ふつうのひとは,ゴキブリとかイモムシ(毛虫) とかヘビとかに,生理的嫌悪をもよおし,忌避行動を起こす。
このときの嫌悪の表現は,「汚い・気持ち悪い」である。
ゴキブリとかイモムシ(毛虫) とかヘビとかに対する生理的嫌悪・忌避行動は,異形に対する生理的嫌悪・忌避行動である。
異形に対する生理的嫌悪・忌避行動は,生き物の防衛反応であり,カラダのものである。
カラダのものであるから,「ぜんぜんなんともない」になりたいと思っても,気持ちの持ち様で成るものではない。
特に,「みな平等;公平に対すべし」のお題目は,無力である。
──「みな平等;公平に対すべし」の偽善性が明らかになるばかりである。
異形に対する生理的嫌悪を無くすものは,つぎの構えである:
この構えで何が起こるかというと,異形と真正面に対するということが起こるのである。
存在するものは,真正面に対すれば,リスペクトするものになる。
絶対的と思われていた生理的嫌悪も,消えてしまう。
Bird, Isabella (1831-1904) の著作
Unbeaten Tracks in Japan. 1880
金坂清則 訳注 『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012.
は,「アイヌ差別」の類型を探す作業でも,たいへん重宝なものである。
「異形に対する生理的嫌悪」タイプの「アイヌ差別」が表現されている箇所も,見出せる。
ここでは,つぎのものを引いておく:
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pp.182,183
この断崖のような急坂の麓に、荒れ果てた日本風の家があり、そこにアイヌの一家族が、山道を越えてきた人に、だれかれとなくねぐらと休憩の場を提供するために住まわされていた。
‥‥‥
樹皮を裂いて繊維を作っている女が一人いたが、その醜いことといったらとても人間とは思えなかった。
いくつもある日本風の〈囲炉裏〉の一つのそばに、堂々たる風采の年老いた男が湯の煮えたぎる鍋を無表情に見つめて座り込んでいた。
がらくたに囲まれて座っているこの老人は、いかなる歴史書ももたずに生き、いかなる記念物も残さぬまま絶えゆくこの民族[アイヌ]の運命を象徴するかのようだった。
そしてもう一つの〈囲炉裏〉のそばにはこれぞ「失われた環」が座っていた。
否,うずくまっていると言った方がむしろよかった。
最初に目に入った時はぎょっとした。
人間と言えるのだろうか。
あの醜い女の夫とも書けず、〈つがい〉と記す。
歳は50ほどだった。
前頭部を3インチ[8センチ]ほど剃り込んでいるので、そうでなくとも高い額はいっそう高く見えた。
毛髪はくしゃくしゃに垂れているというよりも、くねる蛇が束になって垂れ下がるような感じで、灰色のもつれた顎髭と絡まっていた。
黒い目はうつろで、顔の表情も感情に欠け、捕われた獣の顔に時として浮かぶあの哀しみだけが満ちた表情そのものだった。
手足が不自然に細長いこの人間は、膝を脇に抱えるような格好で座っていた。
手足にも胴体にも両側の一部分を除いて1インチ[2.5センチ]もあるような細くて黒い毛が薄く一面に生え、肩の部分は軽い巻き毛になっていた。
私が飲むお茶の湯を沸かしていることだけが知性の証であるかのようだった。
[遅れて]やってきた伊藤は「アイヌはただの犬。
先祖は犬だったのです」と言いながら、この人物を嫌悪感もあらわに見た。
アイヌの起源に関するアイヌ自身の伝説を暗にさしたのである。
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