Up <よそ者>差別 作成: 2016-12-05
更新: 2016-12-05


    <よそ者>は,共同体の員を改めて結束させる契機になる。
    この結束は,「<よそ者>差別」を形にする。
    「<よそ者>差別」の内容は,いじめ(排斥的) である。

     砂沢クラ著『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983.
        pp.202-204
     
     旭川に帰ると、夫は、また飲み仲間と毎晩のように酒を飲みだしました。 酔うとケンカになり、あまりひどいときは、子供たちを親せきの家に逃がしました。 私が少しでも何か言うと、夫は「おまえまで、オレを婿だと思ってパカにするのか」と怒ります。 私は、父の土地を相続するために、川村の姓を名乗っていたのです。
     夫は酔ってきげんがよくなると、伏古コタンにいた時のようにシノッチヤ (叙情曲調) をしました。 よく響く、太い、いい声で「こうして、みなが集まり、楽しく酒を飲んでいる。 とてもうれしい」というようなことをユーカラ(長編英雄叙事詩)に使われている古いアイヌ語で節を付けて言うのです。
     伏古と違って近丈では、早くから和人の言葉を話し、コタンの人が集まってユーカラなどを楽しむということもなかったので、シノッチャもわからなかったのでしょう。
     夫を「チャランケの血統だ」と言ったり「パニウンクル (川下の者) のくせに大きな顔をする」と悪口を言いました。 夫はカムイノミ (神への祈り) でも、ユーカラでも、アイヌのすることはなにをさせても上手だったのに。
     近丈の人たちには、上手な人から習おうとか、互いに知っていることを教え合おうという気持ちが少なかった、と思います。 一度、部落の女の人が集まって、杉村キナラブックさんからアイヌの言い伝えや女の仕事を習おうと計画を立てたことがありました。 みなの気持ちがまとまらず、人の集まりも悪く、長続きしませんでした。
     夫は川村の兄 (カ子トアイヌ) の家などよその家で飲むと、いつも私の名前を大声で叫びながら帰ってくるのです。 私の名はクラですが、父のクウカルクがクマに殺されて死んだあと、母が「クラと言うと夫を思い出す」と言って、キヨと名前を変えていました。
     夜中でも、あたりかまわず、夫が「キヨー、キヨー」と叫びながら帰ってくるので、部落の人は「まるで金魚売りだ」と、夫に「キンギョ」とあだ名をつけ、酒の席などで金魚売りのまねをして夫をからかいました。 夫は、妻の私にはわがまま勝手をしましたが、心根はまっすぐな人でした。 こういう人でしたから、近文の人たちからよそ者扱いされたり、いじの悪い仕打ちを受けると腹が立つこともあった、と思います。