 祖母の呪文のような言葉によって、悪霊がいたたまれなくなると、おふくろの体が激しく慄えて来る。 そのときは、二年ほど前、行方不明になった犬のポチが、私を苦しめたのであった。
     そのポチは狐色の可愛い犬であった。 それがいつのまにか、いなくなってしまった。 私たちはほうぼう捜した。 がみつからないのでそのままほっていた。 ところがポチは、野犬狩りの捨てた毒ダンゴを食べて、裏山で死んでいた。 それなのに誰もポチを祀ってくれない。 神様の世界に行こうと思っても、行くこともできない。 だから生前いちばん可愛がってくれた私に、それを頼もうと思って、ときどきいたずらをしていた。 ○○日にもお腹が痛かったはずだ。 それも自分がやったのだ、とポチはいった。 そういわれてみれば、○○日の腹痛も嘘ではなかった。 突然激しい痛みが襲うかと思うと、またケロッと快くなった。 そんなことが度たびあった。 だが自分を祀って、神様の世界に行けるようにしてくれれば、もうぜったいにそんな悪いことはしない。 まったく申し訳ない。 ほんとうにごめんなさい。 とポチは泪を流して私に謝った。
     その聞のおふくろは、熱にうなされたときのように、顔面真っ赤にして、本物の犬のような仕種をした。 祖母はおふくろの喋ることを、一言も聞きもらすまいとして、緊張していた。 がポチが嘘をつかないように、(けしか)けたり(すか)したりもする。 私はポチの咆哮のようなおふくろの仕種が怖くて怖くてたまらないので、凝視したまま一寸も動かなかった。 このような緊張した時が過ぎると、おふくろは外へ出て、悪霊を払い落として、神様をお送りした。 祖母は呪文のような言葉を弄しながら、灰だとか塩を茶の間中まき散らして、家の中から悪霊を掃き出していた。 それを息を殺してみつめている私は、神下しの終ったおふくろに、「まだ腹が痛いかい‥‥‥」と問われるまで、腹痛のことなどすっかり忘れていた。 気がついてみるとあの激しい痛みも嘔吐感も、嘘のように消えている。 祖母とおふくろは、驕るような笑みを浮かべて、「やっぱり、あのポチの仕業だったんだ‥‥‥」と、顔を見合した。
     このようなことがあるだけに、誰かが病気をしたというと、すぐおふくろは頼まれて神下しをした。 だが私が成長するにしたがって、これに疑問を抱き、批判的になった。
    ‥‥‥
     私はそのことで、よくおふくろと衝突した。 あるときなど、二日間もおふくろが行方不明になるような事件さえ起こした。
    ‥‥‥
    こんな私の理詰の抵抗に、おふくろもやっと納得して、神下しもしなくなった。 夢などにもこだわらなくなった。 が、一方の祖母には、私のほうが屈服してしまった。
     あるとき早朝来たかと思うと、昨夜私のことで夢見が悪かった。 したからハルイチャルパ (神仏に物を供えて祈禱) する、といった。 祖母はヌキ (お椀) やパスイ (祈禱用の箸)、頭のついた煮干、米( あるいは稗や粟〉、たばこ、酒、などをお膳に用意した。 そしてストーブに(むか)って、イノンノイタクツ (お祈りの言葉) をはじめるのであった。 アイヌの神々でも、いちばん威厳のあるのは、アベフチ (火の神様) である。 そのアベフチに、祖母は昨夜の悪夢を訴えた。 そして煮干や米、たばこ、酒などを、少しずつストーブの中に入れながら、
    「ここに尊い物を供えてお祈りしますから、ウクランのウェンタラップ (夕ペの悪い夢) のようなことのないように、孫をお護りください‥‥‥」と頼むのである。 アペフチ (直接の祈禱) が済んだら、今度は私の枕元に来て、「どんな悪者でも、いま神様に与えた尊い物をこの孫にも与えるのだから、もし孫を苦しめるようなことをしたら、お前はきっと神様の戒めを受けるだろう‥‥‥」と、酒などを私の頭に二、三滴落としてから、一と口飲め、といった。 私は暗示にでもかけられたように、そのとき床に起き上がって恭々しくいただいた。
     このような家の中での祈祷が済んだと思うと祖母は外へ出てツプカムイ (太陽の神様) にも同じようなお祈りをした。 そして供物を全部捧げるのであった。 元はヌサ (神様の安置所) というものがあって、そこに供物を捧げた。 がそのようなもののない昨今は、家の東側で人びとのあまり歩かない所に置くのである。 これでやっと、祈祷のすべてが終了する。
     その間の祖母の表情は敬虔そのもので、私たちがなにをいっても聞くふうにさえなかった。 祈祷が終ると祖母は自分の見た夢がどんなに悪いかを、表情をつくりながら話すのであった。 そんなとき下手に(さから)おうものなら大変である。 過去の体験の一つ一つ挙げて、人柄が変わったように私を叱りつけた。