Up アイヌの「死」の観念 作成: 2018-08-06
更新: 2018-08-06


    バチェラーの論考を引いて,アイヌの「死」の観念を確認しておく。

      Batchelor, John (1901) : The Ainu and Their Folk-Lore.
    (引用は,安田一郎[訳]『アイヌの伝承と民俗』(青土社, 1995) から)
    pp.450, 451
     あるとき、アイヌの村長 (チーフ) とともに森のなかを歩いているとき、彼が道の片側から遠くない特別の地点に近づくことに強く反対するのに気づいた。 私がなにを言っても、彼はその場所近くに行こうとしなかった。 彼はまた私が行かないか非常に心配していた。 たくさん質問し、なだめすかした後に、彼はついに、こわいからだと私に白状した。 しばらく前に、一人の人がそこに埋葬されたから恐ろしいのだと言った。
    さらに尋問すると、彼がその墓を避けているのは、彼の種族のすべての他の人々と同じく、死者の霊、あるいは魂が依然として生きていると彼が信じているためであることに気づいた。
    霊は、肉体が横たえられた墓とそのすぐまわりに出没すると考えられているし、また霊は、肉体の休息場所の近くで見つかった人にはだれであろうと、その精神に魔法をかけるし、さらにその肉体に危害を加える力をもっているだけでなく、その霊が女の霊ならとくに、機会があり次第そうする意志をもっていると考えられている。
    私に同伴した村長は、ピラトリ (平取) のぺンリだった。‥‥
     あるとき私は、昔知っていた一老女の墓を訪れ、埋葬の場所を示すために立てられた棒になんらかの銘があるかどうかを調べた。 そのとき私について来た人は、その地点から二五ないし三〇ヤード [二三ないし二七メートル] 以内には決して来ようとせず、その距離だけ離れて立っていて、声と手で私に指図した。 その人は自分自身の母親の幽霊を恐れていたのだ!
     他人が埋葬された場所の近くに行かないようにするために物語られる民間伝承はつぎの通りである。 「もし人が墓に行くなら、それがどんなに古いかは、問題ではなく、その人はきっと罰せられるだろう。それゆえ、用心せよ、用心せよ」。
     小屋に戻ると、その男と数人の女たちは一緒に、たらい一杯の水を戸口に持って来て、顔と手を洗うように私に要求した。私が洗っている間、女たちは、私をイナオで打ったり、イナオでブラシし始めた。 どんな考えでこのような行為をしているのかと質問したところ、洗うのは、死者の幽霊と接触したために墓場でうつったすべての不浄から私を清めるためであり、イナオで打ったり、イナオでブラシするのは、老女が私にねらいをつけていたすべての悪い影響と病気を追い払うためだった。 水とイナオは、霊の国に不法に侵入したために霊が悪意のある恨みから私に向けたと思われるすべてのよこしまな意図を解毒し、中和する薬だった。

    pp.454, 455
     人が死ぬと、遺体にはいちばんいい服が着せられ、炉のそばに長く横たえられる。 もし死者、が男なら、彼の弓矢、えびら、煙管、タバコ入れ、火をつける道具、長いナイフと短いナイフ、剣、茶碗、ひげ揚げベら、そしてまた一束の衣服が彼のそばにおかれる。 すべての衣服は、たとえ新しい衣服でも、多かれ少なかれ切られるか、裂かれる。 また他のものはどんなものも、壊され、くだかれ、曲げられる。 すべてのものは、遺体とともに埋葬される。
     もし女の遺体なら、針と糸、いろいろな色と種類の、土着の衣服か、日本の衣服、一組の織機、さじ、ひしゃく、茶碗、ビーズやイヤリングのような小間物がわきにおかれる。 また切られたか、裂かれた一束の衣服もおかれる。
    子供の場合も、茶碗、さじ、衣服、小間物がそばにおかれる。
    しかし覚えておくべき重要な点は、これらのすべてのものは遺体とともに埋葬され、いつもまず最初に切られるか、そうでなければ壊されることである。

    バチェラーは,遺体とともに埋葬する物を破壊することの理由を考察する。
    その結論は,要約して言えば,「物は,これを死なすことで遺体とイーブンになる」である。 魂に持たせる物は,物であってはならないというわけである。

     
    p.460
     さて死は、容易には起こりえないものである。 すなわち、生きている肉体のあらゆる小片がその要素に分解されるまでは、なにも完全に死なない。 それゆえ、肉体が埋葬されるとき、すべてが分解されるまでは、生命、あるいは霊は墓場のなかと、まわりに依然としてある程度生きている。
     それゆえ、人々が幽霊は墓場の近くにいると信じ、その近くに行くのを恐れる理由がわかる。
     肉体が墓場近くにいるとき、霊も、少なくともその一部はその近くにいて、だんだんその地上の住まいから解放される。 霊は慎重に一人にしてやらねばならない。 さきにほのめかしたように、だれも霊の領域には侵入してはならない。 というのは、それは部屋と完全な自由を必要とするからである。 それゆえ、アイヌが共同墓地でなく、森のなかの遠く離れ、隔離された場所に遺体を埋葬する理由は、この考えに求めねばならない。
     アイヌは棺桶のなかに入れて埋葬されるのを非常に恐れているのに、私は気づいた。 それゆえ、彼らはこの目的のためにマット (むしろ) しか用いない。 この考えは、棺桶は小さすぎることと、棺桶は肉体と地上から霊が引き下がることを妨害するということであるらしい。

    p.461
    彼らは、埋葬するときには、場所を示すために、各墓の足元に棒を必ず立てる。
    この棒は便宜上墓標とよばれてよい。
    しかしこれは、死者を思い出すよりもむしろ (というのは、それについてはどんな字も書いてないからである)、埋葬がここにあったことを偶然ここに来た猟師に指摘し、過ちを犯さないようにするためである。