Up 「差別」学 : 要旨 作成: 2016-11-23
更新: 2016-12-01


    「差別」は,ひどく雑駁な概念である。
    この雑駁さが,"アイヌ"イデオロギー (一般に,人権イデオロギー) には都合のよいものになる。
    なんにでも「差別」の言いがかりをつけることができるからである。

    そもそも「差別」は,ネガティブな意味のことばではない。
    <認知>の中身は,「差別」である。
    「差別」は,あたりまえのことである。

    「差別」の言いがかりは,却けるべきものである。
    却けるためには,「差別」の教養が要る。
    この教養をつくるものは,「差別」学である。
    ひとは,多かれ少なかれ──即ち,適切に──「差別」学をもつ必要がある。


    「差別」学のスタートは,「差別反対」イデオロギーが「差別だ!」と言ってきそうな事がらを,はっきりさせることである。

    先ず,「アイヌ差別」と称しているものは,大凡つぎのカテゴリーに分析される:
      1. 酷使
      2. 虐待
      3. 蔑視
      4. 係わり合い忌避
      5. 生理的嫌悪
      6. 一括に対する同類差別化
      7. いじめ

    つぎに,このカテゴリーの座標軸と直交する座標軸として,<子ども・おとな>がある。
    各カテゴリー「○○」で,<子ども>は,○○をする位相である。
    <おとな>は,○○をしない位相である。

    <子ども>は,成長して<おとな>になる。
    <子ども><おとな>は,年齢のことではなく,精神年齢のことである。
    歳をとっても,<子ども>の者はいる。

    • 例えば,おとなで「いじめ」をする者は,<子ども>である。
    • 「係わり合い忌避」は,<おとな>の作法のように見えるが,「関係不能」が内容であるから,<子ども>である。 ──「関係不能」が内容でないときは,「忌避」のことばをはじめから使わないわけである。

    <おとな>は,「達観」の位相である。
    実際,カテゴリー「○○」で,自分を○○しない者にさせるものは,達観である。