Up 『保護法』の盲点──給与地を和人に賃貸 作成: 2016-10-17
更新: 2016-10-17


    和人悪者論のアイヌイデオロギーは,『北海道旧土人保護法』もアイヌに対する悪事として描かねばならない。
    内容に関してこれを「悪事」とすることは難しい。
    そこで,「旧土人」のことばでアイヌを差別したという話をつくる。
    和人はさらに蔑称「旧土人」を用いてアイヌを差別をした,というように。

    一般者は,「旧土人」云々については無知の者であり,またこれについて勉強しようなどとは思わない者であるから,これをそっくりそのまま信じる。

    「アイヌ学者」は,つぎの3通りである:
    1. 「旧土人」を蔑称だ思っている
    2. 「旧土人」が蔑称でないことを知っているが,世間にそう思わせておいた方が自分の党派に有利なので,そのままにする
    3. 「旧土人」が蔑称でないことを知っているが,アイヌイデオロギーに逆って得なことは無いので,そのままにする
    特に,《「旧土人」のことばは蔑称ではない》の言は,「アイヌ学者」からは出て来ない。


    『北海道旧土人保護法』の問題は,「想定外」の趣きで現れる。
    これについては,鳩沢佐美夫「対談「アイヌ」」(日高文芸, 第6号, 1970; 『沙流川(さるがわ)―鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995, pp.153-215 ) の中の説明がわかりやすいので,ここに引用する:

     「 そもそもだよ、旧土人保護法なるものは、いったいどのようなものか──。
    これはほんの一例だが‥‥‥。
    あるお婆さんがね、寄る年波には克てず、だんだん先が心細くなってくる。
    そこで、「おらが生きているうち、あの自分の土地をお前たち三人で分けれよ」と、それぞれ家庭を持っている子どもたちにいつもいっていた。
    それで関係者が、いざ分割登記という段になって、いいかね、その土地はだよ、お婆さんの物でないということが判明したのだ──。
    旧土人保護法第三条。 すなわち十五箇年ヲ経ルモ開墾セザル‥‥‥という没収の条項、これにいつの間にかひっかかっていたということ──。
    明治四十二年、内務省没収となっているんだ。

    当時、給与地というものはね、昭和二十年後のいわゆる開拓行政のような整耕検査(・・・・)というものを受けなければならなかった。
    その法文にある十五カ年ごとの手続き、これを読み書きのできないお婆ちゃんはおそらくとらなかったものと思う。
    そこに住み、その畑を利用して子どもたちを大きくしたんだからね──。

    まあ、それはいい、お婆ちゃんの落度として認めよう。
    しかしだね、常識的に考えても、旧土人保護法で下付された一万五千坪 (五ヘクタール) の土地を、明治時代、どのようにして開墾できると思う。
    農耕馬がいるわけでなし、農具だって満足なものがなかったろう。
    しかもだよ、このあたりを例にとっても、民族的習性で自ら求めてそうなったのか、給与地というものは河原の石コロのある地帯か原生林そのままの山ん中という悪条件だ──。
    そんな所を十五年で開墾しなければ没収するぞ!という条項を掲げた保護法が、どこの世界にありますか──ね。

    そのお婆さん、つまり明治十三年に生まれたと──。
    そのお婆さんの親、あるいはもっと数代遡るかもしれないが、生まれ育った土地‥‥‥、これも、旧土人保護法という名のもとに国に奪われてしまったという事実──。

    そうしたことにあわてて関係者はいろいろ手を尽くした。
    つまり、この登記問題が出現する昭和三十年頃までは、きちっと婆さん名義で固定資産税も払っていた。
    ね、法務局の登記簿台帳には没収ということだが、役場の納税リストには面積、地目ともにお婆さんの持物として記載さ。 当時からね──。
    その納税証明書もとって関係機関にかけ合ったが、「そのような例は多いんでして‥‥‥」と、お役所の窓口は堅いんだ。
    いくら旧土人保護法を持ち出してみても、「当時の書類が残っていればね‥‥‥」とやられるともう終わりだ。
    結局──国有農地払下申請書という新たな手続き‥‥‥。
    旧土人保護法の今日性はいったいどこにあるか──だ。

    また第二条の一項、相続ニ因ルノ外譲渡スルコトヲ得ズ──。
    ね。 あくまでも世襲制というか嗣子を要するわけだ。
    それで家督のいない家や家をきらって子どもが行方知れずというような場合も没収──。
    つまり、不在地主という名目。
    こういった土地に、戦後のいわゆる農地解放当時、一般小作農民が群がった‥‥‥。

    ね、だから、そもそも共有財産(・・・・)、または共有者(・・・)、とね、これは最初から、アイヌの主権を認めた形の法律じゃなく、北海道長官、すなわち国の名においてどうにでもできるという内容なんだ。」
      (『沙流川(さるがわ)―鳩沢佐美夫遺稿』, pp.165-167.)


    もちろん,アイヌイデオロギーは,この「想定外」を「最初からの目論み」の話に仕立てるものである。
    しかし行政にとって,アイヌをとことん追い詰め,陥れることには,何のメリットもない。
    アイヌは,騒いでくれなければいい。
    行政にとって,アイヌとはその程度の存在である。

    役人のやったことが悪事になるとき,それは事なかれ主義から出てしまった悪事である。
    役人は,事なかれ主義である。
    役人は,悪事をわざわざ作為する者ではない。
    そして「和人」も,悪事をわざわざ作為する者ではない。
    この認識をもてることが,アイヌイデオロギーの和人悪者論から抜け出す第一歩である。