"アイヌ"イデオロギーが訴える「和人の悪事」の類型の一つに,「詐欺」がある。
これも,「アイヌ差別」に入れておこう。
(なんでもかんでも「差別」にしてしまう "アイヌ"イデオロギーの流儀に,ここは合わせておこうというわけである。)
"アイヌ"イデオロギーは,つぎの命題を立てるものである:
"アイヌ"イデオロギーは,このときつぎのトリックを用いている:
このトリックがわかるのは,論理学ないしこれを含む科学の素養を持つ者である。
持たない者は,このトリックに騙される。
このトリックは,つぎのように使う:
犯罪があった。
犯人は中国人だった。
中国人は,犯罪をするものである。
「ヘイト・スピーチ」をする者は,この手のトリックに騙される者たちである。
このトリックは,汚ない。
このトリックを使う者は,卑怯者である。
そして "アイヌ"イデオロギーは,このトリックを「和人」に使うものである。
また,"アイヌ"イデオロギーは,命題「和人とは,アイヌを騙すものである」を立てるにおいて,つぎの命題を暗黙に立てている:
そこで,「和人とは,アイヌを騙すものである」は,つぎに転じる:
存在命題・全称命題のトリックと「善と悪」の設定を,常習する者がいる。
即ち,この手口を体質にしてしまった者がいる。
それは,マスコミ・ジャーナリストである。
(これは,全称命題で構わない。)
ここしばらくは,「朝日新聞」が──日々の研鑽の甲斐があってか──これの象徴的存在になっている。
彼らの語り口を見ておこう:
本多勝一
『朝日新聞』1974年8月5日朝刊
(『先住民族アイヌの現在』(朝日文庫), 朝日新聞社, 1993. pp.9-13)
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アイヌ民族の現在
夏休みにはいると、毎年のことながら、北海道は本州方面からの学生や観光客でにぎやかになる。東京などの大都市にも、北海道旅行を呼びかけるポスターが、私鉄や国鉄の車内づり広告として見られるようになる。
そして、そのポスターにきまって描かれるのが、アイヌ民族のエカシ(古老)である。あるいはムツクリ(くちハープ=楽器) をかなでる少女の場合もある。事実旅行者たちは、白老で登別で阿寒で、観光地にいるアイヌ民族を「見物」して帰る。だが、こうしたかたちでアイヌ民族と接するシャモ(和人) [注1] たちは、現在のアイヌ民族がどのような状況におかれているかを、ついに理解できぬままに北海道旅行を終わって「内地」に帰る。
昔のことをいいだせば、たとえば九州に初めて住んだ人類は、どこから来たのか、ぞれと今の九州の人々とはどんな関係にあるのか、といったことは、論じ始めたらキリがない。北海道についても「最初の人類」というような次元になれば同様である。しかし、論議の余地なく明快なことは、少なくともいわゆる "大和民族" が北海道の古くからの住人ではなかった点だ。北海道へ観光旅行に出かける人の中には、あるいはそれほど「明快」ではなかった方もあるかもしれないが、北海道や千島は、歴史の上からはかなり「最近」といえるころまで、ほとんどアイヌモシリ(アイヌの大地)であった。
ぞれがどのように侵略・占領されて「北海道」となっていったか。中央権力レベルでは、それは江戸幕府や松前藩、近くは明治政府や北海道開拓使(道庁の前身)であり、末端のレベルでは新大陸での白人と先住民(いわゆるインディアン)との関係同様、酒やシャモ勘定」[注2] などでアイヌをだましては土地を奪ってゆく方法だった。
では、アイヌ民族がそのようにだまされたのは、昔のことなのか。もうすんでしまったことなのだろうか。せいぜい明治までの話なのか。北海道へ旅行に出る人々よ、それは今なお延々と進行中の悲劇だというごとを、知ってほしい。ここに紹介するのは、つい最近の実例だ。
日高地方は、北海道の中でもアイヌ人口が比較的多い地域として知られるが、軽種馬の牧場が多いことでも有名だ。そのある町に、アイヌ系の老夫妻がいた。娘二人は嫁に出て息子はなかった。今から一四年前(一九六○年)、夫が自転車で荷車と衝突して死んだ。おばあさん一人が家に残された。
おばあさんには二カ所に土地があった。まず一カ所は、町の農協理事をしているボス的存在のA牧場と隣接していたため、A牧場に強力に安く売らされた。自分の家のあるもう一カ所については、近くの "親切なシャモ" Bが、おばあきんに申し出た。──「今後安心して生活できるように、おばあちゃの土地を管理してあげるわき。でも親せきの連中がおばあちゃの土地をねらっていてうるさいで、このことは決して親せきに言っちゃ、ダメだでや」
おばあさんは感謝して承知し、畑をBに貸して形ばかりの年貢をもらっていた。夫の死後は山の飯場でメシタキをしてかせいだから、自分一人の生活費に困ることはなかった。
四、五年前、おばあさんも大分年がいって、メシタキがえらくなったので、やめて畑の年貢をたよりに生活したいと思った。Bの年貢は形ばかりなので、ある有利な申し出の人に貸そうとした。ところが、Bはおばあさんに宣告した。──「あれ、この畑はあのとき借りたんでなくて、買ったんだでや。ちょうど今度で支払いが終わったとこだべさ」
畑ばかりか、そこにある自分の家もとられた。地続きの山があったので、マキをとろうとしたら、「それはオレの山だべ」とBが言った。おばあさん夫妻は、前の持ち主から引き継いだまま名義変更してなかった。Bはそれに目をつけて、ついでにこれも登記してしまっていたのだ。
今おばあさんは、生活保護を受けて暮らす。
このおばあさんの義弟、つまり夫の弟夫妻もアイヌ民族である。息子がいたが、家出同然で帰らなかった。近所に住む前述のA牧場主が、この老夫妻の土地に目をつけたのは、つい三、四年前だ。夫の体が弱っていた。Aは一家に「心底から親切な」世話をした。やがて夫、が死ぬと、Aは言った。──「おばあちゃの畑はデコボコや荒れ地が多いで、整地してきれいにしてやるでや」
まことに「親切」にも、ブルドーザーがはいり、大規模な整地作業がすすんだ。一方、おばあさんには農協に少し借金があった。理事のAが農協で細工をしたらしい。農協はおばあさんに返済を求め、同時にAが「畑を買ってあげるでや」と申し出た。バカ安い値段だ。おばあさんは断った。とたんにAが「ブルドーザーの整地代を払ってくれや」と居直った。
農協の返済もできず、整地代もむろん払えぬおばあさんは、バカ安い値で、泣く泣く売らきれた。登記手続きが終わったのは、一昨年(一九七二年)の秋である。
このアイヌ民族兄弟の悲劇をきいたある第三者が、怒って告発しようとした。だが、地域社会のしがらみは、そう簡単ではない。仮に勝訴しても、おばあさんは近くの「敵」から死ぬまで日常的にいやがらせを受けることが目にみえている。それよりも、いかに表面的であれ、おばあさんが「敵」から「親切に」飼いごろしにされている方が、当人にとってはわずらわしくない。したがって当人が訴訟にもはや非協力的であり、これでは告発も有利に展開できはしない。
かくて事件は「丸く」おさまっている。江戸時代と全く同じように。
家出同然だった息子が帰ってきてこれを知った。激怒した息子はAを「ぶっ殺してやる」と公言した。Aはびくびくして、おばあさんがA牧場に働きに行くと、一日で一万円とか二万円をにぎらせ、おばあさんは「気味がわるいしと思った。
その後Aは殺されていないから、たぶん息子も冷静さをとりもどしたのであろう。だが、似たような例が他にたくさんあれば、その中から犯罪を実行する青年が現れるのも、ほとんど当然ではないか。AやBの行為の方が、より本質的犯罪であり、原因なのだから。
侵略され、差別されつづけてきたアイヌ民族の現状は、今なおこのようなものである。
〔注1〕シャモ アイヌ語のシサム (シ・サム・ウタラ=自分の・隣の・仲間) のなまり。内地系日本人を指す。「アイヌ」は「人間」を意味する。
〔注2〕シャモ勘定 シャモがアイヌから何か買うとき、一○個かぞえるのに「はじまり、一、二、‥‥ 一○、おしまい」と計一二個とった搾取法。従来「アイヌ勘定」とか「メノコ勘定」ともよばれていた。しかしこれではまるで被害者が逆になるので、「シャモ勘定」とすべきであろう。
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話は,「ある和人があるアイヌを騙した」である。
しかし読者は,「和人とは,アイヌを騙すものである」を受け取る。
「ある (some)」を「すべて (any)」に替えてしまうのである。
そしてこれは,読者ばかりでなく,書き手自身もこうなっている場合が多い。
翻って,カラダが勝手に「ある和人があるアイヌを騙した」を「和人とは,アイヌを騙すものである」に替えないようにするためには,「ある (some)」と「すべて (any)」の区別を身につければよい。
「和人とは,アイヌを騙すものである」のウソは,論理でわかるウソである。
これに対し,「アイヌを騙すのは,いつも和人」のウソは,論理でわかるウソではない。
この命題は,「アイヌにも,アイヌを騙す者がいる」の事例が存在するときウソになる,というものである。
「アイヌを騙すのは,いつも和人」のウソは,知識でわかるウソである。
「アイヌにも,アイヌを騙す者がいる」の話として,つぎのテクストを引く:
砂沢クラ (1897-1990)
『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983. pp.220-222.
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登別で家と馬と畑買う
昭和十一年、私たちは知里真志保さんのお父さんの高吉さんのすすめで、登別のキムン (地名・山の意) に家と馬と畑一町五反を買い、観光客相手の仕事をやめました。
このころ競馬がとてもはやっていたのです。
高吉さんは「馬を飼って子を産ませるともうかる。子馬は牧場に預けると大事に育ててくれるので心配ない」と言っていました。
私たちは家や馬、畑を買う金は十分に持っていました。
前の年は、不景気だと言われていたのに観光客がたくさん来て、彫りものが売れてもうかっていましたし、春先には添牛内に猟に行き、大グマを捕っていたのです。
金はたくさん入っても、私はぜいたくをしないで倹約し、ボロボロのモンペにつぎを当ててはいていました。
夫も、登別に来てからは、あまりひどく酒を飲まず、まじめに働いて、金を使いませんでした。
馬を飼い始めてみると、いろいろ高吉さんの言った話とは違うことが出てきました。
牝馬二頭を飼い、一頭はすぐに子を産んだのですが、牧場に預けたら、びっくりするような高い預かり料を取られました。
そのうえ、子馬は腹をけられ肉が出たまま返されてきて、死にました。
一町五反の畑も、畑とは名ばかりのひどい火山灰地で、トウキビも取れないのです。
高吉さんは「畑がダメなら牧草地にして、自分の牧場にしたらよい」と言ったのですが、夫は「自分で体を使って働かず、口先で金もうけする人間は信用出来ない」とすっかり腹を立ててしまいました。
実は、高吉さんから馬を飼う話を持ちかけられた時、登別温泉の森きんが「下(登別) へ行ったらダメだ」と何度も止めたのです。
あとになってわかったのですが、やはり高吉さんにすすめられ、私たちとそっくり同じことをして失敗した人がいたのでした。
息子の清は高吉さんの口ききで、競馬の騎手になるために東京に行っていました。
ひと冬越して、痔を悪くして帰ってきましたが、高吉さんが法外な口きき料を取っていたことがわかりました。
私たちに売った馬も、仕入れ値の二倍の値段で売っていたのです。
夫は、まわりの和人たちから「ケツの穴の毛まで抜かれる。離れたほうがよい」と何度も言われ、登別を離れることにし、それまで高吉さんに貸していた金を返してもらおうとしました。
ところが、高吉さんは「金はない。植木で払う」と言います。
高吉さんは広い地所にたくさん木を植え、植木屋もしていたのです。
なにももらわないよりましだ、と思い、私たちは昭和十二年の春、貨車一台にぎっしりの植木をもらい旭川に帰りました。
植木は母の家の周り半反ほどに、人を頼んで植えたのですが、いつのまにか、だれかれとなく掘って持って行き、金に換えることもしないうちにおおかたなくなってしまいました。
二年間、一生懸命働き、倹約してためた金も、こうしてなくなりました。
ほんとうに骨折りばかりのばかばかしい結果になりました。
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「アイヌは, 善」を立てる者にとって,砂澤クラのこの話は不都合なものである。
そこで,「アイヌは, 善」を立てる者は,この話を「一方的・一面的」と断じねばならない。
しかし,砂澤クラの話を「一方的・一面的」と断じるときは,本多勝一の話も「一方的・一面的」と断じねばならなくなる。
然り。
話すとは,一方的・一面的に話すことである。
マスコミ・ジャーナリストの言に騙されないためには,存在命題・全称命題のトリックがわかることと併せて,「一方的・一面的」がわかることが必要である。
マスコミ・ジャーナリストは,
を用いて,ウソをかます。
そして,"アイヌ"イデオロギーは,このマスコミ・ジャーナリストと同じである。
しかも,"アイヌ"イデオロギーは,自分のこの様が見えない。
幼稚なのである。
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