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久保寺逸彦 (1952), p.60
これ等の祖霊祭祀の際の禱詞を見て、不思議に思われることは、祖霊に対して、何ら慰めの言葉も、その生前のことを追憶し哀悼する様な言葉もないことである。
他の祭祀の鵡調を見ても同様であるが、アイヌの宗教儀礼というものは結局この人の世に於ける幸福を祈る、更にいえば、現世の社会的理想を維持する重要な手段のーとして存在するものであることは、他の民族の宗教にもあることであろうが、一応注意すべきことであろう。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1952) :「沙流アイヌの祖霊祭祀」, 民俗学研究, 第16巻, 3-4号, 1952.
収載 : 佐々木利和[編]『久保寺逸彦著作集1: アイヌ民族の宗教と儀礼』, 草風館, 2001, pp.39-69
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