Up 巫女 Tusu-menoko 作成: 2019-01-14
更新: 2019-01-14


      久保寺逸彦 (1956), pp.109,110
    巫女の持つ巫力は、その憑き神宮 turen-kamui, turen-pe の所為と信じられている。
    アイヌの考え方に従えば、人は誰でも、生まれ落ちるとともに、それぞれ一定の憑き神があり、それによって、その人の賢愚・不肖なり、能・不能、運・不運が決定されるという。
    すぐれた憑き物を持つ人は傑出し、拙い憑き物を持つものの生涯はみじめなものとなる。
    しかも、憑き物は、必ずしも一つに限らない、できるだけ多くのすぐれた憑き神を身に持って、その恩寵に預かり、加護を受けたいと念じるのである。
    巫女の憑き物は、多く蛇体のものと考えられているようである。‥‥‥
    また、そうした巫力に恵まれた婦女の多くは、神謡や詞曲の伝承者であることも多い。

      同上, pp.110,111
    [女子の、
     巫術によって、神意を聴いたり、あるいは病気を治したりする才能
     産婆 iko- inkar-mat として助産しうる才能、
     神謡・詞曲等を伝承する能力]
    アイヌの人々はそれらの才能を、習得するというよりも、むしろ天賦のものと考えているので、その系統の女なら、別に習得しなくても、やって見れば、自然に巫術もでき、産婆もやれるし、詞曲の伝承もできるもののように説明する。
    天賦のものということは、結局、かかる特殊な才能を恵む憑き神が、ある女系 huchi-ikir の女に、遺伝的に態依するものであるということになるであろう。

      同上, pp.111-115
    アイヌの人々にあっては、およそ、男子の美徳が、豪族の家に生まれ、勇力・弁論に秀でることであったのに対して、その好配たるべき婦女の資格は、美貌にして、巫術に長じていることであった。
    ゆえに、英雄調曲 Yukar などには、
      主役たる小英雄 Poi-Yaunpe (あるいは Pon-Otashutunkur, Pon-Otasamunkur など) の壮烈果敢なる戦闘ぶり
    を叙するとともに、
      この妻たるべき美少女は、 「nish-or-kushpe, tusu-e-ranke, toi-tum-kushpe, tusu-e-pusu 雲中にひそむものをも、巫術もて下ろし降し、土中に蔵るる者をも、巫術もてあばき出す」と述べられているように、 巫力によって敵方の巫女を圧倒し、小英雄を援けて、勝利に導く
    様など歌っているものが多いのである。‥‥‥

     「 カネサンタ人の妹と覚しきもの、座に出で来る。
    驚くべし、かかる美しき女もあるものかな。
    顔の輝きは、さし出づる旭日のごとく、光さし映え、まばゆきばかり。
    げに、巫術にたけし者と覚しく、巫術の鉢巻 nuput-channoyep を鬢髪の中に、包み隠しつつ、
    隠形の憑物 mukke-turenpe は、星の瞬きなして、その頭上に閃々として光を曳きて、相交叉し、
    顕形の憑物 sar-turenpe は、蝙蝠の群成して、その身の周囲に、真暗にくらみ纏はり、相交叉せり。
    その美貌なる言ひも知らぬ処女、歩み寄りて、杯の許に坐りて、杯を手に呑み乾しぬ、
    それよりして、炉端にいざり行き、巫術の小棌 tusu pon rep-ni を取り出し、炉縁の上を打ち叩き、これなる占ひの謡ひ、その口許に、世にも妙に調べ出でたり。
    それよりして、占ひの歌の先々に、
    我 (詞曲のヒーローたる小英雄が単身、海を渡りて、沖の国 Repun-shir なるカネサンタの里人の酒宴も酣なる頃、そこへ寄せて、身をひそめて、敵状を窺ひ居るところなり)
    を引っかけ引っかけ露はし出ださんとすれど、我危くのがれ遁れす。
    あはれ、驚くべし、如何ばかり、この処女の憑き神のいみじきにや、我言ひ知らず、
    巫占の間あひだに、息も絶え入り、消え入らんとすること屢々なれども、辛うじて、巫占の謡ひを、涕泣しつつ歌ひ了へたり──
    『いでいで、我が兄君たち、
    我が言ふことを(つば)らかに聴き給ふベし。
    たやすからざる出来事これより出で来るものと覚えたり。
    如何にしたることならむ。
    本州人の国 Yaun-kur moshir (「沖の国 Repun-moshir に対して、北海道をさす) の上より(もや)の橋 urar-ruika こなたを指して寄せ来る様白々と見え、その靄の橋、我が村里の真上にかかりたり。
    その上には黄金の霊鳥 konkani kesorap ひらひら羽搏き、まっしぐらに、我が村里のただ中に入り来たりけりとばかり我が思ふ間に、いづこへ翔けり行きしか、分からずなりにけり。
    その気はひの蔭に、その気はひの後に、我が占を通しやりて、強占(つようら)に我が占ふに、かくこそあれ。
    海原の上に、小さき(しゃち)の神 Pon repun-kamui その眼も鋭く見開きて、背鰭に海潮を切りつつ、ただ一筋に我が里さして来るとばかり見えて、いづこに行きしか分からずなりたり。
    そこをもて、その気はひの蔭に、その気はひの奥に、我が占を通して占ふに、砂の上に、黄金の小狼 Konkani pon horkeu つつ立ち居て、その眼の中、血の筋立ちて、ぐっと我が山城を睨みつけてゐるとばかり、我が思ひしが、いづこへ跳び行きしか、分からずなりたり。
    我が占を強めて、強占に占ひ見るに、如何にせしことにや、この屋なる、上座の窓の下蔭に、本州人の靄立ち籠めたり。 我いぶかしく思ひて、件の靄を掻き掃へば、窓の下に、小さき熊 kimunpe の身を()じらせて、(わだかま)りゐる。
    下顎の牙は上顎に喰ひ違ひて露出し、上顎の牙は下顎に喰ひ違ひて露出し、その眼爛々として、見る目も恐ろしとばかり見えしが、それよりいづこへ行きしか、分からずなりたり。
    我いぶかしみて、いよいよ我が強占に占ひ見れば、かかることよもあるべしとは夢にも思はざりしに、ここに集へる我が兄君たち、ただ一人としてこの戦に命生き給ふ者あるまじく、我が思ふなり。
    また沖の国人なる我が兄君たちも、一人として助かり給ふまじく見ゆるなり。
    世に恐ろしき禍事(まがごと)、将に起こらんとす。
    人々つとめ給ふベし』
    ──とうら若き処女、鳴咽の声も絶え絶えに、ト占の物語、卜占の歌、歌ひ了へたり」
    (日高・沙流・新平賀、平賀エテノア媼伝承「虎杖丸 Kutune-shirka の曲」の一節)。


    引用文献
    • 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
      • 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977