Up | 「差別」学 : 要旨 | 作成: 2016-11-23 更新: 2016-12-01 |
この雑駁さが,"アイヌ"イデオロギー (一般に,人権イデオロギー) には都合のよいものになる。 なんにでも「差別」の言いがかりをつけることができるからである。 そもそも「差別」は,ネガティブな意味のことばではない。 <認知>の中身は,「差別」である。 「差別」は,あたりまえのことである。 「差別」の言いがかりは,却けるべきものである。 却けるためには,「差別」の教養が要る。 この教養をつくるものは,「差別」学である。 ひとは,多かれ少なかれ──即ち,適切に──「差別」学をもつ必要がある。 「差別」学のスタートは,「差別反対」イデオロギーが「差別だ!」と言ってきそうな事がらを,はっきりさせることである。 先ず,「アイヌ差別」と称しているものは,大凡つぎのカテゴリーに分析される: つぎに,このカテゴリーの座標軸と直交する座標軸として,<子ども・おとな>がある。 各カテゴリー「○○」で,<子ども>は,○○をする位相である。 <おとな>は,○○をしない位相である。 <子ども>は,成長して<おとな>になる。 <子ども><おとな>は,年齢のことではなく,精神年齢のことである。 歳をとっても,<子ども>の者はいる。 <おとな>は,「達観」の位相である。 実際,カテゴリー「○○」で,自分を○○しない者にさせるものは,達観である。 |