「上下の関係づけ」は,いろいろな場合・様相がある。
その一つに「蔑視」がある。
「相手を下に見て嫌悪感を持ち,自分を上に措き優越感をもつ」である。
「蔑視はよくない」の「よくない」の意味は,「根拠が無い・説明がつかない・筋が通らない」である。
蔑視は,教養の問題である。
教養の問題であるので,どうしようもない。
これは,モンスターと同じで,甘んじるしかない。
教養の問題は,教養をつけてもらうしか,解決の方法はない。
教養をつけることが,どうして解決になるか。
教養をつけることは,相手の深さが見えることである。
自分と相手との違いが,相対性として見えることである。
深さ・相対性が見えるとき,相手に対する優越感・嫌悪感は消滅する。
蔑視は,教養の無い小児のわざである。
そして,"アイヌ" イデオロギーは,これについてあまり偉そうなことを言える立場ではない。
"アイヌ" イデオロギーの悪玉・善玉論は,教養の無い小児のわざである。
実際,教養をつけることは,相手の複雑さが見えることである。
相手の複雑さが見えるとき,相手に対する悪玉・善玉論は壊れる。
実際,教養 intelligence が<愚か者><未開人>を見るときは,<理知>の相対性を見ることになる。
その教養をつけられるようになるには,20世紀に入ってから軌道に乗り出した文化人類学の仕事を俟つことになる。
つぎの Bird の認識は,これの手前に位置する:
Bird, Isabella (1831-1904) : Unbeaten Tracks in Japan. 1880
金坂清則 訳注 『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012.
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p.87
何という不思議な生活だろう!
何も知らず、何も望まず、恐れることもほとんどなく、着るものと食べるものを求めることが行動の原理をなし、〈酒〉がふんだんにあることが何よりも望まれるとは!
私との接点の何と乏しいことか!
pp.100,101
初めは未開の人々の暮らしに潜む味気なさが魅惑の陰に隠れていたが、その魅惑が時間の経過とともに失せていくと、動物のような生活に必要なもの以外にはこれといったもののない暮らしであることがわかった。
ただ、内向きで、単調で、よいことに乏しく、暗く、退屈で、「希望をもたず、この世の神を知らない」その暮らしは、少なくとも他の多くの先住民の暮らしに比べればかなり高度でもっとよい。
あえて言えば、洗礼を受け洗礼名を授けられ、最後には聖なる土地に横たえられるにもかかわらず、キリストの教えに従わないわが国の大都市の多数の堕落した人間の暮らしよりもかなり高度でもっとよい。
アイヌは誠実で概して慎み深く、どこまでも人をもてなす心を有し、人に敬意を払い、老人に対して優しいからである。
彼らの一大悪習である飲酒も、私たちの場合のように宗教と対立するものではなく、まさに宗教の一部をなしている。ただ、それだけに飲酒の根絶はきわめて困難だとは思われる。
pp.101,102
薪[ニ]の火の焔が人々の顔と頭を照らすそのさまは神々しく、画家や彫刻家なら見たいと思わずにはいられないものだった。
その頭にはいったい何が詰まっているのだろう、と思われた。
彼らは歴史書をもたず、その伝統には伝統の名に値するものなどほとんどなく、祖先は犬だったと公言する。
家にも身体にもいろんな虫がたかっている。
また無知の極致に陥っており、文字をもたず、千以上の数も知らない。
樹皮でできた衣服[アットウシ] やなめしていない獣皮の衣[ユクウル、セタウル]を身につけ、熊[カムイ] や太陽[チュプ]、月[クンネチュプ]、火[アベ] 、水[ベ] その他わけのわからないものを崇拝している。
文明化も矯正も不可能な未開の人々である。
しかし、それにもかかわらず魅力的で、いくつかの点で私の心を惹きつける。
その甘美な低音や、柔和な茶色の目の優しいまなざし、そして、この上なくすてきな柔和な微笑みは決して忘れたくない。
pp.109,110
アイヌの衣類は未開人[のもの]としては例外的なほどによい。
‥‥‥
晴れ着[チカラカララベ] の多くはことのほかすばらしい。
ざつくりとした紺の木綿地には「幾何学」文様があしらわれ、部分的に「雷文」文様が付いている。
また緋色と白色の糸で巧みな刺繍が施されている。
最高の晴れ着だと製作に半年を要するものがある。
男の衣裳は、これまた手の込んだ文様のある縦長の前垂れ[マンタリ] を付けて仕上がる。
これら未開の男たちは身体つきが堂々としている上に顔立ちもよいので、晴れ着に身を包むと実に立派に見える。
また、目にした限りでは、男の子であれ女の子であれ九歳にもなれば [和人の子供とは違って] 必ずやきちんと衣類を着る。
pp.137,138
長老たちの威厳に満ちた顔つきは、その物腰の不思議なほどの品位や丁重さともよく調和している。
しかしその大きな頭を見ていると、また、アイヌが理解力の片鱗も示さず、子供がそのまま大人になったようであることに思いを至すと、その脳には知力よりは水がたまっているのではとさえ思われてくる。
‥‥‥
アイヌが文明化していない民族の中では高い位置を占めることは疑うべくもない。
だが、最も荒々しい遊牧民族と同様で、教化することはまったく不可能であり、文明の存在するところで文明と接触しても堕落させるだけである。
数人のアイヌの若者が東京に送られていろいろ教育や訓練を受けたものの、蝦夷に戻ってくるとすぐに未開の状況に逆戻りしてしまい、残ったのは日本語の知識だけだった。
彼らには多くの点で魅力があるが、その愚かさと無関心、見込みのなさには嘆かわしいものがある。
そしてなお一層嘆かわしいのは、その人口が再び増えそうなことである。
〈体躯〉が非常にしっかりしているので、現在のところはこの民族が絶滅しそうな様子はない。
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