「憐れみ」は,「上下の関係づけ」のうち最も注意・警戒しなければならないものである。
なぜなら,それはよいことのように思われているからである。
「憐れみ」は,独善に拠っている。
そして,「憐れみ」は無条件によいものとされているので,独善にチェックがかからない。
そこで,行動を起こせば,必ず馬鹿なことをやってくれる。
例えば,後進国援助は,「資金供与」で人の経済格差を拡大し,「開発」で土地を不毛化し,人が互いにいがみ合う状況をつくり,そしてその国を内乱・内戦状態に陥れる,というのがお定まりである。
"アイヌ"イデオロギーは,アイヌの境遇への憐れみがもとである。
この "アイヌ"イデオロギーは,独善が馬鹿をやってくれる例である。
翻って,行動を起こさないスタンスは,《「外国人」でいる》である:
Bird, Isabella (1831-1904) : Unbeaten Tracks in Japan. 1880
金坂清則 訳注 『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012.
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p.69
このように万事調和がとれている中での唯一の不調和はアイヌの姿が見えることだった。
生来進歩というものと無縁な悪意のない人々は、征服された名もなき民族をあまねく受け入れてきた広漠たる墓場へと向かい始めているのである。
p.84
東洋の未開の人々と西洋の文明人とが一つ屋根の下で相対していた。
未開の人が教え、文明人が教わりながら。
そして肌の黄色い伊藤が両者を結びつけながら。伊藤は、西洋の文明などその前では「幼子のごとき者」であるかのような[東洋の] 文明の代表者であった。
心躍るひとときだった。
すべての訪問者が出ていったあと、私は忍び足で外に出た。
満天の星空だった。
どの家も灯りが消えて暗く、ひっそりしていた。
飼い主と同じでおとなしい犬は私を気にもしなかった。
回りの森に吹く微風の音だけがそよそよと聞こえてきた。
その時、「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」という『聖書』の一節が心に浮かんだ。
これら素朴な未開の人々が、子供、裁かれるべき子供であるのは確かではあるが、「世を裁くためではなく、世を救うために来」られたキリストによって救われるべき子供でもあると望んでよいのではなかろうか。
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