Up 「贖罪者」 作成: 2017-02-12
更新: 2017-02-12


      姫田忠義「サルウンクル物語に寄せて」
     川上勇治『サマウンクル物語』, すずさわ書店, 1976, pp.256-263.
     ‥‥‥
     人には必ず親があり、先祖があります。 あなた方アイヌ民族は、その先祖のことを口で,言葉 (アイヌ語) で語り伝えて来ました。 ところが非常に残念なことに、明治維新以後、あなた方アイヌ民族は強引に日本国籍を持たされ、アイヌ語を捨てて日本語だけを使って暮すように強制されて来ました。
     言葉は、それを使う人の心の表現です。 あなた方アイヌ民族にとっては、それがアイヌ語でした。 そのアイヌ語が圧殺されるということは、アイヌ民族の心が圧殺され、アイヌ民族の歴史や文化が圧殺されるということでした。
     萱野さんが、年寄りの人たちを訪ね歩き、アイヌ語によるウウェペケレを録音しつづけ、それを「ウウェペケレ集大成」にまとめはじめられたのは、そういうアイヌ民族の歴史と精神文化を何とか生命あらしめたいという悲願からでした。
     そして今、あなたのウパシクマ集「サルウンクル物語」ができ上ったのです。
     あなたや萱野さんの住んでおられる沙流川流域、アイヌ民族の生活文化の始祖オキクルミ・カムイが住まいしたと伝えられている古い歴史の地です。 その歴史の地に、先に萱野茂という人が、そして今あなたという人があらわれたということは、ただ単なる偶然でしょうか。
     アイヌ語で、オ・トゥ・サスイシリ オ・レ・サスイシリという表現があると聞いています。 オ・トゥ・サスイシリ (二つの永遠) オ・レ・サスイシリ (三つの永遠)、つまり永遠にいつまでもいつまでもというような意味でしょう。 今私は、この言葉を想い出しています。 そして思います。 「そうだ。アイヌ民族の歴史、アイヌ民族の精神文化は永遠に消えることはないのだ。この二人の人は、その証人なのだ」
     もちろんあなた方の他に、次つぎにその証人があらわれて来ていることを私は知っています。 またあなた方の先にもそういう方々がおられました。 そういう意味でもまたアイヌ民族の歴史と精神文化は、脈々と生きつづけているのです。
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     もちろんあなたが願われたのは、そんな理窟っぽいことではなく、萱野さんも言っておられるように「自分自身の、そして一族の記録」であったでしょう。 そういうあなたの願いから見れば、私はひどく理窟っぽいことを書いたかもしれません。 けれど私はそう思うのです。 それほどの大きい意味を、あなたの本は持っていると思うのです。
     ‥‥‥
     あなたのこの本をきっかけにして、イシカリ・ウン・クル (石狩州に・住む・人) のウパシクマや、トカチ・ウン・クル (十勝川に・住む・人) のウパシクマが続々と生れて来るかもしれません。 いや、きっと生れるでしょう。 私はそう信じています。
     ウパシクマは、ユーカラともウウェペケレともちがう生ま生ましい人間の歴史を語り伝えたものです。 そしてそれを記した本が次々にあらわれれば、今まで世に埋もれていたアイヌ民族の生活や精神文化の姿がどんどん明らかになって行くでしょう。 あなたのこの本は、あなた自身の一里塚であるとともに、そういう仕事全体のための一里塚だと私は思うのです。

     私は、あなた方アイヌ民族の言葉で言えばシャモ (和人) です。
    そしてシャモは、アイヌ民族を圧迫しつづけて来た歴史を持っています。
    その私が、あなたに何か書けと言われ、ついつい口幅ったいことも書いてしまいました。
    私のこの文が、あなたのこのすばらしい本を汚すことになりはしないかと、私は心のなかでびくびくしています。
    もしもそういうことがあったら、どうか許して下さい。
    私がいつも、あなた方の言うシャモという言葉の本来の意味にふさわしい人間になりたいと思っていることに免じて。
     シャモとは、シ (私の) サム (そばの) ウタラ (仲間)、つまり (私の隣人) という言葉だ、と私は萱野さんに教わりました。 そしてアイヌとは人間という意味のアイヌ語、だとも教わりました。
     シャモのアイヌに対する圧迫の歴史は、そういうすばらしい言葉で自分を呼び、私たちを呼んでいたアイヌ民族の心を踏みにじるものでした。
    そういう歴史をふりかえるとき、私は言葉もありません。
    ただ心のなかで、「シャモという言葉の本来の意味にふさわしい人間になりたい」と思いつづけています。