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本多 勝一「凌辱者シャモにとるべき道はあるか」,『コタンの痕跡』, 1971. pp.79-94.
pp.92,93
結論は、かなりはっきりしてきたようだ。
少数民族は、少なくとも私の接した諸外国の例でみるかぎり、社会主義社会でこそ真に幸福が約束されている。
いわゆる西側諸国、資本主義諸国の少数民族は、ひとつの例外もなく不幸だった。
私の訪ねたことのない国に関してはよく知らないが、真に幸福な、プタの幸福でなくて、民族的誇りをともなった幸福感を抱いている少数民族というもののある資本主義国があったら、ぜひ知りたいと思っている。
だが、これもまだ訪ねたことはないが、社会主義社会でもソ連はどうなのだろうか。
スターリンは一種の少数民族出身といえよう。
チェコやポーランドとの関係でのソ連には、いわゆる修正主義の欠陥が現れているようだが、ソ連内の少数民族はどうなっているのか。
同様に多数の少数民族をかかえる中国はどうか。
いずれも訪ねて実見してみたいところである。
現状は見るまでおあずけとしても、社会主義建設がもし理想的にいっていれば、少数民族が幸福になるはずであることは確かだが、資本主義建設 (?) がいくら理想的にいっても、少数民族が幸福になることは、まずおぼつかないであろう。
アイヌ系日本人についても、これは当てはまるのだろうか。
社会主義社会というようなことをいうと目をむく人があるので、少し遠慮がちに一言うならば、当てはまらないと結論するような材料は今のところ持ちあわせていなぃ。
従ってアイヌが真に幸福になる道は、日本が社会主義国になることであろう。
アイヌ自身のとるべき道は、従って革進陣営に何らかの形でくみすることであろう。
(最近アイヌ系日本人によって創刊された雑誌『北方群」には、明らかにそのような方向を示していることが感じられ、心強く思われた。)
革進政党のとるべき道は、ペトナムの例が示しているように、少数民族がへレン・フォークに対して抱きつづけてきた怨念を、革命勢力に正しくくみこみ、強力なパネへと転化させることであろう。
アイヌについて「良心的」たろうとするシャモのとるべき道は、従ってこのような運動に何らかの方法で、それぞれが可能なやりかたで、加わることであろう。
いかにアイヌ「仲良し」になって「研究発表」してみても、それだけではいつまでも状況は変らぬであろう。
それでは「観光アイヌ」もクマを彫りつづける以外に道はないであろう。
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参考:本多勝一『先住民族アイヌの現在』(朝日文庫), 朝日新聞社, 1993.
- 「アイヌのために新法を──貝沢正氏に聞く」(1986), pp.54-58.
- 「「北海道アイヌ」こと貝沢正氏の昭和史」(1988), pp.75-94.
- 「アイヌ民族破壊を弾劾する簡略なる陳述──萱野茂・貝沢正両氏」(1988), pp.211-262.
- 「アイヌ民族復権の戦い──野村義一氏の場合」(1989), pp.101-136.
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深尾勝子「あとがき」
砂沢クラ『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983, pp.354-357.
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私の砂沢さんと共に過した一年は「なぜ、砂沢さんはこれだけのものを書いたのか」という私自身の問いに、納得出来る答えを見つけるための一年間だった、と思う。
砂沢さんは二冊のノートを書いた理由を「つらくて眠れず、思っていることを書くと胸が楽になるので書いた」(私の一代話)、「エカシやフチから聞いた話を子孫に伝えられなかった。
このままでは死ねない、と思って書いた」(祖先の話) と言っている。
だが、お話を聞いているうちに、この二冊のノートは別の理由で書かれた別々のノートでなく、実は、砂沢さんがどうしても言い残したいと思っているたったひとつのこと、「アイヌは、もともとこの日本 (ポイヤコタン=小さい島の国) に住んでいたほんとうの日本人なのだ」と主張するための二冊セットのノートだということがわかったのである。
ほんとうの日本人としてうやまわれなくてはならないのに、和人に「アイヌ、アイヌ」といやしめられ、土地を奪われ、つらい暮らしを余儀なくされた。
その中で、昔からの暮らし振り、言葉、信仰、文化の根幹とも言うべき伝承文学も失われてしまった。
残念でならない。
砂沢さんは、このことを繰り返し、繰り返し、言っているのである。
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砂沢さんのノートを知る機会を作ってくれた若いアイヌ解放運動家・結城庄司さんの突然の死を惜しみ、あらゆる反差別の運動と連帯して闘ったその活動の生涯をしのびつつ。
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深尾勝子は,ここで,砂沢クラをアイヌ解放運動とくっつけようとしている。
『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』を読んだことのない読者が誤解するといけないので,はっきりさせておくが,『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』はこのような内容の書ではまったくない。
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