Up 墓地を恐れる──幽霊・穢れ 作成: 2018-08-06
更新: 2018-08-06


      Batchelor, John (1901), pp.450, 451
     あるとき、アイヌの村長 (チーフ) とともに森のなかを歩いているとき、彼が道の片側から遠くない特別の地点に近づくことに強く反対するのに気づいた。
    私がなにを言っても、彼はその場所近くに行こうとしなかった。
    彼はまた私が行かないか非常に心配していた。
    たくさん質問し、なだめすかした後に、彼はついに、こわいからだと私に白状した。 しばらく前に、一人の人がそこに埋葬されたから恐ろしいのだと言った。
    さらに尋問すると、彼がその墓を避けているのは、彼の種族のすべての他の人々と同じく、死者の霊、あるいは魂が依然として生きていると彼が信じているためであることに気づいた。
    霊は、肉体が横たえられた墓とそのすぐまわりに出没すると考えられているし、また霊は、肉体の休息場所の近くで見つかった人にはだれであろうと、その精神に魔法をかけるし、さらにその肉体に危害を加える力をもっているだけでなく、その霊が女の霊ならとくに、機会があり次第そうする意志をもっていると考えられている。
    私に同伴した村長は、ピラトリ (平取) のぺンリだった。‥‥
     あるとき私は、昔知っていた一老女の墓を訪れ、埋葬の場所を示すために立てられた棒になんらかの銘があるかどうかを調べた。
    そのとき私について来た人は、その地点から二五ないし三〇ヤード [二三ないし二七メートル] 以内には決して来ようとせず、その距離だけ離れて立っていて、声と手で私に指図した。
    その人は自分自身の母親の幽霊を恐れていたのだ!
     他人が埋葬された場所の近くに行かないようにするために物語られる民間伝承はつぎの通りである。
    「もし人が墓に行くなら、それがどんなに古いかは、問題ではなく、その人はきっと罰せられるだろう。それゆえ、用心せよ、用心せよ」。
     小屋に戻ると、その男と数人の女たちは一緒に、たらい一杯の水を戸口に持って来て、顔と手を洗うように私に要求した。私が洗っている間、女たちは、私をイナオで打ったり、イナオでブラシし始めた。
    どんな考えでこのような行為をしているのかと質問したところ、洗うのは、死者の幽霊と接触したために墓場でうつったすべての不浄から私を清めるためであり、イナオで打ったり、イナオでブラシするのは、老女が私にねらいをつけていたすべての悪い影響と病気を追い払うためだった。
    水とイナオは、霊の国に不法に侵入したために霊が悪意のある恨みから私に向けたと思われるすべてのよこしまな意図を解毒し、中和する薬だった。

      同上, p.460
     さて死は、容易には起こりえないものである。
    すなわち、生きている肉体のあらゆる小片がその要素に分解されるまでは、なにも完全に死なない。
    それゆえ、肉体が埋葬されるとき、すべてが分解されるまでは、生命、あるいは霊は墓場のなかと、まわりに依然としてある程度生きている。
     それゆえ、人々が幽霊は墓場の近くにいると信じ、その近くに行くのを恐れる理由がわかる。
     肉体が墓場近くにいるとき、霊も、少なくともその一部はその近くにいて、だんだんその地上の住まいから解放される。
    霊は慎重に一人にしてやらねばならない。
    さきにほのめかしたように、だれも霊の領域には侵入してはならない。
    というのは、それは部屋と完全な自由を必要とするからである。
    それゆえ、アイヌが共同墓地でなく、森のなかの遠く離れ、隔離された場所に遺体を埋葬する理由は、この考えに求めねばならない。
     アイヌは棺桶のなかに入れて埋葬されるのを非常に恐れているのに、私は気づいた。
    それゆえ、彼らはこの目的のためにマット (むしろ) しか用いない。
    この考えは、棺桶は小さすぎることと、棺桶は肉体と地上から霊が引き下がることを妨害するということであるらしい。


    引用文献
    • Batchelor, John (1901) : The Ainu and Their Folk-Lore.
      • 安田一郎[訳]『アイヌの伝承と民俗』, 青土社, 1995