|
久保寺逸彦 (1956), pp.232,233
アイヌの考によれば、家は animate な (生ある) 物であり、女神として Chise-katkemat,Kenru-katkemat (家夫人) と呼ばれる。
生あるものなるが故に、そこに霊魂が内在している。
家を焼くことは、その形骸を焼却破壊することによって、内在せる霊を離脱させる唯一の手段でなければならないことになる。
先に述べた如く、死者の他界に於ける生活は、現世そのままの連続なるが故に、この世ながらの家を必要として、一家揃って、そこに団欒することとなる。
そうすれば、男女いずれが死んでも、その他界に於いて必要とする家は、之を焼いて持たせてやらなければならないことになる。‥‥
老翁・老撮の死んだ場合には、どうしても焼いてやらねばならぬと強調して、若い人や子供などの死んだ場合には行わない様にいう地方が多いのも、結局、先に死ぬことの多い老人に家を持たせてやれば、後の家族には、必要のないことにもなるからであろう。
|
|
|
同上, pp.233
家を焼く理由としては、死霊に対する恐怖感に基づくものであることは、言を俟たない。
死霊が墓地から、元の住家に立帰って、種々の危害や災禍を、生ける人々に与えることを防止するためには、その帰り宿るべき家を焼却することが唯一の手段である筈である。
アイヌの宗教観に於いても、祖霊に親愛感を持ち、之を崇拝祭記する段階は、かなり後の発達で、本来は、祖霊は恐るべきもの、墓地に屍を捨て去ったのを最後として、永遠に絶縁すべきもの、祭るべからざるものであったのである。
従って、他界に於いての生活の為に、死者に家を持たせてやるという考方は、祖霊の崇拝乃至祭祀が起ってからの合理化でなければならない。
死者が出れば、家を焼き、新に住居を建てる、或は他所に移転するという習俗は、アイヌが常に居を変えて、大きな聚落を形成し得なかった一因ともなり、従ってアイヌの生活の向上を阻害したことはいうまでもない ‥‥
|
|
|
同上, pp.235,236
「火の女神 Kamui-huchi」に対する禱詞。
「火の婆神様! 国土の主なる媼神よ!
本当に、あなたの尊いみ心に対して、衷心から畏れ多く思いますが、先祖以来の慣習を、私ども子孫も真似まして、ここにあなたのみ心に向って言挙げいたします。
何事をするにつけ、よい希望が果され、望ましい生業が将来にある様にと期待しているのは、私ども凡庸の人間どもであります。
然るに、この度、涙子(仏)となられた夫人は、その夫と仲睦じくつれ添って来たのでありまして、その若い頃、新に家を建て、「火の女神」の若神 peure kamui を新にその中に置き、屋内を立派に整えたのでありました。
又、「大幣の神 Nusa-kor kamui」や、「森の大神 Shirampa kamui」にお願いして、その新屋の背後を堅く取締り、家に魂を与えて頂きました。
同時に、この家に住む若い人々も、一生、年老いて死ぬまで、互いに喧嘩などする様なことなく、「火の女神」の御膝許たるこの家の中に、睦じくつれそい、暮らして行けます様、神々にも、同村の首領たちにも、お願いして来たのでした。
然るに、何という残念なことでありましょう。
如何なる悪神が、そいたずらの嫉み心から、この様な仕業や悪戯をしたものでしょう。
まだうら若い主婦の若々しい身体を、他の人と取違えられてか、神々もどうとも出来ない様な凶事が出来し、神々からも手を放されてしまいました。
今日まで、私どもは、葬儀の席、その席上を、出来る限り、懇ろに、供物をし、野辺送りも滞りなくすませ、後片付けもすべて終ったところであります。
可哀そうなこの涙子が、生前、その中で、毎日立働き、苦労して来た家でありますから、今亡くなって見ると、益々同情に堪えません。
「森の大神 Shirampa kamui」にも、そのみ心にお考えになるところが無い訳ではなかろうと思いますが、「森の大神様」にお願いして、この家を、私たちの涙子に、用意して持たせやる様にして戴きたいと思います。
涙子はそれを持って、祖先の国へ赴き、そこで、老翁 ekashiや老媼 huchi 等と同じ村に住み、生前の夫と共に、同じ家に睦じく暮らせる様になるでありましょう。
そのため、今、この家を亡くそうとするに先立ち、その次第を、覚束ない詞を以って、「火の女神様」に申上げた次第であります。
どうか、万事につけ、人々が事を取運ぶ傍を、よくお守り下さる様、衷心、お願い申上げます。」
|
|
引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「北海道アイヌの葬制一沙流アイヌを中心として」
- 民俗学研究, 第20巻, 1-2号, 3-4号, 1956. pp.156-203 (54-101)
- 収載 : 佐々木利和[編]『久保寺逸彦著作集1: アイヌ民族の宗教と儀礼』, 草風館, 2001, pp.103-263
|