Up アイヌ協会「国連総会記念演説」(1992) 作成: 2016-11-21
更新: 2016-12-10


    「国連総会記念演説」/アイヌ協会HP  
     
    各国の政府代表部の皆さん、そして、兄弟姉妹である先住民族の代表の皆さんにアイヌ民族を代表して、心からご挨拶を申し上げます。また、ここに招待してくださったブトロス=ブトロス=ガリ国連事務総長、そしてアントワーヌ=ブランカ国連人権担当事務次官に対し心からお礼を述べたいと思います。
    本日は国連人権デーですが、1948年に世界人権宣言が採択されて45周年の、人類にとって記念すべき日に当たります。また、国際先住民年の開幕の日として、私たち先住民族の記憶に深く刻まれる日になることも間違いありません。これに加えて、本日12月10日が、北海道、千島列島、樺太南部にはるか昔から独自の社会と文化を形成してきたアイヌ民族の歴史にとっては、特に記念すべき日となる理由がもう一つ存在します。すなわち、それは、ほんの6年前の1986年まで、日本政府は私たちの存在そのものを否定し、日本は世界に類例を見ない「単一民族国家」であることを誇示してきましたが、ここに、こうして国連によって、私たちの存在がはっきりと認知されたということであります。もし、数年前に、この様な式典が開かれていたとすれば、私は、アイヌ民族の代表としてこの演説をすることはできなかったことでしょう。私たちアイヌ民族は、日本政府の目には決して存在してはならない民族だったのです。
    しかし、ご心配には及びません。私は決して幽霊ではありません。皆さんの前にしっかりと立っております。
    19世紀の後半に、「北海道開拓」と呼ばれる大規模開発事業により、アイヌ民族は、一方的に土地を奪われ、強制的に日本国民とされました。日本政府とロシア政府の国境画定により、私たちの伝統的な領土は分割され、多くの同胞が強制移住を経験しました。
    また、日本政府は当初から強力な同化政策を押しつけてきました。こうした同化政策によって、アイヌ民族は、アイヌ語の使用を禁止され、伝統文化を否定され、経済生活を破壊されて、抑圧と収奪の対象となり、また、深刻な差別を経験してきました。川で魚を捕れば「密漁」とされ、山で木を切れば「盗伐」とされるなどして、私たちは先祖伝来の土地で民族として伝統的な生活を続けていくことができなくなったのです。
    これは、どこの地でも先住民族が共通に味わわされたことであります。第二次世界大戦が終わると、日本は民主国家に生まれ変わりましたが、同化主義政策はそのまま継続され、ひどい差別や経済格差は依然として残っています。私たちアイヌ民族は、1988年以来、民族の尊厳と民族の権利を最低限保障する法律の制定を政府に求めていますが、私たちの権利を先住民族の権利と考えてこなかった日本では、極めて不幸なことに、私たちのこうした状況についてさえ政府は積極的に検討しようとしないのです。
    しかし、私が今日ここに来たのは、過去のことを長々と言い募るためではありません。アイヌ民族は、先住民の国際年の精神にのっとり、日本政府および加盟各国に対し、先住民族との間に「新しいパートナーシップ」を結ぶよう求めます。私たちは、現存する不法な状態を、我々先住民族の伝統社会のもっとも大切な価値である、協力と話し合いによって解決することを求めたいと思います。私たちは、これからの日本における強力なパートナーとして、日本政府を私たちとの話し合いのテーブルにお招きしたいのです。
    これは、決して日本国内の問題にだけ向けられたものではありません。海外においても、日本企業の活動や日本政府の対外援助が各地の先住民族の生活に深刻な影響を及ぼしています。これは、日本国内における先住民族に対する彼等の無関心と無関係ではありません。 新しいパートナーシップを経験することを通して、日本政府が、アイヌ民族に対するだけでなくすべての先住民族に対して責任を持たねばならないことを認識されるものと、私たちは確信を抱いております。
    日本のような同化主義の強い産業社会に暮らす先住民族として、アイヌ民族は、さまざまな民族根絶政策(エスノサイド)に対して、国連が先住民族の権利を保障する国際基準を早急に設定するよう要請いたします。 また、先住民族の権利を考慮する伝統が弱いアジア地域の先住民族として、アイヌ民族は、国連が先住民族の権利状況を監視する国際機関を一日も早く確立し、その運営のために各国が積極的な財政措置を講じるよう要請いたします。 アイヌ民族は、今日国連で議論されているあらゆる先住民族の権利を、話し合いを通して日本政府に要求するつもりでおります。これには、「民族自決権」の要求が含まれています。しかしながら、私たち先住民族が行おうとする「民族自決権」の要求は、国家が懸念する「国民的統一」と「領土の保全」を脅かすものでは決してありません。私たちの要求する高度な自治は、私たちの伝統社会が培ってきた「自然との共存および話し合いによる平和」を基本原則とするものであります。これは、既存の国家と同じものを作ってこれに対決しようとするものではなく、私たち独自の価値によって、民族の尊厳に満ちた社会を維持・発展させ、諸民族の共存を実現しようとするものであります。アイヌ語で大地のことを「ウレシパモシリ」と呼ぶことがあります。これは、「万物が互いに互いを育てあう大地」という意味です。冷戦が終わり、新しい国際秩序が模索されている時代に、先住民族と非先住民族の間の「新しいパートナーシップ」は、時代の要請に応え、国際社会に大いに貢献することでしょう。この人類の希望に満ちた未来をより一層豊かにすることこそ私たち先住民族の願いであることを申し上げて、私の演説を終わりたいと思います。
    イヤイライケレ。
    ありがとうございました。


    「植民・開発」政策で北海道に和人が入ってくることで,アイヌは無用のものになる。
    「収奪」のことばがスピーチの中に見えるが,事実は違う。
    つぎが,アイヌの位相になったのである:
      「アイヌから得られるものは,もはや何も無い」

    「アイヌから得られるものがある」は,松前藩の時代のものである。
    松前藩のアイヌ統治の方法は,家禽飼育法と同型である:
      ニワトリを餌付けして,たまごをとる。
      飼育法は,たまごを確実に回収できるようにする飼育法である。
      そのために,ニワトリの変容につながるようなことを,排除する。
    松前藩のアイヌに対する<餌付け>は,衣食住材において和人依存にするというものである。
    そして,アイヌを変容させないために,アイヌを感化すること,和人の知識・技能を与えることを,禁じる。
    この中には,文字を使えるようにしないとか,畑作をさせないとかが,ある。

    たまごが欲しいものでなくなるとき,ニワトリは要らなくなる。
    これと同型で,「植民・開拓」の時代になると,アイヌは無用の存在になる。
    そのうえ,松前藩のアイヌ統治のやり方により,アイヌは自活できない者として自らを形成してしまっている。


    スピーチの中に,「先祖伝来の土地で民族として伝統的な生活を続けていくことができなくなった」のことばがある。
    アイヌにとって,土地は「自分の土地」ではない。
    「自分の土地」即ち「私有地」は,商品経済になって出てくる概念である。
    熊にとって土地が「自分の土地」ではないように,アイヌにとって土地は「自分の土地」ではない。

    熊にとって,土地の意味は「なわばり」である。
    アイヌは,これと同じである。
    アイヌにとって土地は,なわばりである。

    和人の入植は,アイヌにとって,自分のなわばりの侵食である。
    「土地所有」のルールは,「権利」──「権利をもつ者が占有する」──である。
    「なわばり」のルールは,「力」──「力をもつ者が占有する」──である。
    アイヌは,商品経済の「土地所有」の概念とは無縁の者である。
    そこで,アイヌは,和人になわばりを侵食され,はじき出されるままになる。
    土地を逐われるままになる。

    "アイヌ" が「アイヌの土地」という言い方をするのは,"アイヌ" が商品経済の者だからである。
    熊はアイヌに逐われた土地を「自分の土地」とは言わないが,子孫が商品経済に生きる者になったとき,その子孫は「熊の土地」を主張し,さらに「熊民族/先住民族」を唱え,政治運動することになる。


    アイヌは,<無用になり,自活できず,そして在所定まらぬ>(てい)の者になった。
    この体のアイヌに対する政治は,3通りである。
    放任するか,保護するか,同化するか,である。

    「保護」は,アニミズム社会保護区を設けてアイヌを囲い込むというものである。
    「同化」は,アイヌを商品経済社会で独り立ちできるようにする──主体として生きられるようにする──である。
    政治が選ぶことになるのは,「同化」である。
    実際,いまの "アイヌ" に選ばせても,「同化」になる。

    時の政府は,「同化」を「アイヌを農業で自立させる」にした。
    そしてこれを進めるための法として,『北海道旧土人法』を制定した。

    「商品経済社会での独り立ち」は,法のみで成るものではない。
    「教育」も要る。
    「教育」の内容は,「同化」である。
    実際,いまの "アイヌ" に選ばせても,「教育」は「同化」になる。
    「別の道」は,商品経済の中に放任するか,アニミズムの者として保護するか,だからである。


    「同化」の流れには,抗えない。
    「同化」の内容 (「アイヌを農業で自立させる」) に対しては否定が立つが,「同化」そのものの考えは,否定できない。
    「同化」の流れに抗えないのは,重力で物が落ちるのに抗えないのと,同じである。

    しかし,"アイヌ"イデオロギーは,「同化」の否定を,自分の条件にしている。
    重力を認めれば,物が落ちるのを受け容れるしかない。
    そこで,"アイヌ" イデオロギーは,重力を隠蔽しようとする。
    この行為が,「事実捏造・歴史改竄」である。

    "アイヌ" イデオロギーは,つらい立場である。
    "アイヌ" イデオロギーは,いい気になって,事実捏造・歴史改竄をやっているのではない。
    「同化」を否定することばを,無理矢理紡がねばならない立場なのである。
    こうして,嘘八百を並べるふうになる:
      「アイヌ民族を代表して」
      「アイヌ語の使用を禁止され」
      「ひどい差別や経済格差は依然として残っています」
      「現存する不法な状態」
      「民族根絶政策 (エスノサイド)」